芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

ドコモのコドモ

2008-06-30 23:06:20 | Weblog
 最近のTVコマーシャルで気になるコマーシャルがある。
それは、女優、堀北真希が登場するドコモのTVコマーシャルだ。
おじさんとして堀北真希がスキと言うわけではない。
まず堀北真希起用は、
ソフトバンクの上戸 彩 への対抗馬としての起用がミエミエである。
ボーイッシュな若い女性を起用することで男女を問わないで
若者へのイメージアップを図ったのではないだろうか。
 辛口の批評をすれば、まだソフトバンクの二番煎じ的なコマーシャルであり、
若者の心を掴むまでは至っていないと思われる。
 再度、話を戻すとこのコマーシャルから伝わってくるのは、ドコモの変化だ。
NTTが携帯電話の発売をしてから、
大きな区分けでは第三期に突入しているように思われ私は判断している。
私が区分けする三期は以下である。
 1)ディズニー
 2)ドコモダケ
 3)ドコモダケとの決別

1)のディズニーとは当初、NTTドコモは契約を交わしていた。
ドコモの携帯電話のイメージキャラクターとして広告媒体に多用され、
ドコモだけでなく日本における携帯電話のイメージアップに貢献した功績は大であった。
 そんなドコモも高額なパテント料削減の為に登場させたのが、
ドコモダケである。私はこれが分岐点だったと判断している。
駄洒落を言っている余裕など無かったはずなのにドコモだけという市場占有率一位の思い上がりがあったのではないだろうか。

 3)のドコモダケとの決別については、最近強く感じている。
コマーシャルには、ドコモダケは一切登場しない。
女子高生のカバンにもドコモダケのマスコットを付けている生徒も殆どみかけない。
ダサさが忍び寄ってくると、負のイメージ増加にもなってしまう。
 そういえば、ディズニーを再度携帯と結びつけたのはソフトバンクだ。
ディズニー携帯の経営実態は不明だがディズニーはソフトバンク携帯のイメージ向上に貢献しているのではないだろうか?
さらに運を見方に付けたように
ソフトバンクはiPhone(アイフォン)」の発売でさらにイメージアップすることは間違いないであろうし、
日本の携帯会社の今後の経営戦力をも変えさせてしまうかもしれない。
少々、ドコモに冷たくソフトバンクに甘いコメントを閉じようと思う。
なぜ、私が今回このようなブログを書いたのかはドコモにがんばってほしいにつきるのである。
なぜ、ソフトバンク加入者同士での会話が無料だったのかを考えてほしい。
それは、ソフトバンクが業界三位に甘んじその加入者も少ない故に、
必然的に携帯電話を利用してドコモの携帯やAUの携帯に電話をする必然性によってソフトバンクの収益基盤が成り立っていたということを。
NTTドコモが会員間の会話を無料にしたら意味がないのである。
冒頭で述べた堀北のコマーシャルからは、企業の積極的な企業戦略は感じられない。マイナスを減少させないための他者の真似ではダメだと思う。
第三世代はもっとも強力なはずだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

K's工房個展

2008-06-24 23:07:10 | Weblog
K's工房個展(24~29日)
「ゆりの木」(JR中央線国立駅南口)
 本日渡辺和枝さんの陶芸展示会に行ってきた。
 一昨年の作品展示会に以来なので、はや二年ぶりということになる。
 前回購入したコーヒーカップは私のお気に入りで、鬼怒川の別宅で使用している。
 オベンチャラをいっても仕方ないので本心を述べるが
 本当に自然に囲まれた環境のなかで使用するコーヒーカップは自然に調和している。
 使い込むことで色合いも変化してきた。
 コーヒー豆専売店で苦味と酸味のバランスのとれたお気に入りのコーヒー豆を気に入った焦げ目が付くまでローストしてもらう。
 その香りは大変強く袋を開けた瞬間に部屋一面がコーヒーの香りで包まれる。
 お気に入りの場所で、
 お気に入りのカップに、
 お気に入りのコーヒーを入れて飲むときの至福の幸せがある。
 陶芸家である渡辺さんが言われたように作品は日常の品として使用させていただいている。
 社会学において「場によって演じる」とか、
「仮面をかぶる」という表現で違った自分を演じる、
 ということもよく言われていることかと思う。
 今日の作品を見てつくづく思うのだが、
 陶芸家を含めた芸術家の作品は、陶芸家を演じているわけではなく、
 陶芸家の純粋なる心の底からの感覚が作品となっているように感じられる。
 大量生産で作成される工業製品のように決して形が良いわけではない。
(ゴメンナサイ)
 でもすごく作品が訴えかけてくる。なぜだろう。
 それは素人の私でもわかる位に作者の思い入れと手間が感じられる。
 決して自宅にコーヒーカップが無いわけではない。
 ヨーロッパの貴族ご用達であると思われるいただき物の高級ブランド陶磁器も使用しているが、それは来客用だ。
 しかるに来客が殆ど無い我が家のコーヒーカップは新品同様である。
 なお、今回購入したカップも前回のモノと同様にクールだ。
 これも鬼怒川に置いておこうと思う。

