Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「中原中也-沈黙の音楽-」(佐々木幹朗)

2017年09月26日 20時06分19秒 | 読書
 目をつけていた喫茶店でノンビリと読書タイムをと思っていたら、明日までお休み、との看板がぶら下がっていた。ということで、急きょ傍にあるチェーン店の喫茶店で読書タイム。神奈川大学の生協で購入した2冊の本を交互に読みながら読んだ。さいわいにも寝入ってしまうことはなかった。

 「中原中也」(佐々木幹朗、岩波書店)はこの書き出しがとても気に入った。
「一人の詩人が最初の詩集を出そうとするとき、初めて見えてくるものがある。どの詩篇を収録するのか、どのように構成するのか、と悩む編集作業のとき、作者はまず最初に、一冊の詩集がたんに詩篇の集積場所ではないし、過去の詩篇を記録するだけの場所でもない、ということを知る。‥印刷と製本を終えて、詩集が一冊の本のかたちになったとき、詩篇群は編集作業のときよりも、もっと鮮明に他人の顔をして作業の前に姿を現す。これらの詩は誰が書いたのか、と作者に問いかけてくるのだ。」

 なかなかいい書き出しに、期待感が増した。どんな中原中也像が提示されるのだろうか。期待できそうである。

舘野泉「ピアニストの時間」外を購入

2017年09月26日 14時22分57秒 | 読書
昨日読み終わった本を図書館にて返却。神奈川大学の生協にて、注文していた「ピアニストの時間」(舘野泉、みすず書房)を受け取り、同時に「中原中也ー沈黙の音楽」(佐々木幹郎、岩波新書)を購入した。さらに「敗戦日記」(高見順、中公文庫)を注文した。いずれも1割引。
「ピアニストの時間」は高価なので図書館で借りるつもりでいた。本の情報を書店で打ち出して持ち歩いていたが、生協に行った時に無意識に注文してしまった。1週間してから気が付いたが、今さら注文の取り消しは気がひけてそのまま受け取った。1割引でも2721円はつらかった。以後は気を付けないといけない。

贅沢なコーヒータイムを‥

2017年09月25日 23時26分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は大岡信著作集第11巻を読み終えた。11巻所収の「肉眼の思想 -現代芸術の意味-」は中公文庫で持っているので、省略。これは出来るだけ近いうちに再度目をとおしてみたい。「肉眼の思想」には15の文章がおさめられているが、4編を読んだだけである。そしてその4編については記憶に残っていない。たぶん理解できなかった可能性の方が強い。この年になって読み返して理解できるとは限らないが‥。

 著作集第11巻を読み終えたので明日にでも図書館に返却に行くことにした。次の本を借りる予定はない。図書館の帰りにはチェーン店ではないドリップコーヒーを淹れてくれる店で贅沢なコーヒータイムを取るのもいいかもしれない。


「眼・ことば・ヨーロッパ」読了

2017年09月25日 19時58分43秒 | 読書
   

 午後、喫茶店でようやく「眼・ことば・ヨーロッパ -明日の芸術-」(大岡信著作集11巻から)を読み終えた。難解なところもある上に、作品をまったく見たこともない現代作家等との対話の内容や評論なので、解らないことだらけである。どれだけ理解したか、まるで自信はない。しかしその作品にとても惹かれるパウル・クレーについての文章が最後に載っている。「眼・ことば・ヨーロッパ -明日の芸術-」所収の「3芸術と自然」の4番目にある「眼の歩み -クレーの世界-」である。
 いつものように覚書風に、いくつか気になった部分を記しておく。

