Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

旅行の計画変更も・・

2016年09月07日 02時58分54秒 | 山行・旅行・散策
本日の天気予報も雨。午前中、熊野古道を1時間歩く計画であるが 、昨日の参加者の体力の状況や天候のことを考えると 、計画の変更が必要のようである。歩かずにバスだけの移動を視野に入れないといけない。朝起きてからあわただしく相談をする予定。
蒸し暑さが想像以上であった。台風13号の影響もある。
現在の状況に会わせた計画の変更が、旅行の醍醐味、楽しみということでもある。

二泊目

2016年09月06日 21時26分57秒 | 山行・旅行・散策
宴会は昨日よりもおおいに盛り上がり、終了。この盛り上がりが続くとすると明日の帰りのバスの中の盛り上がりが心配である。
しかし、なんとか全員が歩きとおすことができて幸せ(*´∀`*)
明日は終日雨という予報。熊野古道の踏破はあきらめ。

無事新宮市に到着

2016年09月06日 05時05分11秒 | 山行・旅行・散策
昨日は無事に新宮市に到着。
花窟と神倉神社を訪れた。
パーキングエリアや訪問地に着く直前に雨が上がり、バスに戻ると雨が降り始めるという繰返し。幸運が続いた。

宿では夕食後、幹事部屋で深夜まで宴会。ようやく1時に就寝。寝る時間は普段と変わらない。

朝風呂は6時以降。もう一眠りすることに。

雨のち曇り

2016年09月05日 13時31分09秒 | 天気と自然災害
静岡市を過ぎた辺りから雨が降り始め、浜松市辺りはとても強い雨。新東名パーキングエリアは出来たできれいの上、すべての電子マネーがつかえる。これはありがたい。

愛知県を抜けて三重県に入って、雨が上がり、曇り空に。雰囲気からすると雨にはなりそうにはない。

深夜に突然の雨・・が、なんとか晴れた

2016年09月05日 07時30分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
昨晩、寝る寸前に突然大粒の雨が降った。音に驚いていると5分ほどで止んだ。そのあとに「雨降るメール」を着信。星が見えていただけに、驚いた。
22時から1時間、8千歩のウオーキング。1日の歩数は2万2千歩。2万歩を超えると足の疲労感が心地良い。
朝は目覚ましの音でようやく起きた。
天気はなんと晴れている。
集合時間前に無事集合場所に到着。買い出し、出欠、挨拶、ガイド・運転手との打ち合わせ・・・ようやく終了。
これから車中で睡眠。

早起きはどうしても苦手

2016年09月04日 23時46分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は朝5時に起きて、横浜駅に6時までにつかなくてはいけない。そろそろ寝なくてはいけない。普段朝8時過ぎに起きてくる身にはとてつもない難しいことである。
 小学生の頃から朝早く起きるのが苦手であった。ギリギリまでどうしても起きることが出来ない。また夜もどうしても深夜にならないと布団に入ることが出来なかった。今でもその日の内にはベッドに行くことすらできないでいる。目覚ましをセットする時間を考えると、本日も多分このままでは24時を回ってしまう気がする。
 現役の頃に時々早出をしなくてはいけない時があり、その日は横浜駅を朝5時に出なくてはいけないことがあった。4時20分に家を出て横浜駅まで歩くのだが、半分寝ながら歩いたことを思い出す。缶コーヒーを飲んでも電車の中で寝てしまい、下車駅で慌てて降りた。それでもその時間に通勤客が乗っていることにいつも驚いていた。
 多分もう死ぬまで、朝は苦手で通すことになるはずだ。

中桐雅夫「Birdie」

2016年09月04日 18時18分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 Birdie     中桐雅夫

ものういどよめきが
森を大きくひろがらす
小鳥の眼は
あおい空を見、枝の下のくろい土を見る
小鳥は落ち
落ちて固くなるまでにすこしの時間があつた

犬は喜んで駆け
狩猟者は悠々と足をはこぶ
太陽はなにごとにも関心を示さぬ様子で
一流の女優のように
にこやかにほほえんでいた
このちいさな死を誰が悲しんでいるか、誰も知らない

そうだ、僕の心に住む小鳥は
いつもこうして死んでゆくのだ
そしてまた、すぐに新しい小鳥が
どこからか翔んできて新しい巣をつくる
だが僕にはまつたく予言できないのだ
いつ、その小鳥が来なくなるかは。