 「近いうちに、ぜひ河口湖に遊びにいらっしゃい。」
 その言葉に甘えて是非河口湖の工房におじゃまし、陶芸体験をしてみたい。
 もっとも日頃疲弊している私の心からの魂を形にできるかどうかは不安であるが・・。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モンスターペアレントⅡ

2008-06-16 21:29:36 | Weblog
 前回の「モンスターペアレント」が好評で多くのPVがあった。
 昨日だけでも100をゆうに越えている。来訪者が増えれば、やはり嬉しいものである。と言うことで今回も二匹目のドジョウを狙う事にした。タイトルはズバリ、「モンスターペアレンツゥ~」だ。
(ここで笑いが取れなかったらどうしよう?)
 前回登場したキラファの加藤氏によると、怪物親はメディアに取り上げられるずっと以前から西日本に多く生息したという。親またはその代理人をなのり「893」または「右ががり」の人々が、学校の弱みに付け込み金銭要求をしてきたそうだ。そのような要求に応じない場合には、街宣車で学校に乗りつけ、爆音を響かせながら学校周辺を旋回したのである。
 そのような騒音対策を目的に、もっとも目的はカモフラージュし、文部科学省は平成16年2月に「学校環境衛生の基準」の改訂を行っている。
 それ以来、街宣車が学校周辺をウロツクことも無くなった。同時に学校が発する騒音についても近隣から騒音対策を求められるようになったのである。
 都内では、校舎の立替が至るところで行われている。家の側の区立小学校も20億もの大金が投入され校舎が生まれ変わった。地下2階、地上4階建てである。校庭に代えて、地下2階には広大な体育館が出現。昼休みには子供たちはそこに集い、遊んでいるようである。
 以前は、夜になると町が静かになり電車の踏み切りの警笛が風にのって聞こえてきたものである。また、平日の日中は校庭で遊ぶ子供たちの声も身近に聞こえていた。それらは、私にとってはまさに心地よい音であった。
 しかしながら、電車は地下鉄になってしまった。校庭は、地下体育館になってしまった。よって電車や子供の声といった快音は何処からも聞こえてこない。
 今や、地下にモグラないと生活している際に生ずる子供の声や電車の音も聞かれないのかもしれない。
 
雑記:6月14日(土)朝日新聞朝刊全国版に掲載。癒しとしての「おバカ」記事についての「キャラ論」瀬沼君のコメント拝見しました。スゴイにつきます。脱帽です。
 
 その他、先週読んだ本、土井隆義「友だち地獄」、「ロストジェネレーション」、菅野仁「友だち幻想」です。
 やはり、孤独が気になってそれに関連しそうな文献を漁っています。
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モンスターペアレント

2008-06-10 23:26:01 | Weblog
 学校に対してことある毎にクレームをつけてくる親を作家の向山陽一はモンスターペアレントと名付けた。(アメリカではヘリコプターペアレント)
 そんな怪物親の非常識なクレームや対応がメディアで取り上げられることも多くなった。それを話題とするテレビ番組では、プロを自称する教師が登場し、経験談を交えながら「今の親」のダメサを指摘している。信じがたいクレーム事例を述べながら。さらに、子育て中なるタレントもそれに参戦し、呆れた信じられない同級生の親の言動を得意げに語っている。
 学校の場合は、それが近年の傾向であるかのように番組を構成しているが本当だろうか?一般企業の場合は、昭和24年にお客様相談室がタクシー業界に設置されている。
 モンスターペアレントなる言葉がテレビ番組に初めて登場したのは2007年2月放映の「クローズアップ現代」である。まさに、そこから火が付き2007年6月には読売新聞・産経新聞にて親の理不尽な要求が取り上げられている。また、同月教育再生会議は「学校問題解決支援チームの設置」を提言する際にモンスターペアレントを取り上げてもいる。まさに、2007年がメルクマークなのである。
 では、なぜ2007年なんだろうか?キラファ教育研究所の加藤は、学校についての話題で「いじめ」問題が新鮮でなくなりメディアで取り上げても面白みがなくなっていたという。つまり、イジメに変わる何かを探していたメディアにとっては正に渡りに船であったと考えられるのである。
 教育現場に身を置くものとしても昨今の親のクレームの件数は増加していることや、その内容も過激であることを実感している。しかし、メディアがそれを取り上げたので火の無いところでさえも炎上しているという現状があるのではないだろうか?
 私がここで言いたいのは、まさにメディアが火をつけ、それを煽り、問題行動として報道している。しかも、その問題となっている火を消すためにはどうしたらよいのかといった偽善者にもなっていることだ。
 まさに、「マッチポンプ」である。そのようなマッチポンプ現象は著名な学者の著書や言動にも見られる現象である。しかしながら、一般大衆への影響の強い雑誌・テレビ・新聞においてはしっかり検討してから報道することをしてほしい。
 モンスターペアレントの話題は保護者にとっても興味深い話であり、メディアにとってもオイシイ話である。被害者となり、結果として疲弊してしまうのは学校現場の教師である。
 
