Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

現役時代の習性

2019年10月27日 19時17分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 15時過ぎから2時間15分ほどの散歩兼ウォーキングで1万5千歩ほど。割とゆったりと歩いたのは、住宅地の中にかすかに残る旧道や古い道路を探しながら歩いたため。小さな祠、元は水路と思われる路、寺、墓地などを見渡しながら歩いた。これは元道路管理者の仕事をしていたからこそわかる勘である。いつ頃の造成なのかなども見極めながら歩いてみた。
 1960年代の造成地もあるが、大規模な増勢ではないので、古い公図などに沿った地形や形が残っている。それなりに長い河川沿いでもあり、そこに流れ込む水路が微かな起伏を追っていくと浮かびあがってくる。なんとなく探検気分も味わった。下水道が整備されて水路敷と道路敷、青地なども判別しにくいのだが、40年近くその仕事に携わってきたので、人よりはいろいろと想像ができる。
 そして下水のマンホールや、道路の境界杭、道路の線形などがどうしても気になる。

 たまにはこのような楽しみをしたいものである。


案内をもらった「寺田しのぶ 仏鏡展」

2019年10月27日 11時49分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 知人より添付の案内を送ってもらった。



・寺田しのぶ「仏画だっていいじゃない 第3回 仏鏡画展」
・鎌倉芸術館ギャラリーⅢ(大船駅東口徒歩10分)
・2019年11月22日(金)~12月1日(日) 11時~19時
・入場料1000円(中学生以下無料)

 私も知らなかった方の個展である。ホームページ【⇒http://miru.co.jp/teradashinobu/】には第1回、第2回の個展の紹介に次のようなコンセプトが記載してあった。



 私も見に行ってみたいと思っている。感想はその時点で。

 


無灯火の自転車

2019年10月26日 23時42分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夜、久しぶりに長めのウォーキングを1時間ほどもした。眼鏡を忘れてしまい、空を見る余裕はまったくなく、ひたすら足元と5m先を凝視しながら歩いた。夜は眼鏡がないととても不安である。団地を出て300mほど歩いてから眼鏡がないことに気がついた。不精をして家に戻らずにそのままウォーキングを続けた。

 怖かったのは黒っぽい服を着た歩行者、そして無灯火の自転車。前者は5m先でも気がつかなかった。無灯火の自転車も目の前に突如現れたように感じて飛びのいた。自転車の人は私に気がついていたと思われる。1m位離れたところを通り抜けて行った。しかし私の方は慌てた。
 眼鏡をしない私も悪いが、無灯火というのがこんなにも怖いものだとも思わなかった。

 本日の講座も教室の前の投影された画面と机の前の資料を見比べながら聞いていたら、木曜日同様目がとても疲れた。

 本日も早めにそろそろ就寝。


横浜美術館を足早にひと回り

2019年10月26日 21時44分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 本日の講座が始まるまで45分ほど時間の余裕があったので、横浜美術館に立ち寄り、「オランジェリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」展と、同時に開催している「コレクション展 東西交流160年の諸相」ならびに「絵でたどるペリー来航」を見てきた。見てきた、というよりも会場をとりあえず一周してきた、という程度。
 土曜日ということもあり、ルノワール展は人はたくさん入っていた。コレクション展は閑散としてとても寂しい。しかしコレクション展でもあり、写真も自由に撮れたりするのでゆったりと見ることができる。いい作品が多数ある。

 ルノワール展、オランジェリー美術館の発端や経過を知るということであれば、このような展覧会もあるだろうと思うが、作品と画家に興味が向いている人間にはピンとこないかもしれない。ルノワール7点、セザンヌ5点、ルソー5点、マティス7点、ピカソ6点、ドラン13点、ローランサン5点、ユトリロ6点、スーティン8点という展示では、「ルノワール展」というよりも、「ギヨームとドメニカの物語」とでもした方が良さそうな展示である。
 私の好みでいえば、モネの「アルジャントゥイユ」、セザンヌとマティスの作品、ピカソの「布をまとう裸婦」、ユトリロの「オルレアンの大聖堂」を見ることができてうれしいかった。

 詳細の感想は後日。


本日から始まる講座

2019年10月26日 12時35分11秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 本日から始まる講座は「考古学が描き出すヤマタイ国時代の列島の姿Ⅲ」。ⅢということはⅠとⅡがあったのだろうが、見落としていたのだろうか。
 先々週の12日が第1回目であったが、台風19号の影響でこの日の講座は19日の午前中に変更になっている。実質的な第1回目が本日。

 今も続けている横浜市歴史博物館館長の鈴木康民氏が顧問の「古代史セミナー」とはまた違った視点での講座であることを期待している。

 


豪雨から一夜、今後の課題は何か?

2019年10月26日 11時26分49秒 | 天気と自然災害

 昨日とは違って気持ちのよい秋の日和。

 昨日の豪雨、千葉では死者が8名、7河川で氾濫という。これから被害の詳細が判明してくると思われる。  復旧には時間と費用が膨大にかかる。そして何よりも被害者のケアが必要。

 同時にさまざまな課題が報道されている。中には首を傾げるような報道もあるが、ダムの緊急放水の在り方、避難所の在り方、自治体の対応の仕方‥市町村や地域ごとに細かな対応と県・国レベルの対策との整合性がより緊密になされる必要を感じている。

 ここに注目しながら報道を見ていきたい。


深夜のダムの緊急放流の妥当性は?

2019年10月25日 23時41分16秒 | 天気と自然災害

 ニュースを見ていたら、福島県のいわき市でも複数の川が氾濫し、南相馬市ではダムの緊急放流を始めたという。宮城県でもかなりの雨量のようである。
 以前にも記載したが、緊急放流というのは果たして妥当なのだろうか。事前に計画的に放流を始められないのだろうか。しかも深夜に放流を始めるというのは、避難やその手助けを極めて困難にする。深夜では避難はかえって危険な状況である。私は是非とも緊急放流についていろいろと意見を友人に聞いてみたいと思う。

 さて、横浜市域では23時30分にはすべての警報・注意報が解除になった。22時過ぎに本日初めて団地の外に出て夜のウォーキングに出かけた。歩き始めたときは雲は全体の2割程度であったが、帰宅する頃には8割ほどに増えていた。気温は低いものの、空気はカラッとして気持ちが良かった。


ふたたび降り始めた

2019年10月25日 19時55分31秒 | 読書

 いったん南から北上していた強い雨の区域が過ぎ去った後、こんど西から雨の区域が箱根の山を越えて、神奈川県の西部から東部に拡がってきた。今のところ強い雨の区域はともなっていないが、油断はできない。被害はこれから明らかになってくるはずである。
 ツイッターでは都内の秋葉原では雪がパラついた、との情報があった。

 千葉では養老川などが氾濫したとの情報がある。福島・宮城など東北地方の太平洋岸だけかと思っていたら、明日には新潟県なども雨の予報である。

 出来上がった新聞の原稿、妻に点検してもらった新聞の誤字・脱字・変換ミス、やはりいくつも変換ミスがあった。私に言わせると目の不調がここ数年ひどいので、変換ミスを見落とすことになったと思っているが、確認ミスだといわれてしまう。反論ができない。
 減益⇒現役、美大⇒肥大、配管⇒拝観、建摂津⇒建設、表面⇒表明、公道⇒行動

 ここにアップするのはなかなか恥ずかしいものがあった。しかし言い訳として言わせてもらうと、初めはちゃんと変換している。二度目の個所で違う熟語に変換されているということは、ワープロ機能が学習していないということなのではないだろうか。はじめに選択した候補が次のときに最初に表示されないというのではまずいと思うのだが‥。

 結局本日は団地から外には出なかった。寝る前に夜のウォーキングに出かけられるであろうか。

 