「クレーの展覧会場は雑踏していてはならなかったし、観客は沈黙していなくてはならなかった。ピカソはわれわれの官能をめざめさせるが、クレーはわれわれの眼を認識の領土へ向かって収斂させる。絵画と認識とのつながる地帯は迷路に満ちていて、ゆきつく涯てには神秘とか直観とか、とりつく島もないようなことばが待ち伏せていることがしばしばだ。クレーの、もはや象徴的でさえない記号的なフォルムの前で、人はひそやかな苦悩に似た感情を覚えないだろうか。「謎」と書かれた門柱がほうぼうに立っているが、その向こうに認識の建築が目もあやにそそり立っているわけでもなく、ただ眼前にね親しげな微笑さえ浮かべながら決して人を踏み込ませはしない、きびしい作品が置かれているのみである。」
「クレーが印象主義の影響から脱する上に大きな転機を作ったのはゴッホの線だった。‥空間の概念のうちに時間を包含させ、芸術的想像を生成の連続としてとらえ、絵画をも運動から発し運動を通じて理解されるものとして考えたクレーの哲学には、その基礎にこうした線の哲学があった‥。」
「クレーは「彼岸へ建設する」ことをめざしたが、彼が此岸へ残したのは、死の謎を、不気味なフォルムと色彩の中に囲いこみ、閉じ込めようとする強靭な意志の結晶としての、晩年の作品群だったのである。」


 あとがきは、次のように締めくくっている。

「危機は、実をいえば、常に存在しているのであって、問題はその危機をむしろ養分に変えつつ、どこまでわれわれが危険機淵に沈んでゆけるかにかかっている。ひとつの文化が、新たな成熟の局面に達するためには、常に大きな爆発的危機の時代を通過せねばならなかったというのは、過去の歴史の示す明らかな事実である。‥ヨーロッパはぼく自身の中にもある、ということを感じながらでなければ、ぼくはヨーロッパとの明らかな疎隔を感じることもなかっただろう‥」

 いづれもなかなか難解であるが、噛み締めてみたい。

 この書を読むきっかけとなった、ミロの「絵画」についての論考はここにはなかった。しかし同じ著作集に納められている中に、「作られなかった私設美術館」という文章があり、そこに言及があった。しかしジョアン・ミロ論ではなく、購入したいきさつのみの記述であった。


爽やか

2017年09月25日 12時09分45秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 朝からさややかな秋晴れ。このような気持ちの良い朝は久しぶりのような気分。風は微かで暖かい。
 午前中は退職者会の業務を30分ばかり。その後は、「怖い絵」(中野京子、角川文庫)に目をとおした。同名の他の2冊「泣く女篇」、「死と乙女篇」も本棚にはある。気分によって手に取るものが違う。爽やかな天気とはそぐわないが、頭にはよく入る。
 午後からは大岡信著作集11巻を読む予定。本日で読み終えたいのだが、果たしてどうだろうか。

 爽やか、は秋の季語である。次の句が歳時記に載っていた。いろいろな場面が想定できる。私は小さい頃の娘を連れて横浜の山下公園を散歩する自分をふと思い浮かべた。
★爽やかや風のことばを波が継ぎ    鷹羽狩行

夜のウォーキング

2017年09月24日 23時54分34秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昼間と夕方にかなり歩いたので、夜のウォーキングは軽く。先ほど終り、お風呂が気持ちよかった。涼しくなると湯船に浸かる時間が嬉しい。
 明日は特に予定が入っていない。ゆったり出来そうである。

★ひややかに人住める地の起伏あり   飯田蛇笏

 山岳の地や、自然豊かな土地でなくともこんな感情を持つことがある。横浜のように丘陵地が複雑に入り組み、山坂の多い地形では、尾根道から谷筋を見渡す時にこのような気分が実感できる。その起伏と秋のひんやりした大気が呼応しているように思える。


桜並木をウォーキング

2017年09月24日 21時45分36秒 | 山行・旅行・散策
 今にも降り出しそうな曇り空が一日中続いた。久しぶりに時間があったので、新横浜駅まで歩いた。家を出るのが遅かったので、往復せずに片道だけ。帰りは地下鉄に乗って戻った。片道1万8千歩。それほどの速さではなく、周りの景色を楽しみながら幹線道路の歩道と河川敷を歩いた。昔はこのコースをジョギングで往復したのだが、今はウォーキングで精いっぱいである。
 新横浜駅傍の河川の土手の上の公園では家族連れや若い人のグループが思い思いに草地の上で楽しんでいた。この土手の道は桜の木が多く、花見にはうってつけである。桜の木々は少し色づいていた。桜紅葉というのは昔はあまり好みではなかった。葉の色が不揃いで、美しさにかけると思っていた。近年、その色合いの不揃いを楽しむことをおぼえた。歳と共に好みは移り変わる。

