馬込の貫
新聞に、霧島市牧園町にある馬込の貫(まごめのぬき)が載っていたので訪ねました。
牧園小学校の南西に馬込集落があり、天降川が大きく蛇行しています。馬込の貫は、そのくびれの所に造られた水路です。
牧園小学校前の県道を西へ行くと、左に「真米甌穴群」と書いた看板があるので、これを左へ行きます。
天降川にぶつかったら下流へ行くと、塩浸発電所の取水ダムがあります。
ダムから下流側へ進むと右下へ行く道があり、正面に水槽があります。この手前から右下へ下ります。
斜面を下りていくと天降川があり、これを下流へ行きます。
河床には岩盤が広がっており、水深は浅いです。長靴で歩いていくことができますが、すべりやすいので杖が必要です。
さらに進んだところから、上流を見たものです。
川の左岸に馬込の貫が見えてきました。水路入口に流木がありました。
入口から見た馬込の貫。高さ十数mの狭い水路になっています。横川町郷土誌に、牧園を訪れた西郷隆盛について次のような記述があるそうです。
「近くの岩山を掘り抜いて天降川の水路を変え、ぐっと曲がっている川床を拓いたら、十余町の田地ができる」と切望され、三千両を出して、長い月日と労力をかけ、ついにトンネルの開鑿を成し遂げた。
下部は広がっており、幅3mくらいです。
この水路を造ったのは、江戸時代末期の頃と思われます。目的は、天降川の流路を付け替え、蛇行したところの河床を水田にすることだったのです。しかし、水路が狭かったため、流路を変えることができず、事業は失敗しました。
水路の延長は60mくらいです。水量が少ない時は、水路を下流に行けるようですが、この時は水深が深く、あきらめました。
水路の上部は、地上まで開削されています。
水路入口のすぐ下流には堰があります。コンクリート部は後年に造られたものでしょう。
仮に、天降川の流路を付け替えることができたとしても、岩盤が露出する河床を水田に変えるのは大変だったと思われます。
最初の地図の、馬込の貫と道路が交差するところです。ここは開削されておらず、トンネルになっています。
前の写真の左の斜面中腹から見たものです。
向こう側はトンネルになっており、手前(下流側)が開削されています。つまり、水路の上下流側が開削されており、中央部がトンネルという構造です。
上から見た馬込の貫です。
斜面の上から、水路の下流側を見たものです。天降川本流に落ちています。
天降川本流から、馬込の貫の下流側を見たもので、滝になって落ちています。
ここは以前、天降川源流を訪ねた時に見たことがあります。当時は、馬込の貫のことは知らなかったので、支流から落ちる滝と思っていましたが、水路だったのです。