芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

『本当に江戸の浪人は傘張りの内職をしていたのか?』

2014-09-30 07:07:07 | Weblog

先週の閲覧数が予想外に多かったことに驚きを感じています。

1日200PV以上の訪問者。

あまり書く事も無く、困って書いた内容なのですが・・。

本日の内容は、

『本当に江戸の浪人は傘張りの内職をしていたのか?』と

『江戸の卵は1個400円!』

からの抜粋とその感想です。

 

江戸時代の若者の憧れの就職先は銭湯(湯屋)だったそうです。

街中を歩いて廃材を探して、それを運ぶ「木拾い」、

そして1日中地獄のような暑さの中での「釜だき」で10年以上の修行。

それから客の背中のアカ擦りをする「三助」。

「番台」に座ることにも少々憧れますが、

長い修行に私は耐えられそうにもありません。

 

幕末、提灯用の短いロウソクの値段は一本240円だったそうです。

夜暗くなれば、早寝したことは容易に理解できます。

無駄に深夜電力を利用して夜更かししている現代とは明らかに違っているようです。

 

貸本屋は新しく出版された本のあらすじを説明して客の気を引いたそうです。

ちなみに江戸時代、新刊本は「封切り」といい、映画の公開を封切りの語源だそうです。

 

庶民が着ている木綿の着物の価格は約10万円。

庶民は古着を買って着ていたそうです。

 

客が帰る時、雨が降り出したら、

日本橋の大丸呉服店と越後屋呉服店の屋号や家紋が入っている「番傘」を無料で貸出したそうです。

客は濡れずに喜び、百貨店は広告効果と傘の返却に再来店する客に喜ぶので両者ウィンウインの関係ですね。

 

越後屋(三越)、大丸屋(大丸)、白木屋(東急)などの江戸の呉服店の従業員は全員独身男性だったそうです。

理由は12歳位で就職して、江戸店に配属、下ったそうです。

15歳で元服。入店後9年ぐらいで関西への里帰りが許されたそうです。(「初登り」)その後、手代というハウスマヌカンに昇格してご婦人との商談にあたったそうです。

 

幕末には全国に寺子屋が15506塾。

現在の小学校数は22476校ですから、その数の多さが目立ちます。

私学経営の厳しさは、江戸時代でも同様だったようです。

 

歌舞伎役者は紅や鬢付け油などの化粧品店を販売する店を経営していたそうです。

「成田屋」「音羽屋」「大和屋」などと屋号で呼ぶのは、

この時代に店を構えていた名残りだそうです。

 

その他の江戸時代の主な物価

ゆで卵400円 / たくあん300円 / 握り寿司160円 / 蕎麦320円 / 奈良茶漬1000円

居酒屋の飲み代 700~1400円 / いなり寿司80円 / 鰻の蒲焼4000円 / カステラ9000円 /

 以上です。

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『推薦入試は嫌いです』

2014-09-23 07:07:07 | Weblog

学年保護者の方からあった質問に10月下旬に返答しなければなりません。

そこで、現在その資料を作成中です。

 

学校長推薦の要らないAO入試を実施する大学が減少しているそうです。

そもそもAO入試は基本的に学科試験を科さない入試。

一時期、亜細亜大学の一芸入試(けん玉チャンピオン)、

西武文理大学のBBQ(受験者が協力してバーベキューをする)入試などがテレビニュースで取り上げられ話題となりましたが、

今は、出願すれば合格という大学は当たり前すぎてニュースにもなりません。

よってその入試システムは下火傾向なのです。

 

大学としてAO入学生の追跡調査をしたところ問題点が判明したそうです。

大学入学後に学力不足で大学の授業についていけないことや、

入学後の退学者も多いことが明らかにされています。

国公立大学のAOや推薦試験ではセンター試験を科す大学が増加しています。

また、私大はAO入試を廃止、

又は縮小して公募制推薦入試にシフトしています。

公募制入試は、大学側にとってはメリットがあります。

それは、在学高校の学校長の推薦を求めていることです。

縁あって入学した学生が進級ができない、

成績不良等の問題が発生した場合には高校側に「推薦責任」というプレッシャーをかけることが可能となるからです。

指定校推薦も同様です。

関東地区の指定校推薦の合格率は約100%です。

私の知る限り、Wは書類提出だけで面接もしません。

ちなみに、関西の場合には指定校推薦であっても面接などで問題を感じた場合には不合格者を出しているそうです。

 