フォーレ「ピアノ五重奏曲第1番、第2番」

2017年09月24日 13時05分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 普段はあまり放送されることもないし、演奏会でも滅多に演奏されることはない曲であるが、気に入っている曲である。
 第1番の第1楽章は少々くどい感じがする。ねっとりして粘着質のくどい話をいやいや聴く気分になってしまうこともある。だが、第2、第3楽章は静かに落ち着いて聴くことができる。
 第2番は、ポール・デュカスに捧げられたとのことである。デュカスの音楽は「魔法使いの弟子」しか知らないし、両者の交友などはわからない。第1楽章のヴィオラの旋律が面白い。息の長い旋律が続くが、わたしにはくどいと感じない。
 第2楽章は、デュカスの「魔法使いの弟子」を思わせるような軽快な曲である。フォーレの曲のイメージからは少々遠いが、旋律が鮮明である。この曲でも第3楽章が私の好み。静かに終わる曲はしっとりしている。秋の夜に聴きたい曲のひとつである。第4楽章は私には第3楽章の延長のように思える。もう少し華やかな感じにした印象。

   


冷やか

2017年09月23日 23時47分57秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★木も芝もなほひややかにひるすぎぬ  石田波郷
★ひやひやと臓腑まさぐる超音波    中村 弘


 本日は冷(ひ)ややか、冷え、冷気というような季語が思い出された日である。肌寒く半袖であらわな二の腕が冷ややかな空気を感じて、身が引き締まる。冷(つめ)たい、というと冬の季語になるが、冷ややかではまだまだ身をさらして気持ちのいい気分である。
 同時に、冷ややかに物事を見つめる、という表現もある。こちらは心理的に物事を突き放してみる表現である。不同意の意味合いである。しかし季語としての冷ややかは、どちらかというと肯定的ではないだろうか。
 第1句目も、庭の木や芝は好ましいものとして冷ややかであるのだ。木や芝を突き放して、そして嫌悪はしていない。身をさすように夏の暑い大気から、秋の柔らかな大気への変化を喜んでいる。
 第2句目は、嫌悪ではなく不安を表している。検診でよく使われるエコーと云われる機器である。あのゼリー状のものが冷やっとする。これは検査への不安であると同時に、身を委ね切った諦念、どうにでもなれという開き直りへの契機ともなる瞬間である。あの感触は人生の曲がり角、一大エポックを象徴する感触である。


秋湿(あきじめり)

2017年09月23日 12時08分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 予報どおり朝のうちに雨はあがった。夜中雨の音で目が覚めてしまい、とうとう寝付いたのは4時過ぎ。8時過ぎに起こされた時は熟睡していた。夜中は雷も遠くで鳴っていた。
 朝は涼しいというよりも寒いくらいである。最高気温が22℃まで上がるというが、「そんなに上がるかな」と思う。

 午前中は退職者会の事務を少々。思い通りにプリンターがセットできずイライラ。1時間かからないはずの作業に3時間かかってしまった。
 ということですっかり草臥れてしまった。

★ひとりごと言うては答ふ秋湿り    深谷雄大

 秋湿(あきじめり)という季語は、本日のように夕べからの雨の湿気がそのまま残っているような気象をさすのであろう。冷え冷えとして湿気があると、気分は下向きである。
 「圧力、圧力」と政権中枢も、マスコミも「力」の外交を煽るだけ煽っている。当然国民は不安や不満が鬱積する。「力」による政治が行われるとき、人々は不安や不満を他の人に向けて転化する。矛盾を他に向ける。それは自分が優位に立てると思う人々に向かう。政治の中枢にいる人間がそのようなことに思いをはせることができないことが一番の不幸である。
 政治をめぐる暗澹とした空気がこの秋湿りの天気にさらに覆いかぶさっている。嫌な秋となったものである。

やはり違和感の強い国連演説

2017年09月23日 04時15分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 9月20日、安倍首相は空席だらけの国連総会演説で「安保理が通した「決議2375」のインクも乾かぬうち、9月15日に北朝鮮はミサイルを発射した」と批判し、次のように述べた。
 「対話による問題解決の試みは、一再ならず、無に帰した。なんの成算あって、我々は三度、同じ過ちを繰り返そうというのでしょう。北朝鮮に、すべての核・弾道ミサイル計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法で、放棄させなくてはなりません。そのため必要なのは、対話ではない。圧力なのです。」

