Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「演奏家が語る音楽の哲学」第3~4章

2022年06月25日 14時55分23秒 | 読書

   

 第3章から第4章にかけて、なかなか読みごたえがあった。第3章で筆者は「個性の主張や、おのが感情の発露などという低次元の表現は何の意味もなさない。その音楽がどのように演奏されたがっているのか、楽譜に記された音符から読み解くことだけが奏者に課せられた責務である‥。‥それでもいかに自分の特性を音楽の背後に隠そうとしても、音の中に立ち現れる奏者独自の持ち味はそこから生みだされる。生まれ育った環境がひとの本質に影響を与えないわけはない」という問題意識が提示されている。

 第3章の後半ではヨーロッパの音楽に大きな影響を与えた「チェコ」を取り上げ、「民族」について上記の問題意識への提起を記している。

「民族の定義には、言語や文化の同質性、肌の色や骨格などの外見、宗教的なものへの考え方など、さまざまな基準があろう。そのアイデンティティを何に求めるかも、多種多様だ。《内なる痛みを共有できる範囲を、最大限に広げたひとびとの集団》こそが民族を定義するための最も適切な解ではないか。‥(チェコ)が小民族であることの痛みを、何よりもきわだって体現した存在が、ハプスブルクの圧政から逃れるため、故郷を追われ各地に散らされた音楽家たちタブったからだ。」
「おそらく民族は虚構の物語だ。それでも途切れることなく人類がその物語を必要としてきたのは、痛みを共有することのできる「我々」という言葉を発することなしに、ひとは生きることができないからだ。外部を差異化しなければ決して「我々」という内側が生まれてくることはない。‥民族というものが本当に痛みを共有する共同体であるなら、異なる民族の哀しみにも思いを重ねることができるに違いない。それはわたしたちの向かうべき未来を指し示している。」

 第4章は「演奏論・教育論」にということになるが、先の問題提起について「譜面を読む」という視点からの記述となると思える。

「譜面を読み取っていく行程は音楽の奥行きに触れる旅路ともいえる。‥いつか音楽はその姿を顕し始める。思っている以上に楽譜の懐は深い。譜面を読み込んで音楽を創造するという行為は、単に音符を音に変換するだけでは成り立たない。音符を音にすることと、楽譜を音楽にすることは似ているようでまるで違う。‥《楽譜を音楽にすること》と《音符を音にすること》は似ているようで断じてちがう。」
「なぜ人によってしか血の通った音楽をよみがえらせることはできない、といえるのか。それは人間だけに、「存在しないものを存在させることのできる能力」が備わっているからだ。」
「数々のミス、エラー、パグを発生させながらも、ひとが唯一高性能なデジタル機器に上がらうことができるのは、無いものを在るようにうふまう、こうした柔らかなこころのありよう以外になかろう。」
「奏者が変わらなければ音楽も変化しない。音楽が変わらなければ奏者も変化しない。どうやらこの二つは共生関係にあるようだ。一つ一つの音を吟味し、それらを有機的に結びつけ、音楽を招来しようとする作業-譜読み-はわたしたち自身と音楽とを高みへと導く。」

 これらの文章を頭に入れながら、さまざまな音楽を聴いてみたい、と思わせる記述である。なお、第3章末の大学論はとりあえず今回は触れていない。
 


先延ばし

2022年06月24日 22時31分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は横浜でも30.6℃と今年最高気温。風も最大瞬間風速21mもあった。風でそれほど暑くは感じないかと油断をしていたら、といも暑く感じた。
 本日の予定外は、横浜市民病院では、整形外科は完全予約制と紹介状なしでは受信できないと断られたこと。これは事前調査を忘れていた。
 やむなく、みなとみらい地区の「けいゆう病院」に電話をして新患も受け付けてくれるということで、11時前に病院について受付てもらった。
 「だいぶ待つことになりますよ」といわれたが、嫌だというわけにはいかないので、そのまま待っていた。しかし12時直前には名前を呼ばれて診察室に入れてもらえた。
 11月以来の治療の内容や、症状の変遷を丁寧に聞いてもらい、レントゲン撮影までは順調であった。レントゲン画像を見ての診断まではさらに1時間ほど。右膝の関節は年齢よりは変形している、と言われた。7か月も対症療法を続けてあまり良くなっていないので、根本的な治療をしてもらいたい、とお願いしたところ、MR検査をする必要があるとのことで、7月1日の検査、翌週7日に診断ということになった。
 痛み止めもこれまでの鎮痛剤とはちがう薬を3週間分処方された。