指定校推薦入試で入学した生徒は、

大学入学後も彼らの成績や出席状況などの報告を高校側は事あるごとに受けています。

「推薦で入学した学生の成績が芳しくない」ので、来年度は生徒を吟味してしっかりした生徒を送って欲しいと聞くことも稀な話ではありません。

特に、女子大はそのように言ってくる傾向が強いようです。

S大は受験者の増加もあり、そのへんはすごく強気です。

 

そこで私たち高校側は思うのです。

提出する志望動機の代筆に近い作業からの解放される。

できれば、高校生には一般入試をさせたいと。

 

在学中の欠席遅刻などの勤怠や在学中の成績はいっさい関係ない一般入試。

入学後に髪を染めようが、落第しようが、退学しようが・・。

高校側が責められることは無い一般入試がベターなのではないかと。

しかし、個人的には首都大学東京のAO入試は素晴しい試みだと思っています。

高校生が6月から7回程実施されるゼミナールを受講して、

授業中のレポートや受講生への質問等を通じて選抜されるという入試です。

浅い知識の受験勉強ではとても太刀打ちできる入試ではありません。

高校生でも専門分野への関心を持ち、専門書なども読み込み問題解決を試みることができるような高校生が求められているようです。

さらに、その入試では実際の大学の講義の受講という点がポイントです。

受験生獲得競争にある多くの大学は、オープンキャンパス等に特別の講義を設定して受験生の心を掴むのにやっきです。

「ディズニーランドの○○」の特別講義はよくあるその手の講義です。

今週から、あらたに開始される学会の勉強会では海外の大学の広報戦略について学びます。

忙しい日常ではありますが、新たな事が始まることが楽しみでもあります。

 

 

 

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『お世話になったmomiさんとの別れ』

2014-09-16 07:07:07 | Weblog

先日、職場で一番お世話になっていた先輩がなくなりました。

私とは15歳違いの数学科の先輩。

55歳で早期退職されていたので、退職後10年以上は経過していますが

退職後も年に2回ほどお誘いして近況報告会をしてきました。

春先にも、満開の桜について語ながら楽しい時をもったばかりだったのですが・・。

 

入校後、私が22歳の頃からすごくお世話になってきました。

ご自宅で何度も夕飯を食べさせていただき、

飲みすぎて何度も泊めていただきもしました。

一回、私の自宅訪問をされたことがあり、

冷凍室で凍りついたタコを刺し身に一杯飲んだことも良き思い出です。

当時あまりにも切れない包丁を使用していた私に

刃渡り30センチの刺身包丁をプレゼントしてくれたのもMさんです。

結婚の記念に頂いたキレの良い包丁ですが、

いまだに活躍しています。

 

Mさんは

「本を読みなさい。勉強しなさい。」と発するのが口癖。

高等学校の商業科は今後無くなる可能性が大きいので、

早いうちからダブル免許を取るように私に促してくれたのもMさん。

今、私が教員として生活できているのもmomiさんのおかげです。

 

運動音痴な私にテニス、バドミントン、釣り、スキーなどを教えてくれたのもMさんでした。

運動で汗をかいた後は、必ず反省会を実施。

職場近くの酒場廻りは日常でした。

数え切れない位に、サシで酒を飲みました。

私が所帯をもった後も、

男二人でいっしょにイタリア、フランス、イギリスにも旅した仲です。

誰が考えても不思議ですよね。

 

訃報は突然でした。

葬儀はすでに終了したらしい。

お姉様がショックを受けていて誰とも会っていただけないという話を人を介して聞きました。

それを聞いて、いてもたってもいられない私は、

翌日一人暮らしの先輩宅を訪問しました。

留守宅には鍵がかけられていました。

そこで両隣のお宅を訪問して事情をお聞きしました。

 

9月初旬に玄関ドアに鍵がかけられたままになっていて、

不審に思ったお隣さんが警察に通報したことがわかりました。

警察が立ち入って調べてみると

Mさんは、そのまま、二階の寝室で亡くなっていたそうです。

お酒を飲んで帰宅して、そのまま命が果てたのかもしれません。

すごくMさんらしいし死に方にも思えますが・・。

今まで感じたことのないような不思議な寂しさを感じている私です。

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『メルボルン訪問記』

2014-09-09 07:07:07 | Weblog

メルボルン訪問記

 

今回で4回目の訪問となったメルボルンです。

今までに一番寒く、雨が多い時期の訪問となりました。

訪問場所は、メルボルンから車で30分程の場所にあるビーコンズフィールド。

毎年に開発が進み、子供の数が増加している地区です。

そんな勢いのあるメルボルン隣駅のオフィーサー地区にも最近キャンパスを増設している勢いのある学校です。

 

姉妹校は仮設住宅のような簡易式の教室が点在するキャンパス構成です。

簡易式渡り廊下で各教室が結ばれています。

 

なお、1オーストラリアドルは約100円。

500mmボトルミネラルウーオーターが約3ドル。

TIMTAMというチョコレートビスケットが約4ドル。

ヤラ川沿いの岸辺に点在するレストランのランチセット価格は約16ドル。

毎年食べている、子羊のすね肉の煮込みがランチで27ドル。

夕食時に食べたカンガルーのステーキが35ドル。

確実に毎年物価が上昇しています。

率直に言って日本よりも物価が高いと感じました。

最近、メルボルンに出店したというユニクロ商品の価格は日本の約2倍。

100円商品で有名なダイソーの商品は約3ドルと3倍の価格でした。

ハッピーターンという日本的な米菓が山と積まれていました。

 

今回はオーストラリアの中高生の昼食の様子を書いてみます。

教室は勉強する場所なので、食事はできません。

また、食堂も完備されていません。

ということで、生徒たちは歩きながらサンドイッチを食べたり

中庭や教室の外廊下に座り込んで食べたりしています。

雨の日だけは、特別に体育館が解放されてそこで食事をとっていました。

 

金曜日のスタッフルームにリセスタイムの時間にお邪魔しました。

先生たちは、明日が休日ということでウキウキしています。

リセスには各自持ち寄ったケーキやクッキーがテーブルいっぱいに置かれていました。

ワインの交換をしている先生方。

自宅から卵を持ってきて販売している先生。

くじ引きが始まり、名前が呼び上げられるとその人は当たり!

市販のクッキーを何名かの先生が手にしていました。

月曜日の朝のリセスタイムとは比較にならないほど

とにかく、楽しさが伝わってくるスタッフルームでした。

 

休日には、「myki(マイキ)」と」呼ばれるパスモに似たカードを利用してフットボール場へいき

オージーフットボールを一人で見てきました。

メルボルンからトヨタ工場が今年撤退するそうです。

何年か前に、東京とメルボルンの直行便がなくなりました。

市内を歩いていても、中国人の方の多さが目立ち、日本人に出会うことは殆どありませんでした。

落ち着いていて伝統があり過ごしやすい街なのに日本との縁が少なくなっていくのは寂しいかぎりです。

ーーーーーーーーーーーーーーー

さて、いよいよ学校が再開されました。

仕事モードは一気にフルスピードです。

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『夏のドライブ』

2014-09-03 07:07:07 | Weblog

職場の同僚の峯さんとビートで小旅行をしました。

2年程前にツーリングをしたことがありました。

彼は900CCの大型バイク。

私は軽自動車のオープンカー。

今回は、私の小さな車に体の大きな二人が乗り込んでの珍道中でした。

 

仕事を終えて、17時過ぎに東京を出発。

宿に到着する前に日光・今市地区では有名な餃子屋さん(正嗣)で夕食を済ませました。

当日、鬼怒川周辺はたいへんな大雨。

休み無く雷が鳴り響き、夜なのに空は異様に明るくなっていました。

ホテルの露天風呂に入っていることに恐怖を覚えるような凄い雨でした。

 

大雨に打たれ冷たくなった体を大浴場で体を温め、

部屋でイモ焼酎を飲みながら様々なことを語りあいました。

 

翌日は、中禅寺湖へと車を走らせました。

丸沼高原に向かう途中では、猿の親子を目撃しました。

昼食をとる目的で丸沼高原から「道の駅川場」に向かいました。

広大な道の駅でした。

産直品の販売所、イタリアン、そば、とんかつ、等のレストランが別棟として鯉が泳ぎ、何羽かの鵞鳥が歩き回る中庭を中心に点在していました。

人の数、駐車場の大きさにもまた驚かされました。

 

昼食後に向かったのは、赤木山にある赤城神社です。

人も殆どいなくて、静かな湖畔にある神社でした。

アベック、いや若い男女が多い場所でした。

 

そのまま、一般道で埼玉方面に車を走らせました。

途中、イオンモール羽生で休憩。

直線距離で、400メートルもある長いもショッピングモールを見るのは初めてでした。

それほど乗り心地が良い軽自動車ではないので、振動で疲れましたが・・。

帰宅途中には目の前で打ち上げ花火を見ることもできました。

 

珍道中ですが、なかなか面白い旅でした。

*オーストラリアメルボルンから明日、日本に戻ります。

そして、明後日から仕事が始まります。

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