芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

『関係する女・・』

2010-11-30 10:00:00 | Weblog

斎藤環さんの『関係する女 所有する男』(講談社現代新書)を読んだ。

タイトルにあるように男は所有、女は関係が書かれていた。

 

「第三章 すべての結婚はなぜ不幸なのか」

の内容の真偽は別としても、納得してしまう記述が多々見られた。

まずは、結婚生活におけるすれ違い。

 

・お金・・男は必要ならば、1ドルの品物に2ドルでも払う。

      女はたとえ必要でなくても、セール中なら2ドルの品物を1ドルで買う。

・未来・・女は結婚するまで、未来について思い悩んでいる。

      男は結婚するまで、未来を思いわずらうことはない。

・結婚・・女は男が変わることを期待して結婚するが、男は変わらない。

      男は女に変わらないことを期待して結婚するが、女は変わってしまう。

 

やけに納得してしまうといったら女性に叱られるかもしれないが・・。

 

男性は「所有」、女性は「関係」。

異性の体でどこに魅力を感じるかという質問では、

男性と女性の意見はかなり異なる。

男性の平均的な意見が、

ほとんど胸やお尻に集中している。

それは女性の身体そのものに欲望できることを意味しているそうだ。

「女性のモノ化」であり、

 「所有の視線」だ。

対して女性の場合は「腕」、「ユビ」、「眼」に集中しているそうだ。

腕と腕がくまれることで二人の関係は繋がれる、

指と指が触れることでも関係が繋がる、

そして眼と眼が合うことで関係が生れる。

 

性差は縮まっているのではないか?

性差を行動で明確に分けることが明確に出来るのであろうか?

とジェンダー論議にはそれ程、興味を感じていない私であるが、

ここの記述については妙に納得してしまった。

プラス下記の一文を付け加えておこう。

「女性が鏡に映して自分を見るのは、

自分の姿をみるためでなく、

自分がどんなふうに他人に見られるかを確かめるためだ」

(アンリ・ド・レニエ)

男性がゴミ出しする時に身なりは気にしないかもしれない。

もちろんゴミ出し前に、自分の姿、

特に顔を鏡を見て確認はしないだろう。

私は外出時も自分の姿を確認しない頻度も多い。

男性の傾向に対して確かに、女性はゴミ出し前でも

近所の目を気にして鏡で自らの姿を確認するかもしれない。

なるほど・・の本であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『Iphone4』

2010-11-23 10:10:10 | Weblog

「もったいない」

私は物を大切にして、長く所有していくタイプである。

大学の入学式用に購入したエンジ色のネクタイもまだ健在だ。

車も、すでに13年間を超えている。

十分にエコカー減税の対象車なのである。

そんな私であるが、わずか二年間使用のケイタイを機種変更してしまった。

それはIPHONE3からIPHONE4への変更である。

まだまだ絶好調な の携帯電話だが、

ソフトバンクの不思議な料金システムにより仕方なく変更した次第である。

つまり、このまま、持ち続けて大事に使用するよりも

“4”に変更した方が月に約1,500円安くなるというのだ。

支出として年にして36,000円安くなることに加えて、

コンピュータの処理速度が増している。

インターネットを利用する際のスピードが増しているのだ。

ノットリからサクサクという感じである。

今後、二年間所有しなければならないという拘束は生じるが、

ゼロ円での機種変更。

ちょっと得な買い物をした気分である。

古いは暫く、視界に入らない机の中に保管していくことにした。

少し大きく、重めのアイポッドとして利用することにするつもりだ。

 

を新たに手に入れることを約一カ月前に決意した。

そして、約一カ月前に

uwat教授からご紹介していただいた

grove竹製の携帯ケースをアメリカのサイトに予約注文した。

(先生が作業を手助けされた作品の1つかもしれない)

http://www.grovemade.com/

竹製ではあるが、日本のメーカーの作品ではない。

ほんのりと竹の香りがしている。

本体の金属むき出しの冷たさも消すことができた。

木製カバーとしての温かさがあるように感じる。

その作品自体の手作り感も気にいっている。

そのケータイを手にする私の姿がにケータイが醸し出すイメージにあっているかどうかは判らないが・・。

 