 病院を出たのが14時過ぎ、思ったよりも早く済んだが、新しい病院では受付から受診、検査、会計と面食らうこともあり、落ち着いて読書などできなかった。待合室で待つ間も院内をキョロキョロ見まわし、落ち着かなかった。
 薬局で薬を受け取ってかから、15時近くになってMM線のみなとみらい駅の傍で昼食。疲れて重い足取りで横浜駅からタクシーで帰宅。草臥れてそのまま寝てしまった。
 なかなか先が見えないことで疲労が深くなってくる感じがする。残念ながら、次のステップは7日までお預けということになった。

 本日は昨日よりも膝の痛みがある。22日以前の痛み程度であるが、それでもまた再発したら、という不安が先に立つ。
 


沖縄慰霊の日の「平和の詩」

2022年06月24日 09時14分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 沖縄県沖縄市立山内小学校2年、徳元穂菜さん(7)の詩「こわいをしって、へいわがわかった」の全文は次の通り。    【https://www.youtube.com/watch?v=GJJH9xKMZrY

こわいをしって、へいわがわかった

びじゅつかんへお出かけ
おじいちゃんや
おばあちゃんも
いっしょに
みんなでお出かけ
うれしいな

こわくてかなしい絵だった
たくさんの人がしんでいた
小さな赤ちゃんや、おかあさん

風ぐるまや
チョウチョの絵もあったけど
とてもかなしい絵だった

おかあさんが、
七十七年前のおきなわの絵だと言った
ほんとうにあったことなのだ

たくさんの人たちがしんでいて
ガイコツもあった
わたしとおなじ年の子どもが
かなしそうに見ている

こわいよ
かなしいよ
かわいそうだよ
せんそうのはんたいはなに?
へいわ?
へいわってなに?

きゅうにこわくなって
おかあさんにくっついた
あたたかくてほっとした
これがへいわなのかな

おねえちゃんとけんかした
おかあさんは、二人の話を聞いてくれた
そして仲なおり
これがへいわなのかな

せんそうがこわいから
へいわをつかみたい
ずっとポケットにいれてもっておく
ぜったいおとさないように
なくさないように
わすれないように
こわいをしって、へいわがわかった

                         


本日は市民病院

2022年06月24日 08時00分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 一昨日の夜は「入浴禁止」を整形外科で言われていたので、昨日は朝一番でシャワーを浴びた。痛みで全身に力を入れていたので、手のひらや足先、そして頭の天辺から脂汗を大量にかいた。手のひらなどいくら石鹸で洗ってもすぐにベトついた。
 念入りに体を洗って出てきたときは、痛みもかなりひいていたので、心底ホッとした。

 本日は朝から市民病院にタクシーで向かうことにした。予約も紹介状もないので多分1日待たされることは覚悟しないといけない。

 リュックには読書用の眼鏡と本をいつものように入れた。「演奏家が語る音楽の哲学」とだいぶ前に購入して「老いのかたち」(黒井千次、中公新書)。後者はだいぶ以前に購入して、始めのほうの数編を読んだだけであった。
 先日購入した「聖母の美術全史」(宮下規久朗、ちくま親書)を持っていきたいが、厚みがあり、新書にしては重く、膝の痛みを抱える私には持ち運びが困難。当面は家で読むことになりそうである。

 読書のために病院に行くようなものだと、妻に笑われている。読書でもしないと長い時間待つつらさに耐えられない。診察結果もむろん大切であるが・・・。


怖かった横浜駅の混雑

2022年06月23日 21時06分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日タクシーを利用して前立腺がんの検査結果を聞いてきた。心配はないとのことで、とりあえずひと段落。

 右膝の痛みについて、友人・知人からさまざまアドバイスをいただいた。とても感謝している。メールでざっくばらんに半ばお叱りも受けた。退職後の日常の生活の仕方、生き方、身の振舞い方についても反省点はいろいろある。
 37年間の仕事を中心とした生活、労働組合と退職者会のあわせて47年以上の活動、これとはどうしても離れることはできない。特に後者は現役の仲間もまだまだ健在でもある。彼らとの折り合いを付けながらの老後の身の振る舞いは、それなりに緊張もある。それ以前からのさらに古い友人の意見を聞くのもまたいい緊張になる。そして老いていく肉体や能力との葛藤、そんな緊張の釣り合いを私なりの方法で処理しながら、これからも楽しんでいきたいものである。60歳以降に選択した生き方は特に悔いのない処理をしたい。