 この詩は「荒地詩集 1955年」に収録されている。「詩三編」と題して他に「New Year Eve」「High Noon」の二つの詩が並んでいる。いづれも題が英語表記である。本文には英語表記はない。
 私は1951年~1954年までは目を通したが、1955年と1956年、詩と詩論1&2、荒地詩選の5冊は購入したものの眼を通してはいない。
 この詩も初めて読んだ。しかしなかなか理解できない。理解できるにはもう少し時間と反復が必要らしい。ことばはやさしい。しかし私がいつも感じるようにこの詩にも色濃く「死の匂い」がする。わたしがいつも感じ取るように、死の匂いのしない詩など詩ではないと云わんばかりのこれまでの中桐雅夫の詩が並ぶ。
 今回気になっているのは最後の二行「だが僕にはまつたく予言できないのだ/いつ、その小鳥が来なくなるかは。」である。普通私が話したり書いたりするときには「いつ、その小鳥が来るかは。」ではないか。
 この一行が妙にひかかって、前に進まなくっている。

 この解釈を宿題にして明日からの旅行に行くことになりそうだ。

旅行の準備

2016年09月04日 10時45分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日から2泊3日の熊野古道を巡る旅。といっても退職者会の企画旅行なので歩きたくない人はバスにずっと乗っていることもできる。台風10号をめざすようにバスは進む。天気予報では雨が続くので、足元も悪い。晴れたとしてもあまり歩く距離は設定していない。
 わたしとしては将来それなりの距離を歩くための下見気分でもある。

 本日はこれからその準備。荷造りの予定。写真撮影も私の仕事のひとつであるが、一眼レフは重いので、ミラーレスにする。広角ズームと標準ズーム、接写用フィルター1枚、電池予備2つで十分。着替えのほかに山用のゴアテックスの雨具にするか、コンビニで購入するビニールのカッパにするか、思案中。


本日の歩数は‥

2016年09月03日 23時09分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は1万7千歩ということで、目標の歩数には3000歩ほど足りなかった。足りないなりに少し遠回りで歩けばよかったかもしれないが、それほどの体力・気力はなかった。歩数計の読み取り機はドラッグストアなどにたくさん置いているが、しかし一方でそのために遠回りをするほどの元気はなかった。

 明日の天気は一日中雨のマークがついている。明日は休養日ということにせざるを得ない。




本日の講演はふたつだったが‥

2016年09月03日 22時29分41秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日はふたつの講演が重なってしまった。13時からは神奈川大学の生涯学習講座で「沖縄を知る-歴史・文化・社会」の5回目。「「島」という日本語がまたまた海を超える!」という題で、アメリカの詩人、アーサー・ビナード氏が沖縄を語った。
 その講座を聴いてすぐに、神奈川新聞報道部デスクの石橋学氏の「安倍政治とメディアの萎縮」という講演に出かけたが、会場に着いた時には残念ながらすでに講演は終了していた。しかし講演用のレジュメを貰うことが出来たので、これからそれを見て多少なりとも勉強してみたい。石橋氏は神奈川新聞で連載している「時代の正体」の取材班でもある。
 石橋氏の講演会場でイベントの終了後、講演を聴いていた友人たちと横浜駅に戻り歓談。ようやく先ほど帰宅した。


ブラームス「ピアノソナタ#1、#2、スケルツォ」

2016年09月03日 10時31分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 午前中はスケジュール帳の更新・印刷と若干の作業。作業をしながら聴いている曲はブラームスのピアノソナタ第1番、第2番、スケルツォ。いつものとおり、ペーター・レーゼルのピアノ独奏で1972年の録音。
 記念すべき作品1の番号のついているのが、ピアノソナタ第1番。作品2はピアノソナタ第2番。ともにブラームス19歳の時の作品である。ともにシューマンによって見出されて出版に至った。第2番の方が先に作られていたらしい。初演は第1番がブラームス、第2番がハンス・フォン・ビューローと記されている。
 ソナタはともにベートーベンの曲を聴いているような躍動感がある。ブラームスの出発点はやはりベートーベンなのである、と実感する曲である。しかし翌年のソナタ第3番となるといかにもブラームス的な感じの曲になる。跳躍の踏み込み板から跳躍する直前の力を貯め込んだ状態の曲に思える。
 若いエネルギーを感じるという評があるが、何か大きな手で精力的に鍵盤を行き来する演奏スタイルを思い浮かべる。
 作品4のスケルツォは唯一の独立したスケルツォということである。作品番号は4だが、作曲はソナタの2曲を作った1852年の前年という。
 これもベートーベン的ではあるが、特徴のある出だしと第2主題は印象深い。