販売店では、古いケイタイから新しいケイタイへのアプリの変更や連絡先の移行等はしてもらえなかった。

恥ずかしい話だが、データ移行で2日間かかってしまった。

データが全て消えたらどうしようかという迷いながらの作業だった。

悪戦苦闘の数時間が経過。

やれやれ、問題解決である。

現在、快適に稼働中。

我に返ってよくよく考えてみると

携帯電話は所持していても殆んど電話はかかってこないし、かけることもない。

同様にメールも殆んどカエルメールだけである・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『○○なう。』

2010-11-16 10:00:00 | Weblog

「ナウい」は1970年代後半まで流行した若者言葉だ。

当時流行ったTBSの番組タイトルは「ぎんざNOW!」。

関根勉などのデビューの切っ掛けとなった番組だ。

そんな時代の若者はもう50歳を超えている。

今となっては死語となってしまった「ナウ」。

懐かしい言葉である。

そのような訳でそれを殆んど耳にすることも無い言葉だが、

近頃、それを目にする機会が増している。

それはツイッターを見ているとたびたび登場する「ナウ」だ。

そういえば新潟のYさんのツイッターにも、

たびたび出てくる“なう”。

「・・当確なう」

言葉は時代とともに変化している。

もちろんカタカナ表記とひらがな表記では、

音による違いの認識は不可能なので、

ナウいをしっている世代の人は懐かしさを感じるかもしれない。

また、当時の言葉ナウいを知らなければ

今風のツイッターで多用される流行語として認識されるのかもしれない。

 

昨日、湯山玲子さんの『女装する女』を読んだ。

男性がどんどん「女性化」している という。

 

身近にいる高校生は確かに校則で決められた髪型があり、

そのルールの境界線上の髪型かどうかを検査する場合がある。

検査で髪をカットするか、

しないかでこだわりを見せるのは男子高校生だ。

最近ではどちらかと言えば女子生徒の方が潔いのである。

 

「草食男子」と言う言葉も流行っている。

少子化の影響からか一人っ子も増加。

暑くも寒くもならないような一年中快適な個室で育つ彼らには

親から、体と心にたっぷりの栄養を与えられてもいる。

 

そんな優しく、従順で、

しかも架空の女性にも興味をいだいている

育ちの良い彼らの中には

秋葉原に行くことを好む者も多い。

アニメ、フィギアを愛好していることを口外している男性も増加中だ。

そのような日本男児を振り向かせるために、

女性は必死に「女装」する手立てをするのしかないのかもしれない。

IKKO、假屋崎省吾、KABA.ちゃん、真島茂樹、はるな愛、

ミッツマングローブにマツコデラックス。

テレビ業界では飽きられては、

次から次へと使い捨てにされる

「女装する男性」たち。

 

オペラ、バレーで「男装する女性」は、

その姿でタレント活動しているタレントはまだ殆んどいない。

今後、増えるのであろうか?

今後、「男装する男性」も出てくるのであろうか?

今宵も疑問はつきそうにない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『チデジ化』

2010-11-09 10:00:00 | Weblog

実家は新幹線の線路からそれ程離れていない場所にある。

新幹線が通過するたびに家が揺れていたことは体が覚えている感覚だ。

新幹線が急激に走り過ぎていく揺れと音に初めての人はびっくりするかもしれない。

新幹線が通過するたびにテレビの受像電波が乱れてもいた。

その対策としてある時期から難視聴対策として

共同アンテナケーブルが利用されるようになった。

それはケーブルテレビではない共同のケーブルだと記憶している。

 