 本日も横浜駅の東口から南通路を通って、西口高島屋前のタクシー乗り場まで杖を突きながらゆっくりと、そして人にぶつからないように用心しながら歩いた。
 しかし早足で前から、横からスマホ歩きしてくる人は避けようもない。杖を突いていると急には体を回転できない。機敏に体が動かないから杖を突いているのだが、容赦のない突進は心臓に悪い。後ろからも突き飛ばさんばかりに追い抜かれる。足がすくんでしまう。通路の端っこを歩いても店から左右を見ずに客や店員が飛び出してくる。かといって中央を歩くには流れが早すぎる。
 タクシー乗り場に着いた時には、疲労困憊、体の緊張が一挙にほどけて、待機しているタクシーにへたり込むように乗り込んだ。


沖縄全戦没者追悼式・平和宣言

2022年06月23日 18時02分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 今年も全戦没者追悼式での玉城デニー沖縄県知事による沖縄平和宣言をアップしてみる。【琉球新報WEB版より】

         平和宣言

 ここ沖縄は、先の大戦において、一般住民を巻き込み、史上まれに見る苛烈を極めた地上戦の場となりました。
 鉄の暴風は20万人余りの尊い命を奪い去り、貴重な文化遺産や緑豊かな自然を破壊しました。
 あれから77年目となる6月23日を迎えました。
 戦争の不条理と残酷さを身をもって体験した県民は、一人一人の不断の努力と揺るぎない信念を持って、戦後の廃墟と混乱から懸命に立ち上がり、共に手を取り合って幾多の困難を乗り越えてきました。
 今年、沖縄は本土復帰50年の節目の年です。
 復帰の前年1971年、当時の琉球政府が日本政府・国会に提出した復帰措置に関する建議書においては、「基地のない平和の島」としての復帰を強く望むことが明確に記されております。
 しかしながら、今なお国土面積の約0.6%しかない沖縄に、日本全体の米軍専用施設面積の約70.3%が集中しており、米軍基地から派生する事件・事故、航空機騒音、水質や土壌等の環境汚染など、県民は過重な基地負担を強いられ続けています。
 このため沖縄県は、在沖米軍基地の更なる整理・縮小や、日米地位協定の抜本的な見直し、事件・事故等の基地負担の軽減、普天間飛行場の速やかな運用停止を含む一日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念等、沖縄の基地問題の早期の解決を図ることを強く求めてまいります。
 平和で真に豊かな沖縄の発展に向けて、貴重な自然環境や沖縄独自の文化を、未来を担う子や孫達に引き継いでいくことが私たちの責務です。
 世界においては、依然として地域紛争は絶えることがなく、難民、貧困、飢餓、差別、人間としての尊厳がじゅうりんされるなどの深刻な問題が存在しています。

 ウクライナではロシアの侵略により、無辜の市民の命が奪われ続けています。美しい街並みや自然が次々と破壊され、平穏な日常が奪われ、恐怖と隣り合わせで生きることを余儀なくされている状況は、77年前の沖縄における住民を巻き込んだ地上戦の記憶を呼び起こすものであり、 筆舌に尽くし難い衝撃を受けております。
 沖縄県としては、人道支援の立場から、ウクライナからの避難民受け入れ等の支援を行っており、一日も早い平和の回復を強く望みます。
 「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と、ユネスコ憲章の前文に記されております。
 平和な社会を創造するためには、国際社会が連帯し、多様性や価値観の違いを認め合い、対立や分断ではなく、お互いを尊重し、対話を重ね、共に平和を追求していくことが、今求められているのではないでしょうか。
 沖縄には、独自の歴史や文化によって培われた寛容の心と万国津梁の精神で多くの国々と交流し、平和を維持してきた歴史があります。
 このような歴史を積み重ねてきた沖縄県では、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻銘した「平和の礎」を建設しました。
 今年も新たな追加刻銘を行い、24万1686人の方々が刻銘されており、この取組は今なお続いております。
 私たちは、激動が続く世界情勢の中で、今こそ、平和の礎に込められた平和と命の尊さを大切にする「沖縄の心・チムグクル」を国境を越えて世界に発信していくことが重要だと考えております。
 戦後77年が経ち、戦争を知らない世代が大半を占めるなど悲惨な沖縄戦の記憶が薄れていく中で、忌まわしい戦争の記憶を風化させないために、沖縄戦の実相や教訓を次の世代に正しく伝えていくことは、私たちの大切な使命です。
 沖縄県では、復帰当時の県民の願いを引き継ぎ、復帰から50年経った現在においてもなお残る課題の解決と、県民が望む沖縄21世紀ビジョンで描く沖縄のあるべき姿の実現に向け、「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」をとりまとめました。
 令和4年度から始まった「新・沖縄21世紀ビジョン基本計画」に基づき、県民が望む「平和で豊かな『美ら島』おきなわ」の未来に向けて、沖縄県の持つ様々な特性を活かしながら、「誰一人取り残すことのない優しい社会」の実現に全力で取り組んでまいります。
 私たちは、沖縄から世界へ平和の声をつなげ、二度と沖縄を戦場にさせないために、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向け絶え間ない努力を続けてまいります。

 「 命(ぬち) どぅ 宝(たから)」んでぃ 言(いゅ)る格言(いくとぅば)や、私達(わったー)御先祖(うやぐゎんす)ぬ 遺(ぬ)くちくぃみそーちゃる何事(ぬーぐとぅ)にん勝(まさい)る黄金言葉(くがにくとぅば)やい(ゐ)びーん。
 くぬ命宝(ぬちだから)やる格言(いくとぅば)や、何時(いつぃ)ぬ時代(でー)までぃん 継(つぃ)なじいちゃびらな。
 誰一人(たーちゅい)やてぃん命奪(ぬちぼー)らってぃんならん、あんし奪(ぼー)い(ゐ)んさんぐとぅ 御万人(うまんちゅ)が心穏(なだやし)くそーてぃ暮(く)らさりーる安寧(くくるやっさ)る世(ゆ)ぬ中(なか)んかい(ゐ)なさびらな。
 子供達(わらびんちゃー)ぬ瞳(みー)が輝(ふぃちゃ)い(ゐ)かんてぃ、全(まじり)ぬ方々(ぐにんじゅ)が幸(しぇーえー)やんでぃ いゅる実感(うむい)ぬない(ゐ)る希望(ぬじゅみ)ぬ満(み)っち溢(あん)でぃーる社会(ゆぬなか)なしみてぃ 今世(なまぬゆー)から未来(あとぅぬゆー)までぃん築(つぃみかさび)てぃいちゃびらな。

 Your lives matter
 It is life, itself, that matters more than any treasure 
 Nobody has the right to take another life
 Nobody should be left behind or have to live with fear  
 We will pass our faith of “Nuchi-du-takara”(命どぅ宝) on to the succeeding generations
 So that we can create a society where our children’s eyes brightly with hopes, and all people are able to live in peace
 Let's work together to hand down our compassionate society that embodies the spirit of the Okinawan People
 Let’s continue building a bright future for our children and grandchildren!

  本日、慰霊の日に当たり、国籍の区別なく犠牲になられた全てのみ霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、平和の尊さを正しく次世代に伝え続け、国際平和の実現に貢献し、すべての県民が真に幸福を実感できる平和で豊かな沖縄の実現を目指し、全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。

令和4年6月23日  沖縄県知事玉城デニー

※方言及び英語の訳
 命どぅ宝 命こそ宝をいつの時代でも語り継ぐこと。
 誰かの命が奪われず、命を奪うこともせず、人々が心穏やかに暮らせる安寧な世の中にすること。
 子ども達が瞳を輝かせて、全ての人々が、幸せだと実感できる希望に満ち溢れた社会を今から未来へ築いていこう。


痛みはひいたが・・

2022年06月23日 14時41分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日の痛み止めの注射がようやく効き始めたのか、服用している消炎鎮痛剤が効いているのか、不明だが今朝は痛みがだいぶ薄らいだ。ただし右膝の周囲の腫れはまだ少し残っている。押さえると痛い。一応家の中ではほぼ伝い歩きで何とかなっている。ベランダに出るときは杖を突いた。
 昨日から今朝まで痛みがひくまでにずいぶん時間がかかった。寝るときも強い痛みが残っており、寝ること自体が不安であった。薬の効果が切れて再びあの痛みが出て来て、朝足を呻きながら伸ばさなくてはならないのか、という不安であった。さいわいその痛みは出なかった。
  痛みはかなり薄らいだといっても痛み止めが効いている結果であるに過ぎない。薬が切れたらまた痛み出すことは間違いない。根本的な治療をしたいものである。

 午前中から正午までの美術史のオンライン講座を聞く気力は湧いた。
 これより前立腺がんの検査結果を聞きに行くことにした。タクシーで往復する予定。明日は妻に付き添ってもらって市民病院で右膝の診察を受けることにした。かかりつけ医の治療を続けるのか、根本的な治療が何かあるのか、意見を聞いてみたい。

 本日は沖縄慰霊の日、いつもは平和宣言などをアップしているが、本日はまだその作業をこなすだけの気持ちの張りが出来ていない。

 


突然歩けなくなった

2022年06月22日 14時36分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 予定通り朝9時前に杖を突いて家を出た。しかし50mも行かないうちに突然右膝の内側に激痛が走り、一歩も前に足が出なくなった。その場で、杖を支えに立ち往生してしまった。5分ほどガマンしてようやく靴の長さほどの歩幅で前に進むことが出来るようになった。しかし家に戻ろうとしたものの、体を180度回転することもできず、さらに5分ほど立ち尽くした。
 痛みが出てから10分経過してようやく体を巡らして家に辿り着いた。50mが500mの距離に思えた、といっても決して大げさではなかった。家の玄関までの5段の階段では泣きそうになった。
 家に戻ったものの、妻に靴を脱がしてもらわなければ、家に入ることも出来なかった。足を延ばすことができないので、寝られない。椅子に座るのがやっとであった。室内で移動する場合も杖を2本使ってやっとのことで、便所や洗面所に行った。
 一時間ほど休んでから昨日の整形外科に行く元気が出てきた。家の前までタクシーに来てもらい、妻に付き添われてようやく病院に到着。
 医師から筋が何らかの拍子に捻じれて炎症を起こしたと思われる、といわれ「炎症をおさめるためのステロイド剤」を注射された。痛み止めが必要ということで「非ステロイド性消炎鎮痛薬」を処方された。「1週間後にもう一度来診すること」と言われた。
 病院の近くの薬局は混雑していたので、まずは帰宅。妻がいつもの薬局まで自転車を飛ばし、先ほど処方された薬を貰ってきてくれて服用。
 鎮痛剤が効いてくれるのか、痛みを取るだけで根本的な治療はどうすべきなのか、先が見えない。2日間ほどは様子を見て、改善されなければ市民病院にでも駆け込むしかないと思っている。

 2本の杖を突いての家の中の移動でも、腰に無理な力が加わるようで、腰も痛くなってきた。足を伸ばすと痛いので、座っているほうが楽である。しかし手を伸ばして届く範囲に二つの眼鏡や携帯電話、お茶などをいつも揃えて置くというのは面倒なものである。リビングルームからこのパソコンルームまでもわずか15歩がとても遠い。
 


本日も雨の中を外出

2022年06月22日 07時43分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日の夕方には湿度が高く不快だったので、パソコンのある部屋に据えたクーラーも弱風で使用してみた。せっかく作った自作の窓枠も、低温が続いたため使っていなかった。
 1時間半ほど動かしてみたら、2合ほども水がタンクに貯まった。調子は良い。

 しかし本日以降はまた気温が上がらない。せっかくのクーラーの出番がまた遠のいてしまう。

 本日は9時半から16時まで、10数人で組合の会館での作業。夕方には横浜駅近くにある病院へ。先々週採血をしてもらった病院に検査結果を聞きに行くことになっている。夜は関内での屋内での集会。夕食は外食で20時以降、ということになる。

 雨が予想されるので杖を持ち歩きたくないが、昨日はだいぶ痛みがひどかったので、どうしても杖を突いて歩きたい。小さな折り畳み傘をさして歩く予定。歩きにくいが、止むを得ない。


「演奏家が語る音楽の哲学」第3章

2022年06月21日 21時14分25秒 | 読書

   

 本日は「演奏家が語る音楽の哲学」の第3章を読んだ。第1章「音を奏でる人類」が楽器起源論、第2章「「音楽そのもの」との交歓」が音楽芸術論とすれば、第3章「音楽に表れるのは個性か普遍性か」と演奏家論といったところ。
 第1章はちょっと不消化な記述もあり、少し難解でもあったが原初の人類から古代から続く人類と音との関係が述べられている。ホモサピエンスの歴史についても最新のものを取り入れていたり、折口信夫・中上健次・中沢新一を引用したり、なかなか博識である。
 第2章ではデュシャンの「泉」から問題提起が始まり、ジョン・ケージに研究し、中沢新一も第1章に続いて引用され、白川静・内田樹に言及するなど刺激的な記述が続いた。
 第3章でも、中井久夫も引用されている。読書の範囲が私と重複しているところもあり、それなりに親近感が湧いてくる。

 少々長い引用になるが、「個性的」ということについての記述を引用してみる。私にはよく理解できる言い回しである。
 「自分らしい=個性的と思われた働き方は、実は組織にとって、いつでも労働力を切り捨てられる都合のようい仕掛けでし泣かなかった。、そのようにして得られる仕事が、まったくもって没個性的な作業であることはいうまでもない。個性的であることに強迫観念まで持たされてしまった世代の中には、取換えの効く存在として自分が扱われることに耐えられなものも多い。‥思い描いた理想と現実との狭間で混乱し、自身の存在価値への疑問から心身のバランスを壊すものまでいることはなんとも痛ましい。‥やみくもに固定的であることを礼賛するような教育だけはご免こうむりたいものだ。」
「世界を相手にする音楽家たちは楽譜を丁寧に読み込み、その解釈において誰もが納得する普遍的な領域にまで達しないことには「人前でなど演奏できない」と考えている。自分の奏でる音楽が個人的な主張や、己が感情の発露であるなどとは想像すらしていない‥。彼らの演奏は音符の向こう側から語りかけられる音楽自身の発する声に、謙虚に耳を傾けたっか奏でられたものだ。自分がどう演奏したいかなどという低次元の欲求を超えたところにその音楽は成立している。私がどうしたいかなどではなく、記された音符の一つ一つが「どのように」演奏されたがっているか」を読み取ることがなによりも優先されるべき課題であることを彼らは自覚している‥。‥ならば個性なしに紡ぎ出されるその音楽は、誰がいつどのように奏しても同じであってしかるべきだろうか。同一作品からは、楽曲唯一の藁間欲しき姿が浮かび上がるのだから。ところが、そんなことがあり得ないことは誰もがしっている。どうやら《個性》の秘密はこのあたりにありそうだ。‥本物の個性というものがあるのだとすれば、それはあえて独自のものをそぎ落とし、それでも最後に炙り出されてくる他者との違い、といえそうだ。‥音楽においては、楽曲のあるべき姿をそれぞれの奏者が探し出す過程で結果的に生じるものが、それといえる。自ら恣意的に示そうとする他者との違いは、単なる奇矯な振る舞いとしか映らない‥。」

 


治療打ち切りの危機

2022年06月21日 18時37分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は、とても右膝が痛い。しかし家を出るときにきわめて弱いながら雨が降り出したので、杖を持たずに、少し長めの傘を杖替わりにして家を出た。傘はタイル舗装などでは滑り、気を付けないと危ない。しかし傘をさしながらの杖突き歩行の危険もあり、杖を持たないという選択をした。

 喫茶店で読書タイムののち、1か月ごとの整形外科で医師の診察を受けた。医師からは「厚労省の通達で、この膝関節症の治療は4月からは5か月で治療打ち切りということになった。今後の治療がストップせざるを得ないがどうしましょうか」という話しがされた。
 どうしましょうと言われても、返事のしようが無く、「このまま症状固定で放置されるのですか」と聞いたら、「別の方法を考えましょう」という。現在の病名は「膝関節変形症」としており、反対側の左膝の治療を理由にリハビリの継続はできない、とのこと。
 一呼吸ののち、「頸椎・脊椎のレントゲン撮影をしてみよう」ということになり、その結果「加齢による変形が見られる」といわれた。「その変形で症状が出ている可能性もあるので、あと5か月リハビリを継続出来ると思う」とのこと。応用力を発揮してくれたと思われる。お礼を言って退出をした。

 とりあえずは助かったとおもったが、すでに7か月も痛みが継続している現状はとてもつらい。リハビリの継続をしてもらえるのはありがたいのだが、痛みを止める根本的な治療が欲しい、という気持ちが強く湧いたことも事実である。
 次回の診察のときにそのことについて医師に問いかけてみたい。