明日の講座

2016年09月02日 22時55分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 明日は久しぶりに講座。13時から14時半まで。
 「沖縄を知る-歴史・文化・社会」の5回連続講座の第5回目。「「島」という日本語がまたまた海を超える!」という題で、アメリカの詩人、アーサー・ビナード氏が沖縄を語る。
 アーサー・ビナード氏については知らないが、講師紹介によると1990年に来日し日本語での詩作を始め、2001年には中原中也賞を受賞している。

 その後は南区内で集会があり、カメラをもって集会の後半から参加することになっている。

 月曜から2泊3日で紀伊半島の熊野古道をバス旅行で訪れることになっている。台風12号の進路が気になる。週間天気予報では台風通過後も雨が続く予報である。台風以外に雨が降り続く根拠は何なのだろう。今のところ解説を聞いていてもよくわからない。ヤキモキが続く。

 台風10号の爪跡はとても深い。人的被害も拡大しており、農業被害、建物・施設の被害、漁業被害と被害の深刻さが明らかとなっている。台風12号は九州から日本海に抜けた後、日本海側の北東北、北海道に影響をもたらしそうな気配である。

 本日の読書は「図書9月号」と「現代の眼619」。横浜駅地下街の喫茶店で読書タイム。学校が始まっているので割と空いていた。往復を少しだけ遠回りしてウォーキングに近いスピードで約1万3千歩。昨日と同じ位であった。明日はもう少し長めに、2万歩は歩きたいのだが‥。


「現代の眼 619」(東京国立近代美術館)

2016年09月02日 20時05分02秒 | 読書
 津田青楓という画家については、漱石の本の装丁をしたことと、「ブルジョワ議会と民衆の生活」という作品だけは知っていた。



 今回この「現代の眼 619」で修復家の山領まり氏のインタヴュー「修復家と作品の関わり」の中で津田青楓に言及されていた。意外なところで名前が出て来て少々驚いた。
「父の若い頃からの友人として存じ上げていた歴史家の羽仁五郎氏から修復を依頼された津田青楓の「犠牲者」です。私が一人で仕事を始めようとしていた時の最初の依頼でしたし、晩年羽仁氏の希望通りに、現在は陶器用国立近代美術館に収蔵されています。津田青楓は経済学者の河上肇との交友があり、当時の特高警察に目をつけられていました。ですから、この作品を描いている時も、特高が来るっていうと、キャンパスを巻いては箱に入れて、別の作品を描いているふりをする、というのを何遍も繰り返しながら描き上げたと聞いたことがあります。モデルが画家のオノサト・トシノブさんだということは知られていますよね。(何度も巻いたために)絵具の厚いところに亀裂があって、隠しきれないです。だけど亀裂もまた、時代の証人だと私は思うんです。(奇しくもこの作品が描かれた1933年に羽仁五郎は治安維持法で検束された)」
という記述があった。
 津田青楓という画家の経歴の一端を知り、すぐにネットでとりあえずウィキペディアの記述を要約してみた。
「津田青楓(1880年-1978年)は京都府出身の画家、書家、随筆家、歌人。良寛研究家。
1880年、華道家で去風流家元西川一葉の子として京都市に生まれる。1897年京都市立染織学校に入学。傍ら日本画を学ぶ。1899年関西美術院に入学し、浅井忠と鹿子木孟郎に日本画と洋画を師事。1904年兄の西川一草亭らと共に小美術会を結成。1907年から安井曾太郎と2年間パリ留学。アールヌーヴォーの影響を受ける。1914年二科会創立に参加。のち河上肇の影響でプロレタリア運動に加わる。1933年、小林多喜二への虐殺を主題に油絵「犠牲者」を描いていたところを警察に検挙、処分保留で釈放。のち転向して二科会から脱退、洋画から日本画に転じる。親友に夏目漱石がおり、漱石に油絵を教え、漱石の「道草」「明暗」などの装丁を手がけた。」
 これを読むと作品をじっくりと見る機会が欲しくなった。再来年没後40年、何らかの回顧展でも企画されることを期待したい。
 なお、笛吹市に「 笛吹市青楓美術館」があることも初めて知った。以下のような解説を見つけた。
「津田青楓は、京都府出身の画家、書家、随筆家、歌人で良寛の研究家としても知られています。笛吹市青楓美術館は、青楓と親交のあった小池唯則氏によって昭和49(1974)年に開館しました。昭和59(1984)年に当時の一宮町に寄贈され、現在に至っています。二科会創立に尽力した青楓の自由な南画風の作品や、思うがままの筆致の書など500点以上が所蔵され、そのうち約60点が展示されています。年に2回、春と秋に展示替えを行って、青楓の世界を多方面から紹介しています」
 是非訪れてみたい。