午後、喫茶店でようやく「眼・ことば・ヨーロッパ -明日の芸術-」(大岡信著作集11巻から)を読み終えた。難解なところもある上に、作品をまったく見たこともない現代作家等との対話の内容や評論なので、解らないことだらけである。どれだけ理解したか、まるで自信はない。しかしその作品にとても惹かれるパウル・クレーについての文章が最後に載っている。「眼・ことば・ヨーロッパ -明日の芸術-」所収の「3芸術と自然」の4番目にある「眼の歩み -クレーの世界-」である。
いつものように覚書風に、いくつか気になった部分を記しておく。
「クレーの展覧会場は雑踏していてはならなかったし、観客は沈黙していなくてはならなかった。ピカソはわれわれの官能をめざめさせるが、クレーはわれわれの眼を認識の領土へ向かって収斂させる。絵画と認識とのつながる地帯は迷路に満ちていて、ゆきつく涯てには神秘とか直観とか、とりつく島もないようなことばが待ち伏せていることがしばしばだ。クレーの、もはや象徴的でさえない記号的なフォルムの前で、人はひそやかな苦悩に似た感情を覚えないだろうか。「謎」と書かれた門柱がほうぼうに立っているが、その向こうに認識の建築が目もあやにそそり立っているわけでもなく、ただ眼前にね親しげな微笑さえ浮かべながら決して人を踏み込ませはしない、きびしい作品が置かれているのみである。」
「クレーが印象主義の影響から脱する上に大きな転機を作ったのはゴッホの線だった。‥空間の概念のうちに時間を包含させ、芸術的想像を生成の連続としてとらえ、絵画をも運動から発し運動を通じて理解されるものとして考えたクレーの哲学には、その基礎にこうした線の哲学があった‥。」
「クレーは「彼岸へ建設する」ことをめざしたが、彼が此岸へ残したのは、死の謎を、不気味なフォルムと色彩の中に囲いこみ、閉じ込めようとする強靭な意志の結晶としての、晩年の作品群だったのである。」
あとがきは、次のように締めくくっている。
「危機は、実をいえば、常に存在しているのであって、問題はその危機をむしろ養分に変えつつ、どこまでわれわれが危険機淵に沈んでゆけるかにかかっている。ひとつの文化が、新たな成熟の局面に達するためには、常に大きな爆発的危機の時代を通過せねばならなかったというのは、過去の歴史の示す明らかな事実である。‥ヨーロッパはぼく自身の中にもある、ということを感じながらでなければ、ぼくはヨーロッパとの明らかな疎隔を感じることもなかっただろう‥」
いづれもなかなか難解であるが、噛み締めてみたい。
この書を読むきっかけとなった、ミロの「絵画」についての論考はここにはなかった。しかし同じ著作集に納められている中に、「作られなかった私設美術館」という文章があり、そこに言及があった。しかしジョアン・ミロ論ではなく、購入したいきさつのみの記述であった。