 地下鉄の階段の昇り降り、団地までの急坂の昇り等々、痛くてつらかった。帰宅を鎮痛剤を服用。
 明日も出かけなくてはいけないが、どうなるのであろうか。

 


降り出しそうな天気

2022年06月21日 13時11分29秒 | 天気と自然災害

 気温は高いが、湿度も高く今にも降り出しそうな天気である。朝から何となく体が重い。疲労感あり。午前中は布団に横になって休息。リビングルームのクーラーの2度目の試運転。すぐに涼しくなり、運転は取りやめた。

 気分転換にこれより出かけてみることにした。膝もまだまだ本調子ではないので、本日は杖を突いて出かけることにした。じっとしていると筋肉が固まってしまったようになり、動かすすときに右膝の周りが痛い。短時間で出来る教わった屈伸運動やストレッチ体操をすると痛みは薄れる。しかしまたすぐに痛くなる。

 本日は夕方から整形外科で診察とリハビリの両方。それまで横浜駅近くのいつもの喫茶店でコーヒータイム&読書タイムとしたい。 


お疲れの一日

2022年06月20日 22時23分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 能登半島では、震度5強、震度4の地震が本日は起きたという情報がもたらされた。被害もそれなりに出ているが、それだけではなく、強い揺れのたびに身構えなければならないことに対する恐怖を思うと、他人事とは思えない。不安を抱えたままの日常が続くことの精神的疲労というのは計り知れないと思う。そんなことを考えながら、今の時点で何ができるかも想定できない自分に苛立ちながら、予定されていた会議をこなしていた。

 本日は5つの会議をこなしたのち、組合の会館で昔のように500円会費のご苦労さん会を幹事の40%近くの15名ほどで開催した。実に3年ぶりだろうか。
 会議の終わりに思いついたような提案で所用にある幹事も多かったが、いつもは参加しない方の参加もあり、楽しい時間を過ごすことが出来た。
 さらに8名で二次会に行った。沖縄料理の店で20時近くまで今後の会の在り方で前向きの議論百出、いつまでも終わりそうもないので、かなり強引に終了宣言をして解散。

 明後日もまた、それなりの人数でこなさなくてはいけない作業か朝から予定されている。作業が終わるのか20時を過ぎる予定。その後のことが楽しみというか、帰宅時間が何時になってしまうか、少し恐ろしい気もする。

 とりあえず本日のところはこれにて就寝。

 


朝から会議の連続

2022年06月20日 08時00分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日の能登地方の地震、災害時のさまざまな部門の担当者は昨日から本日にかけて、きわめて多忙な時間を過ごしていると思われる。
 特に本日は通常業務もあわせて行わなくてはならないはずで、昨晩からの連続勤務は体力的にも精神的にもつらいものがあるはずである。
 災害復旧に携わる人々は、災害そのものだけでなく、後処理での二次災害にも気を付けてもらいたいものである。復旧担当者や救護者から被災者を出ないよう願っている。

 昨日の朝の日曜美術館は「ジュアン・ミロ」。45分間見続けることが出来なかったので、録画した。後日じっくりと見る予定。
 展覧会自体は、先日、Bunkamuraザ・ミュージアムで見ている。現在は愛知県美術館にて開催されているとのこと。

 本日は9時45分くらいまでには組合の会館に「出勤」ということになった。メインの幹事会は14時からであるが、10時から16時過ぎまで幹事会を挟んであわせて5つの会議が連続する。果たして昼食を摂る時間があるか、心もとない。

 終了後はやはり、「慰労会」としていつもの居酒屋に繰り出すことになると思う。




久しぶりに夕焼け

2022年06月19日 21時48分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 18時28糞には茨城県北部で震度3の地震があった。深さは90km、マグニチュード4.3とのことであった。
 帰宅してテレビに地震情報が出ており、能登半島先端で大きな余震があったのかと心配したが、そうではなかった。この茨城県北部地震も地震の頻発地帯である。

 帰り際、いつものバス停の一つ手前で降りてゆっくりと歩いてきた。途中で久しぶりに夕日と夕焼けを見た。もう少し時間が立てばさらに色合いがきわだったと思うが、19時を過ぎては夕食時間になってしまうので断念。