種子島の西之表にある史跡を訪ねました。
西之表の旧港にある石積み防波堤の岩岐(がんぎ)です。
島の女島主(殿様)だった松寿院が、1862年に築きました。松寿院は、島津家から種子島家に嫁いだ人で、島津斉彬と篤姫のおばに当たります。
前の写真の右から見たものです。釣りをする少年がいました。
右の防波堤。
対岸の防波堤。
岩岐の奥の旧港です。右は魚市場。
港の近くの八坂神社。慈遠寺跡です。
八坂神社社殿。
慈遠寺は、1543年の鉄砲伝来の時、民国人・ポルトガル人の宿坊になりました。
慈遠寺の文字が残る手水鉢。
また、フランシスコ・ザビエルは、1551年、日本での布教を終えてインドへ帰る途中、種子島に立ち寄り、ここに8日間滞在しました。
慈遠寺跡顕彰碑。
榕城中学校跡に、種子島家第14代当主、種子島時堯(ときたか)の像があります。鉄砲伝来の時、16歳の若き殿様でした。
シティホテルあらきの前にある若狭姫の像。
時堯は、ポルトガル人から鉄砲2丁を2000両で買い、刀鍛冶の矢板金兵衛に製法を命じます。当時の日本にはネジの技術がなかったため、金兵衛は筒のふさぎ方がわからず暴発していました。ネジの技術を教えてもらう引き換えに、金兵衛の娘の若狭がポルトガル人と結婚して異国へ行ったという伝承があります。若狭が異国で詠んだ歌です。
月も日も日本(やまと)の方ぞなつかしや わがふた親のあると思えば