千葉を中心にまたしても大雨被害

2019年10月25日 16時38分48秒 | 天気と自然災害

 横浜では雨は小降りになった。峠を越えたと断言していいのだろうか。しかし十分に涼しい。11月の平年気温に近いらしい。
 千葉県では氾濫危険水位を超えた河川、ダムの放流、大規模冠水、土砂災害発生、停電などの情報などがあり、埼玉・茨城・栃木県でも大雨となっているようだ。これから福島・宮城県など東北地方も雨が激しくなるようだ。
 テレビをつけていると災害情報につい見入ってしまう。神奈川県内でも避難勧告や鉄道の混乱などが報道されている。
 連続する水害・土砂災害の報道に「またか」という気持ちが芽生えてしまうのが怖い。被害が軽微であって欲しいものである。


 新聞の編集作業はほぼ終了。小さな囲み記事が二つほど必要であった。あわてて小さなスペースを作り上げて、何とか割り込ませた。いつものとおり、妻に頼み込んでいつも誤字・脱字・変換間違いを探してもらっている。
 これより編集会議のメンバーに送信して確認、印刷所に送信する予定。

 


またも横浜市域に大雨・洪水警報

2019年10月25日 10時30分13秒 | 天気と自然災害

 昨晩は早めにベッドにもぐりこんで、次第に強くなる雨と風の音を聞きながら、起きていた。目を休めるために瞼を閉じたまま、耳を澄ませていた。以外に雨・風の音にまじって小鳥の小さなさえずりが聴こえ、そして虫の音も時々聴いた。錯覚だったとは思えなかった。

 

 横浜市域には現在「大雨(土砂災害・浸水害)・洪水警報」「強風・雷注意報」が出ている。北風で6時には瞬間最大風速15.6mとなっている。気温も16℃以下と肌寒い。
 横浜では20ミリ程度の雨が続いている。しかし千葉県では最大80ミリの強い雨の区域が停滞している。

 朝から昨日の続きで新聞の編集作業中。


眼を休める

2019年10月24日 23時14分36秒 | 天気と自然災害

 南から押し寄せてきた雨の区域が横浜市域に達した直後に今度は東から西に移動し始めた。それに伴い雨の降り出しが遅くなった。東風になり、気温が低くなってきた。台風20号から変わった低気圧をとりまく雨雲の回転は速い。台風21号からの風が吹き込んで、活発になっているようだ。
 明日午前中まではこの低気圧の通過に伴い雨と風が強いとのこと。

 明日の午前中までには新聞の編集作業は終了予定。本日は眼の疲労が強かったので、パソコンの画面はあまり見ない方が良いと思われる。読書も避けて、眼を閉じているのが良いと思われる。

 いつもよりかなり早いが寝ることにした。


教室内では目が疲れた

2019年10月24日 18時19分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 久しぶりの講座であった、しかし教室の前にあるホワイトボードを眼鏡をかけて見続けるのは疲れてつらかった。眼鏡をはずすといくら0.4位に視力が回復したとはいえ、見えない。書けると矯正が強すぎてすぐに頭がくらくらする。
 10分も見ていると疲れて自然に瞼が閉じて眠くなる。ふと気がつくと体が斜めになって寝てしまっている。
 講師には途中の休憩時に実情を話してお詫びしてきた。

 組合の会議では会議室の前方を見ることはあっても、見慣れた顔を確かめるだけで、細かいホワイトボードなどを見ることはない。机の上に広げた資料を見るだけ。
 講座ではホワイトボードと机の上と、中距離と近距離を交互に見ることになる。目にとっては過酷な使い方になる。

 そんなこともあり、講座終了後の昼食時には、目の疲れが取れるといいと思い、外の見える喫茶店で外をボーっと眺めていた。

 横浜駅の地下街の100円ショップで眼鏡を首からかけるものを購入した。外では気恥ずかしいが、家の中では重宝しそうである。

 本日の夜は雨となるらしい。レインアイよこはまを見ると、もうすでに雨の区域が横須賀市域を覆っている。まもなくわが団地の上にも到達しそうである。

 


本日からの講座

2019年10月24日 08時30分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日から始まる講座は、「キーワードで観る美術鑑賞~色・線・点をみる編~」。講師はアートナビゲーターの中村宏美氏。
 すでに中村氏の講座は7年越しで聴講していると思う。

 本日の第1回目は「色彩と絵画Ⅰ」(カラフル篇)として色の効果についての抗議と思われる。色彩論は私にはなかなか理解できないところもあり、期待をしている。

 本日は木曜なので横浜美術館は休み。この講座はいつも木曜日の午前中である。ただ一つの難点がこの木曜日という、横浜美術館の閉館日であること。

 帰りに美術館に寄りたいと毎回思うことしきり。今回も「ルノアールとパリに恋した12人の画家たち」展を見たいかった。別の日にするしかない。
 もっともこの展覧会は来年の1月13日まで開催なので時間はまだたっぷりとある。
 ルノアールは苦手、人物像が好きになれない。ルノアールの静物画にはいいものもあるということだが、それも見極める機会が欲しい。
 わたしは、一般的に人物像そのものが嫌いなのではない。例えばゴッホなどの自画像には惹かれる。その原因も探りたいものである。

 


もうひと踏ん張り

2019年10月23日 23時27分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 いつものとおり夜のウォーキングを40分ばかり。昼とは違って空はだいぶ厚い雲が多くなっている。曇り空。しかし気持ちのいい空気であった。昼間見晴らしのいい場所を夜も通ってきた。川崎の幸区・中原区方面とその先まで見通すことが出来るが、同定まではまだしたことはない。

 本日はこれから編集作業の続き。あと1時間でどのくらいできるであろうか。

 明日は午前中はみなとみらい地区で講座。久しぶりに神大の講座である。午後は特に私は予定は入っていない。夕方までにはもどり、新聞の編集作業の仕上げをしたい。

 


眼鏡のかけ方

2019年10月23日 21時15分37秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 白内障の手術をしてから13日目。ようやくこれまでの眼鏡の扱いに慣れてきた。あくまでも仮の眼鏡のつもりである。
 かけないでいた方が楽なのは昼夜を問わず室内と地下街やビルなど建物の中。外では原則的には掛けることにした。特に暗くなってからは眼鏡を掛けないと見えにくい。歩道を歩いて居ても反対側から歩いてくる人が見にくい。10mほどになって人として認知できる。それまでは分からない。
 しかし明るいと外を歩いていても特に支障がない。しかし用心のために掛けることにした。

 手術後1週間で眼帯を取ってからは、掛けたり外したり、忙しかった。その都度眼に負担がかかり、頭が痛くなったりしたがようやく慣れてきた。慣れれば、掛けたり外したりという時にも眼の負担は少ないようである。

 しかしあくまでも仮である。左目の手術をして視力が安定した段階で最終的に眼鏡は新調しなくてはいけない。

 眼鏡のお世話になってから実に55年位立つ。確か中学2年の終りか、中学3年の夏に眼鏡をかけたと思う。その時は0.6くらいの視力であったと思う。近点視力・遠点視力などという計測もしなかったし、硝子のレンズで今から思うと重かった。
 かけ慣れるまで時々無くして、いつも探していた。遊んでいてぶつかってレンズを割ったり、落して踏んづけて壊したりした。30代を過ぎてからプラスチックのレンズにして軽くなり、われる心配もなくなったのがうれしかったのをよく覚えている。レンズも大きくなり、明るくなった。

 遠近両用メガネをするようになったのは40代半ば過ぎ。次第にレンズの強度を強くしていったが、資力を1.5に合わせてもらったため、却って目を悪くしたかもしれない。

 眼鏡抜きには人生は語れないのかもしれない。これほど役に立つものはないような気もする。