そんな実家でも最近テレビを大型のチデジ対応テレビに買い替えた。

しかしながら、

折角画像が綺麗なデジタル映像を受信できるテレビを購入したのに、

未だにアナログ放送を受信している。

その理由は簡単だ。

現在見えているテレビ東京の番組が見られなくなってしまうのだ。

子どもたちは、多くのアニメ番組が見られるテレ東が大好きだ。

おはスタ、NARUTO、遊☆戯☆王、ポケットモンスター ・・。

 

チデジにすると静岡の放送局しか見られないのだ。

静岡第一テレビ(日テレ系)、

テレビ静岡(フジ系)、

静岡朝日放送(テレ朝系)、

静岡放送(TBS系)。

なんとも不思議な、そして訳の分からない話である。

チデジにしないとテレビが見られなくなる。

チャラクターのチデジカ君とチデジ大使たちがチデジへの移行をあおっている。

チデジに移行すると地方の民放局しか見られないなんて・・。

今までは見えていた放送局が見られなくなるなんて・・。

 

台風による甚大な被害を被った奄美大島は数日間携帯電話が不通になっていた。

かりに東京にいて奄美の現地の詳細な情報が欲しい場合には

インターネットを検索するであろう。

しかしながら

今回はインターネットで奄美情報の更新はしばらくなされなかった。

奄美情報は携帯電話の不通期間と同じ日数、

更新されなかったのである。

インターネットに加えて

ローカルテレビの視聴という手立てがあっても良い気がする。

当たり前の話だが地方局のニュースの中心は地方そのものだ。

地方ニュースを視聴できるだけで安心感が増すかもしれない。

 

14日(日)には、

高校サッカー選手権への出場をかけて母校が決勝戦を戦うらしい。

もちろん県内全域は生放送でテレビ放映もされる。

私もできれば生でテレビ番組を視聴したいのだが、・・叶わない。

インターネット登場の前後を経験してきているだけに、

チデジで変わることの変化の物足りなさを感じてしまう。

まず、既得権益の保護ありきで計画がされていないだろうか。

総務省や東京にあるキ―局の既得権益保護の為のチデジでは視聴者に背を向けられてしまう危険性大だ。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『君が代』

2010-11-02 13:03:50 | Weblog

国歌である「君が代」を聞く機会は殆ど無い。

その多くはスポーツイベントにおいてではないだろうか。

オリンピックの表彰式、ボクシングやサッカーの国際試合前などだ。

スポーツイベント以外では、学校の「卒業式」であろうか。

その国歌の由来について私は全く知らなかったが、

内田樹さんの『日本辺境論』にそれについての記載があった。

 

 「「君が代」の歌詞は古今和歌集に収録されていた賀歌を原型とするものであるが、最初に曲をつけたのはイギリス公使館にいた軍楽隊長のジョン・ウィリアム・フェントンです。それが洋風の音階でなじみが悪かったために、宮内省の雅楽の伶人によって改作され、それをドイツ人フランツ・エッケルトがアレンジした。そもそもフェルトンがヨーロッパではどこの国でも国歌というものがあって、儀礼の時には演奏するものである、日本だけないとまずい、とアドヴァイスしたことが国家制定のきっかけです。」

 

他の国もそうなので、皆さんそうしているので・・。日本人の特性を表わす表現として言われることであるが国歌制定についても、そのような経緯があったのであれば納得できる話である。

 

 また、内田さんは国旗「日の丸」についても述べている。

 

 「「日の丸」というのはご存じのとおり「日本」「日ノ本」「日出づる処」の図象的表現です。地学の基礎知識があればわかりますが、「日ノ本」というのは「あるところから見て東方に位置するところ」ということです。「あるところ」とはもちろん中国です。「日本というのは「中国から見て東にある国」ということです。それはベトナムは「越南」と称したのと同じロジックによるものです。」

 

 英語教育の論文では、フィンランドの優れた教育方法を日本のそれに応用しようというのがブームとなっている。福祉政策もそうだ。日本の核というものがあって、その核をゆるがさずに他の良いことを模倣して、より良いものを作っていくことこそ、日本らしさをあらわすことができるような気がする。それが、日本の「ふるまい」ではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする