芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

NHK紅白歌合戦

2008-11-26 21:54:19 | Weblog
昨日、NHK紅白歌合戦の出場者が発表された。
全国紙を始め、インターネット、
テレビニュースの芸能ニュースで
毎年大きなイベントであることを再確認するために過多な報道がされている。
民法各局のワイドショーでも、その話題に多くの時間をつぎ込み放映している。
国営?放送の一番組を民法各局こぞってPR。
なんてこの国は平和ボケな国なのだろうか?

以下に何点か疑問に感じていることを指摘してみたい。
まず、総合司会者の発表。
白組「中居正広」、紅組「仲間由起恵」。
司会者の発表日について、うさんくささを感じてしまう。
中居と仲間主演の「私は貝になりたい」という
TBS系映画に主演している。
その映画宣伝にならないように、
司会者発表を映画の封切日以前に発表することを控えたのは、
NHKなりの配慮とその戦略だろう。

 次に今年の目玉となる出場者たちだ。
 その目玉は殆どが民法の香りプンプンだ。
 日本テレビが出資して製作した映画「崖の上のポニョ」
を歌うのは藤岡藤巻と大橋のぞみだ。
 フジテレビは番組ヘキサゴンからのおバカキャラ「羞恥心」。
 テレビ朝日は番組と映画「相棒」の主役、水谷豊だそうだ。
 そして特別ゲストは、
 クリスマスに向け新たにアルバムを出したばかりな「エンヤ」。
 非営利主義の仮面をかぶったNHKらしいような?らしくないような・・。
 ここで、提言です。
 いっそのこと、
NHKを含めた各民放キー局の持ち回りで年末の歌合戦を行ってはどうでしょうか?
NHKホールなどという小さなホールでなく、
東京ドームのような何万人も入場できるような会場で実施する案も出てくるかもしれない。
 それにしても、
なぜ年末に歌合戦以外に「格闘技」、「お笑い」、「クイズ」なのだろうか?
番組企画制作において視聴率を稼げる番組という安易な考え。
出演者の多くは、安いギャラで出演している芸人たちだ。
しかも、殆どが録画ときている。
こうなったら、CS局でもぜひ、裏紅白歌合戦も面白いかもしれない。
黒組リーダーは闇組織のパーティーに参加した演歌歌手たち。
応援は、政党公認のDAIGOではどうだろうか。

 大衆が喜んで、NHK歌合戦を選択して視聴するとはどうしても思えない。
いや、それらの視聴者はメディアに影響を受けない可能性があるので
大衆という表記は的確ではないかもしれない。
12月31日には、初詣の多くの客と間違えてしまいそうな人々が、
レンタルビデオ店に向かう光景が目に浮かぶのは私だけでしょうか?

*自分の中の他の自分として最近の仕事ぶりを誉めてあげたい。
 来月実施のテスト作成完了。
 三者面談計画の策定とその資料の完成。
 16日以外の日曜、休日は全て来年度の生徒募集関係イベントで休日出勤。
 
 ア!来週のゼミでの発表が決まったので、
 急遽レジュメを作成しなければ・・。
 テーマは「病いと死」
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スプーンフィーディング(spoon-feeding)

2008-11-19 23:25:33 | Weblog
 突然ですが、“KISS”とは親鳥が雛鳥に口移しで食べ物を与える行為と同じであると
デズモンド・モリスの『マンウオッチング』に書かれています。
人間の場合にも離乳後に、親が食べ物を咀嚼して子供に口移しで与えていました。
唇と唇を合わせる、その行為は遺伝的に伝承されているのではないかとも言われています。
それは、つまり食べ物を食べさせる行為、フィーディングです。
 本題のスプーンフィーディングですが
「至れり尽くせり」とネットでは表記されていました。
しかしながら、その訳が何となくしっくりきません。
そこで、ここではそのまま「スプーンフィーディング」という語を使用していきます。
「スプーンフィーディング」とは
読んで字のごとく乳幼児、老人、その他障害を抱えている弱者が自分一人で食べることができないので、
援助者によって食べ物を食べさせてもらう行為です。
社会学では自分で食べることができるのに
いつまでも甘えて食べさせてもらっている過保護な状態をあらわすことに使用している表現です。
 日本の文化では習うことが主流で、老若男女、様々な教室に通い習い事をしています。
自ら学ぶことを教えることは、
学校教育においては其れほど重きが置かれていないようです。
実際の教育現場においても、学習者の学習に対しての受身的な姿勢が強く感じられます。
 多くの生徒や学生の受身的な学習傾向に対応し、
多くの高校や大学は「面倒見の良さ」を売りものにもしています。
現在の大学生は、かつての高校生。
現在の高校生はかつての中学生。
というように精神年齢が一段階下がっているとも言われます。
それは30歳成人説なるものとも同じ発想です。
このような現状を考えると
学校においてのスプーンフィーディング的な取り組みは殆どの学校において必要であると思います。
 実は大学院のM2の時に、
中堅の広告会社で3週間のインターンシップを体験したことがあります。
インターンシップの打ち合わせで、
部長に厳しく言われた言葉は今でも忘れられません。
「前年度にきた学生は酷かった。まったく勉強してきていない。」
部長は大学のインターンシップに対しての取り組みや考え方に不満を漏らし、
私に対しても不安でいっぱいという対応でした。
学生はインターンシップを単なる実習、気楽な実習だと考えていたのです。
対して会社は、それを実践練習と捉えていたのです。
その捉え方の差こそ問題であり、
インターンシップ継続の阻害要因にも成りえることを痛感しました。
実際に学校での充分な事前教育というスプーンフィーディングは必要です。
しかしながら、さらにそれに留まらず、
「教えてもらう姿勢から、自ら学ぶ姿勢への転換」の必要性を強く感じます。
受身的な思考では、世論操作の標的になること間違いなしです。
1933年、ヒトラーはベルリンのモーターショーで
「自動車が金権階級のものであるかぎり、自動車は国民を富める者と貧しき者にわけるものでしかない。・・われわれは今こそ、国民のための自動車をもつべきである」
とすべての国民が一台ずつ小型車を持てるようにするという飴を与えて国民の心をとらえました。
 現在の日本では、国民一人あたり1万2千円という政策が一人歩きしています。
このようなことも、テレビコメンテイターの意見だけではなく、
自分としてはどう思うのかが判断できるような学びが、
さらに重要になってきていると思います。

*東経大珠研の元幹事新井正彦さんが亡くなったそうです。
 桐生一高の野球部出身の新井さんの影響で珠算部がまるで野球部であるかのように朝練習や試合をしたことを思い出しました。
ご冥福をお祈りします。
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『田舎暮らしに殺されない法』を読んで

2008-11-12 21:18:16 | Weblog
欲望には終わりがない。
かつて一戸建て公団建売住宅を30年ローンで購入。
次に無性に手に入れたくなったのは別荘だ。
敷地は100坪以上。
できれば木の香るログハウス、
そしてサンタクロースが入ってこれそうな煙突付の暖炉。
別荘までの移動の手段には、
90年代初頭に発売されたばかりのトヨタの”Will”。
“Will”はシンデレラのカボチャの馬車を基にデザインされた車だからだ。
庭に植わっている木は高原を代表する白樺と桜。
庭にはせせらぎ。
夏でも冷たい小川にはスイカが冷えている。
実際に東京から2~3時間以内で行ける別荘地には冷やかし半分で何度か足を運んだものだ。
「軽井沢」、「十里木高原」、「山中湖」、そして「那須」

 私の理想とする、
そして夢見る別荘生活を現実に引き戻してくれたのは丸山健二さんの「田舎暮らしに殺されない法」だ。
 それは渡辺先生ご推薦の本でもある。
・ 庭を流れる小川でも土石流にやられる心配がある
・ 見晴らしのいい高台の日当たりのいい南側の斜面では崖崩れ、
  山崩れの発生で命を失う
・ 星に一番近い町にある、天国に一番近い病院
  その他にも多くの笑える現実が書かれている。

 私が鬼怒川に所有している書庫は丸山さんの言葉を借りれば、
「都会と田舎の両方のいいところを兼ね備えた中間的な空間」だ。
 駐車されているナンバープレートをみるとその殆どが首都圏からの人々である。
 もちろん地元の人との交流などまったくない。
 私の書庫別荘は冒頭のような理想とする別荘ではなく単なるマンションである。
 現地に到着したらすぐ入れる温泉とプールが完備。
 ホテルも併設しているので金さえあればフランス料理を食べることも可能だ。
 田舎にとってその建物は異物かもしれない。

 いつの日か理想とするようなログハウスの別荘ライフを楽しんでみたいと今でも 思っている。
 そのためには、一人前の大人として自立していないと田舎で暮らすべきではないと丸山氏は指摘している。
「職場における地位や、世間的な評価といったものを誇りや自尊心の土台にし、
一人前のおとなのふり」を現在の私はまだしているのかもしれない。
 筆者が指摘するように私自身も
「生きていけない、食べていけない、家族を養ってゆけないという強迫観念に駆られて、
一個の独立した人間であるべき条件のあれこれを悉く切り売り」
してきたのかもしれない。
 そして依存。
「親に依存し、学歴に依存し、社会に依存し、国家に依存し、家庭に依存し、酒に依存し・・
本当のあなたは、自身からも世間からも逃げて逃げて逃げまくってきたのではないでしょうか」と。
 確かに自分にも該当することばかりで納得してしまうが、実は逃げてもよいと私は思っている。
 社会学者の内田樹さんが言うようにそれは過去に逃げるのではなく、
未来に逃げることで今が楽になる気がする。

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「缶」と"CAN"

2008-11-05 21:55:21 | Weblog
 前回のスタバ缶に書き忘れたことをまず本日の始めとしたい。
それは、スタバのコーヒー缶でどうしても見つけられないマークがあったことだ。
通常、飲料缶始め、缶詰めの缶にも製缶会社の会社のロゴが小さく入っている。
日本で一番大きなシェアをもつ東洋製罐のマークは○の中に"CAN"と入っている。
二番手のシェアをもつ大和製缶の場合は、朝日を象徴としたマークだ。
ちなみに東洋製罐と大和製缶の二社で日本国内の80%以上の缶を製造している。
今までどの缶でも見つけられたのにどうしてだろうかという疑問が今でも残っている。
 さて、本日は東洋製罐でのアルバイトの話を中心に話を展開してみたい。
学生時代のバイトであり、
今から25年以上昔の話なのでかなり機械化されているとは思うことを前置きしておきたい。
 私の仕事は、缶コーヒーが出来上がる過程で、
プルトップ付の丸いアルミの蓋をラインに流す仕事だった。
30センチ位の長さに整然と並べられてダンボール箱に入っているアルミ製の蓋。
それらの両端に小指を掛け、親指も目いっぱい広げる。
それは、まさにマージャンパイを並べるような仕事だ。
8時間も連続してマージャンパイを並べることを想像してみてください。
それは、辛い仕事だった。
しかも、工場の中は金属がぶつかり合う轟音で会話が出来ないほどの煩さの中。
 疲れたからといって、少しでも休むようなことがあると全体のラインの動きが止まってしまう。
 その仕事に主に従事していたのはパートのおばさんたち。
 今も同様の仕事をパートや派遣従業員の人たちが行なっているのではないかと思います。
ベルトコンベアー式の流れ作業を中心としている工場は一度動かすと、
ずっと動かしていないと効率がわるい。
そのために、特に地方に点在している大企業の工場は24時間稼動している。
 24時間稼動している工場で勤務している労働者は一般的に3交代での勤務となっている。
 つまり8時間×3回転だ。
 一日の労働時間が8時間というのは、いったいどの様な根拠からそのように決まったのだろう?
 4回転で一日6時間労働も考えられそうな気もする。
 渡辺先生に紹介していただいたポール・ラファルグの「怠ける権利」を読んでみた。
 「働かざる者食うべからず」に同意するかどうかと問われるとそれに賛成してしまうが、
日本の産業が登り坂の時にひっきりなしに唱えられた言葉の背後にあったのは産業中心のイデオロギーであったのかもしれない。
 仮に日本で働いている労働者の総労働時間を大幅に減少させたら、
それはそれで世の中がうまく回るのかもしれない。
 居住地区を中心とする地域社会の活性化はシャッター銀座の復興だけではない。
 アメリカのカリフォルニアのサンラファエルという町で木曜の夜に行なわれるファーマーズマーケット。
 地域の農家の皆さんと住民との交流。
 オーストラリアのメルボルンへの留学生が口ぐちに語った、
 学校から帰った後の時間の長さと家族で過ごす地域。
 様々なことが結びついているような気がする。

 

 
 
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