斎藤環さんの『関係する女 所有する男』(講談社現代新書)を読んだ。
タイトルにあるように男は所有、女は関係が書かれていた。
「第三章 すべての結婚はなぜ不幸なのか」
の内容の真偽は別としても、納得してしまう記述が多々見られた。
まずは、結婚生活におけるすれ違い。
・お金・・男は必要ならば、1ドルの品物に2ドルでも払う。
女はたとえ必要でなくても、セール中なら2ドルの品物を1ドルで買う。
・未来・・女は結婚するまで、未来について思い悩んでいる。
男は結婚するまで、未来を思いわずらうことはない。
・結婚・・女は男が変わることを期待して結婚するが、男は変わらない。
男は女に変わらないことを期待して結婚するが、女は変わってしまう。
やけに納得してしまうといったら女性に叱られるかもしれないが・・。
男性は「所有」、女性は「関係」。
異性の体でどこに魅力を感じるかという質問では、
男性と女性の意見はかなり異なる。
男性の平均的な意見が、
ほとんど胸やお尻に集中している。
それは女性の身体そのものに欲望できることを意味しているそうだ。
「女性のモノ化」であり、
「所有の視線」だ。
対して女性の場合は「腕」、「ユビ」、「眼」に集中しているそうだ。
腕と腕がくまれることで二人の関係は繋がれる、
指と指が触れることでも関係が繋がる、
そして眼と眼が合うことで関係が生れる。
性差は縮まっているのではないか?
性差を行動で明確に分けることが明確に出来るのであろうか?
とジェンダー論議にはそれ程、興味を感じていない私であるが、
ここの記述については妙に納得してしまった。
プラス下記の一文を付け加えておこう。
「女性が鏡に映して自分を見るのは、
自分の姿をみるためでなく、
自分がどんなふうに他人に見られるかを確かめるためだ」
(アンリ・ド・レニエ)
男性がゴミ出しする時に身なりは気にしないかもしれない。
もちろんゴミ出し前に、自分の姿、
特に顔を鏡を見て確認はしないだろう。
私は外出時も自分の姿を確認しない頻度も多い。
男性の傾向に対して確かに、女性はゴミ出し前でも
近所の目を気にして鏡で自らの姿を確認するかもしれない。
なるほど・・の本であった。