 しかしヤフーニュースには次のような指摘もあった。【要旨 →本文はこちら

 この決議の前文には、「憲章に従い、全ての国の主権、領土保全及び政治的独立への約束を強調するとともに、国際連合憲章の目的及び原則を想起し、事態の平和的かつ外交的な解決に対する要望を更に表明するとともに、対話を通じた平和的かつ包括的な解決を容易にする理事国及びその他の加盟国の努力に対する歓迎を改めて表明」と記されている。
 さらに決議の中には、
「25.北朝鮮の乏しい資源が核兵器及び多数の高価な弾道ミサイル計画開発に大量に流用されていることを遺憾とし、栄養失調の危険がある非常に多くの妊娠中の及び授乳中の女性並びに5歳未満の児童さらには慢性の栄養失調に苦しんでいる総人口の4分の1近くを含む、北朝鮮にいる半数を大きく上回る人々が食糧及び医療の大きな不足に苦しんでいるとの国連人道問題調整事務所(OCHA)の調査結果に留意するとともに、この文脈において、北朝鮮にいる人々が受けている深刻な苦難に対し深い懸念を表明する。」
「28.6者会合への支持を再確認し、その再開を要請するとともに、中国、北朝鮮、日本、大韓民国、ロシア連邦及びアメリカ合衆国によって2005年9月19日に採択された共同声明に定める約束(六者会合の目標は平和的な方法による朝鮮半島の検証可能な非核化であること、アメリカ合衆国及び北朝鮮は相互の主権を尊重し、平和裡に共存することを約束したこと、6者は経済協力を推進することを約束したことを含む。)並びにその他の全ての関連する約束への支持を改めて表明する。」
「29.朝鮮半島及び北東アジア全体における平和と安定の維持が重要であることを改めて表明し、事態の平和的、外交的かつ政治的解決の約束を表明し、対話を通じた平和的かつ包括的な解決を容易にするための理事国及びその他の国による努力を歓迎するとともに、朝鮮半島内外の緊張を緩和するための取組の重要性を強調する。」
「30.包括的な解決のための見通しを進展させるため、緊張を緩和する更なる作業を要請する。」
「31.平和的な方法による朝鮮半島の完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な非核化の目標の達成が必要不可欠であることを強調する。」
 つまり、「対話」を否定するのであれば、安倍首相自身が「決議2375」に反していることになる。まして、日本は「28」で表明されている「6者」の一員なのだ。
 インクも乾かぬうち「決議2375」を守るべき立場を忘れているのは安倍首相である。


 この記事を読む限り、安倍首相の演説は決議の趣旨からは外れていることになる。国連は平和的解決、対話による解決を強く求めているのである。「対話ではなく圧力」ではなく、「対話のための圧力」であることは、外交のイロハではないのか。「力」による解決を声高に叫ぶのは、憲法にも国連の立場とも相容れないと私は思う。

雨の音で目が覚めてしまった

2017年09月23日 03時35分44秒 | 天気と自然災害
 2時頃に雨の音で目が覚めてしまった。昨日の夕方は猛烈な雨のため、駅で足止めを余儀なくされた。レインアイよこはまの画面では20ミリ未満の雨であるので、その時ほどの雨ではない。しかしずっと降り続けている。一時間通しの雨量では現在の雨の量の方が多いと思われる。
 雨の区域は総じて西南西から東北東に移動しているけれども、一部東京湾の横浜港寄りでは東から西に移動している強い雨の区域もある。複雑な回転運動が見える。