 美貌?いや備忘録。今日もゼミでいろいろな文献について話が及びました。(タイトルの誤りがあるかもしれませんが)「子どもはかわったか」、「東京から考える」、「子供感の近代」、「中間文化論」、そして「文化社会学の視座」です。読んだことの無い自分が情けないので近日中に読破するつもりです。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結婚式

2008-06-03 23:39:21 | Weblog
 6月に突入してしまった。6月と言えばジュンブライドだ。確認する時間が取れないので思いつくままに書くが、きっと6月に結婚式を挙げると幸せになれるという言説は日本の結婚式場にとっては渡りに船であったろうと推察される。だって、日本において最も雨が多くて、憂鬱なこの時期に結婚式は似合わないと思うからだ。きっと閑散としているこの時期の結婚式場の使用頻度は、その風説により上がったに違いない。
 かつて勤務先が女子の商業高校であった時には、新婦の最終学歴の担任と言うことで何度も結婚式に参加して、新郎の主賓挨拶の次に挨拶を何度もしてきたことをこの時期は思い出す。総勢300人もの招待客の視線を浴びながらの結婚式のスピーチは今でも忘れられない思い出である。もちろん、祝儀も持参するのでこの時期は本当に物入りであった。今は、普通科の共学高校。招待を受けることも殆ど無くなり、金銭的な出費が少なくなるかと思っていたが私の年齢の増加に比例して不祝儀も増加しているのでやはり総額はトントンかもしれない。
 そんな私も何十年も前に結婚式をあげている。それも海外でだ。当時としては今のように海外結婚式のオプショナルパックもなく様々な所に手配して結婚式をオーストラリアのゴールドコーストで挙げた。今では、現地で結婚式をすることもできると思うが、多分先駆者に近かったと思われる。海外で式をあげた理由は、何点かあるが職場の同僚であったので特に職場の仲間を結婚式に呼んで我々を褒めてもらってもショウガナイという気持ちが一番であった。
 
 そもそも鉄道もない、車もないような交通手段のない時代には結婚はその地域に住んでいる人同士やその紹介であったはずだ。必然的に披露宴は、地縁、血縁関係者が参加して執り行なわれたのである。披露宴の場所も自宅や公民館のようなところであったろう。
 産業の発展に併せて、結婚式も様々な関連産業の商売の種になったのである。婚約したら給料の3ヶ月分のダイヤモンドを女性にプレゼント。結婚式には永遠の愛を誓い指輪を交換する。そして、高級ホテルでの式典、豪華に見える引き出物。
 つい何年か前には、「ジミ婚」なる言葉も流行したがまた少しづつ、「オリジナル」をキーワードに披露宴が派手になっているようである。
 最近新聞記事で少々、驚いてしまったのは新郎・新婦によるケーキ入刀は今や新郎新婦の両親もそれぞれのケーキに入刀するという。ケーキが3つ用意されるという新企画。さらに驚きなのはお色直しで新婦がウエディングドレスに着替える際に、新郎・新婦の母もドレスに着替えるそうである。もちろん、これらの企画はウエディングプランナーによって考え出されたアイデアであるが、その企画にのってくる親世代の意識の変化には興味深いものがある。
 いっそのこと、式典に参加する少女から老婆までの女性にはドレスを着ていただくこともよいのかもしれない。舞踏会のように・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする