金沢から仙台に転勤したのは、結婚した次の年だった。
転勤して間もなく、郵便局の保険係が自宅に来て妻と雑談をした。
妻が種子島出身だと言うと、その人が「自分のお客さんに、種子島出身の人がいる」と言ったそうだ。
何日かして、その種子島出身の人から電話があった。
なんと、高校の同窓生のS子だった。
次の休日、私と妻はS子の自宅を訪ねた。
S子は高校卒業後関東に就職し、宮城県出身のご主人と結婚して私の近所に住んでいたのだ。
妻は、誰一人知り合いがいない仙台で、同郷の人と出会ったので親しくなり、家族ぐるみの付き合いが始まった。
しばらくして、もう一人、種子島出身者との出会いがあった。
実家の近くに住んでいた2歳年上のT江である。
母から、T江が仙台に住んでいることを聞き、会いに行ったのだ。
T江も宮城県の人と結婚し、私の近所に住んでいた。
高校時代のT江は、ミス〇〇といわれる美少女だったが、再会した時は匂うような若奥さんになっていた。
こうして、よく知っている二人と再会し、ミニ種子島会ができて、私たち夫婦の仙台生活は急ににぎやかなものになった。
S子は、結婚してしばらくは、宮城県の山あいにある主人の実家で暮らし、種子島とあまりに違う寒さと雪、言葉や風習の違いに、それはそれは苦労したと言った。
彼女もまた、私たちと出会って心強かったのだ。
種子島の海辺の集落で育ったS子は海が好きで、一緒に海水浴に行ったり、貝拾いに行ったりした。
だが親潮が流れるその海は、種子島の暖かい海と異なり、夏でも冷たいことが多かった。
運動神経抜群のS子は、高校時代陸上部に所属しており、運動会の短距離走ではいつも先頭を走っていた。
仙台ではママさんバレーをやっており、宮城県代表として全国大会へ出場した。
私はそれをテレビで観戦したが、画面の中で躍動する姿は、普段会っているS子より輝いて見え、誇らしくもあった。
私の転勤が決まり、仙台を離れることを告げた時、S子はとてもつらそうな顔をした。
仙台を去ってからは、会うこともめったになくなったが、S子が種子島に帰省する途中、鹿児島の我が家に泊まったりした。
ふるさとから遠く離れた仙台で6年間を共に過ごし、彼女の苦労もそばで見てきた私には、戦友のような思いがする。
S子が鹿児島に来た時の記事はこちらです。
知らなければそのまま会うこともない方と ご縁ですね。
小説にはよくそんなお話がありますが 小説は そんな
日常から生まれるんだから 当たり前ですね。
久々の エッセイ楽しく拝見しました。。
こんにちは。
3家族が近くに住んでいて親しくしていました。
同窓生とは、保険屋さんを通じて偶然の出会いでした。
それがなければ会えていないかもしれません。
今年も、種子島で会いました。