 なかなか寝付かれない。
 この雨の中、新聞配達のバイクの音がするようになった。つらい仕事だと思う。

猛烈な雨‥

2017年09月22日 20時24分55秒 | 天気と自然災害


 横浜市に大雨警報が出た時間、ちょうど帰宅途中で、家のそばの地下鉄の出入り口に登り付いたばかりであった。家まで10分なのだが、あまりの雨の強さにビックリ。スマホでレインアイよこはまを見ると時間換算雨量で80ミリを超す赤い色がちょうど付近にあり、南から次々にその区域が北上している。
 メールによると大雨(浸水害)警報のほかに、洪水・雷・強風注意報が出ていた。小さな折り畳み傘しかなかったので駅の構内で小雨になるまで待機していた。約30分後少し小降りになったので思い切って10分歩いて帰った。しかしスボンと靴はびしょびしょ。靴の中も雨が入った。家に着いたところで、洪水警報が加わった。

 現在は小康状態だが、横浜市南部と横須賀市付近に強い雨の区域があり、北上している。

本日は三日月だが‥

2017年09月22日 13時53分05秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日の月は三日月である。一昨日が朔月、昨日が二日月(既朔)。本日が三日月で月齢は1.9。細い三日月は満月などよりも好む人は多い。月のマークとしても三日月が多く用いられる。ただしもっと太いが‥。月の出は朝の7時過ぎであった。私がまだ寝ている時間である。月の入は19時。夕方雲が無ければ見られるが、本日は無理のようだ。4日目以降は夕方に三日月状に見えるので「夕月」という。そして7日目の月を弓張月という。
 だが、本日は雲が多く、夕方は雨。たぶん見ることはかなわないであろう。

★滝津瀬に三日月の金さしにけり     飯田蛇笏
★三日月を左右に遊びし九十九折     本多恭子


 第1句、以前にこの句をたまたま何かの本で知った時、印象鮮明でいいな、と思ったがしばらくして歳時記に載っているのを読んだとき、少々派手すぎるような気もした。煌びやかに過ぎると思った。
 だが、句集「心象」におさめられた1943年(58歳)の句であることを最近知った。この年、1月に父親を亡くしている。また1941年には三男を亡くし、たぶんこの頃には長男、次男も戦争に取られている。二人の死は戦後判明するのだが、1943年という時期は大きな喪失感をともなった年であったと思われる。
 そういう状況でこの句を見ると、死者を荘厳しようとする意識があったのかと類推することもできる。

 第2句、夕刻までかかって山を下りてくるとこんな情景を体験する。人里に近く、木々も高い。その上に三日月がかかり、まもなく日没という時刻。自然に足も速くなる。お腹もすき、早くお風呂に使ってビールを飲みたくてウズウズしてくる時間である。

敵愾心を煽る言動

2017年09月22日 00時42分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 安倍晋三首相の国連演説があまりに好戦的で、対話による解決を拒否した者として批判を浴びている。世界的には注目されていないことの証左である閑散とした会場での空回りするような演説は、現在の政権下の日本が国連の場において、紛争の平和的解決のイニシャティブを発揮していない現実を示している。
 さらに私が気になったのは「不拡散体制は、史上最も確信的な破壊者によって深刻な打撃を受けようとしている」という発言である。
 国連に行く前に首相はインドを訪問している。そして「日印が署名した原子力協定を踏まえ、日本の原発技術の輸出に向けた作業を進める」としている。さらにNHKの報道では「会談で安倍総理大臣は、弾道ミサイルの発射を繰り返す北朝鮮が今月3日に6回目の核実験を強行したことを受けて、核やミサイルの開発断念に向け国際社会が結束して圧力を強化する必要があるという考えを伝え、協力を求め」ている。
 いったいこの首相は、インド、パキスタン、イスラエルが核不拡散条約に反して核を保有していることを知っているのだろうか。知っていて、「目的のためならば何をしても許される」と考えているのであろうか。このインドとの関係を無視して、北朝鮮への圧力強化を声高に叫べば、対北朝鮮への鉤を握る中国は日本に対する態度を硬化させるだけである。どう考えても外交音痴のそしりは免れない。国際関係に対する洞察とバランス感覚を欠いた言動、目的のためには都合の悪いことはなかったことにするようでは信用は得られない。
 さらにとうの北朝鮮の敵愾心をさらにあおっている。

 平気で嘘をつく、息を吐くように嘘をつく、この人のことばは、日本への警戒心を強め、敵愾心を煽っている。

 日本国憲法前文では日本の武力放棄とともに「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」
 さらに「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」とも記されている。