芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

メディアとしての電話

2007-05-28 21:19:31 | Weblog
吉見俊哉さんの「メディアとしての電話」の書評を大学院に入ったばかりのころ書いた。尊敬する渡辺潤(juwat@tku.ac.jp)先生から出された課題だったのでなにが何でも期日を守り提出したことを覚えているhttp://www.tku.ac.jp/~juwat/seminar5-1.htmlとても懐かしい。電話については、時代を映し出す鏡であるとつくづく思う。先日職場の同僚と電話についての話になった。ダイヤル式の黒電話世代の私には本当に懐かしい。当時の黒電話は本当に貴重品であり、家財としても貴重品であった。その当時は、額に入った賞状は、壁にかけられたまま三角形で紫色をした賞状座布団の上に置かれていた。貴重品である電話も額縁同様に白いレースの上に置かれていた。それは電話本体の黒色を引き立てるとともにその貴重性を家族以外の他者にも示していた。だって昭和40年代の小学校の緊急連絡先は(呼)の後に電話番号という記載、つまり殆んどの家庭には電話がなく、電話のある家庭に電話がかかってきて呼び出していたからである。そのレースは他者への気遣いかもしれない。直接は話者同士を結ぶ役割を電話はするが、当時の電話は間接的にご近所同士をつなぐメディアであったかもしれない。また、電話の受話器の話口、口を当てる部分には何故だかアタッチメント式の芳香剤が付けられていた。その色調は白いソーメンの中に何本かピンクや淡い空色をしたソーメンが入っているような色遣いであり、形はウズ救命丸や救心のような銀色の小さな球形であった。白いレース同様に芳香剤も、呼び出しをした際の他者への配慮かもしれない。
今では、その固定電話のベルがなっても発信者を確認できなければ電話にでないことも多くなってきている。では、現在の電話の主役に躍り出た携帯電話はどうだろうか。さすがに他者の呼び出しには用いないが、携帯電話所有者の趣味や人柄を表す携帯ストラップ、あるいはヒカリモノでこてこてにデコレーションが目に付く。私は思うのである、メディア論でいうところの電車や車が足の延長であり、耳の延長がラジオ、目の延長がテレビならば携帯電話は耳の延長あり、眼の延長でもある。また、手の延長でもあるのだ。だからこそ、ネイルアートと同様のアートを携帯電話にも描こうとするのではないだろうか。
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中国の印象

2007-05-25 13:45:31 | Weblog
久しぶりに朝、テレビのワイドショーを見た。本当につまらない。日テレ、TBS、フジ、そしてテレビ朝日のどのチャンネルを回しても殆んど同じ話題だ。取り上げているトピックも殆んど同じ順なので、ザッピングしても変わらない映像だ。今日気になったのは、中国に対しての話題の取り上げ方だ。GDPでは、日本を抜き凄まじい勢いで経済発展をしている中国や、オリンピックに向け大きく変貌を遂げる中国、又は必要不可欠な貿易相手国である中国は取り上げない。もちろん、それらはニュースとしても面白みや新しさにかけるものということであろう。しかしながら、ディズニーランドを模した遊園地や生きた餌を提供するサファリパークの取り上げ方は異常である。オモシロおかしく編集した映像を流し、それについてありきたりのコメント(ひどいですね中国は・・)を発するタレントという名の素人コメンテーターたち。「番組を見ている視聴者は中国についてどう感じてしまうのか」について気になってしまう。中国製の土鍋に有害物質、中国製の歯磨きに致死量の有害物質と間髪を入れずに報道している。靖国問題を中国メディアがどのように報道しているかに対抗しての中国バッシングなのだろうか?いずれにしてもメディアで多くの国民が洗脳されてしまう危機感を抱かさずにはいられない。
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欧米化

2007-05-13 21:13:49 | Weblog
欧米化という突っ込みをする漫才師であるタカアンドトシ(http://mycasty.jp/taka/)にはすこぶる人気がある。テレビに登場する漫才師の中ではピカイチなのではないだろうか。彼らの欧米化を聞いてふと米化についてここに記してみようと思った。これは前回の「セックスウォッチング」に反応していただいた佐藤さんへの返答文でもある。
 5月2日よりスパイダーマン3が公開され、日本中の多くの映画館で上映されている。私自身も劇場に足を運びたい気持ちが半分ある。ある文献によるとスパイダーマンは、アメリカ合衆国の象徴である。それは、彼のコスチュームの色使いによるものである。つまり米国国旗の色使いと同じなのである。アメリカンヒーローであるスーパーマンのコスチュームも同様である。映画を鑑賞しながら、アメリカ人は正義のヒーローの身近な色使いにアメリカの正義感を再確認しているのかもしれない。では、日本ではどうだろうか?これも多くの識者がナショナリズムと結びつけて指摘をしている。銀色ベースに胸の赤が目立つウルトラマン、仮面ライダーの変身ベルトも何故だか中央は赤い。そしてゴレンジャーから始まる戦隊ヒーローたちも中央にいるのはレッドである。我々、日本人もTV番組や映画を通じて気づかぬうちにナショナリズムを感じさせられているのかもしれないし、アメリカ人と同様にアメリカの強さに賛美しているのかもしれない。最後に私の個人的な考えなのだが、日本人の心的部分では完全に米化されないと確信している。衣職住が完全に米化されてもである。理由は、国民性を表わすのに利用される次の例からである。
・アメリカ人には、「あなたはヒーローになりたいですね」
・イギリス人には「あなたはジェントルマンですね」
・ドイツ人には、「規則通り、マニュアルに記述されています」
・日本人には「皆さんにそうして頂いております」
個人主義に陥っていると揶揄されることが多い現代の若者たちにも「みんながしている。みんなが買っている。」という安心感にどっぷり浸かっている。まさに若者に遺伝子のごとく引き継がれている。それは日本の教育システムと深い関わりがあると思うのはわたしだけであろうか?
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セックスウォッチング

2007-05-09 22:14:48 | Weblog
今回もデズモンド・モリスの作品についての書評である。タイトルがセックスとあるので、ジェンダー論と絡めた人間の行動観察だろうと推測してくれる人は社会学の研究者ぐらいかもしれない。この本を通勤途中の電車で読んでいると、なぜかしらそのタイトルに注がれる視線が気にかかる。きっとその視線の意味するものは、中年男が社内にも関わらずエロ本を読んでいると誤解しているものであろう。さて、私にとって特に関心したのは月経についての記述である。人類学者のクリス・ナイトによると身近に一緒に暮らしている女たちは月経周期を同調させる傾向があると言う。(1960年代のポップコンサートでキャーキャー叫び、感情的に一体となった若い女性の月経周期が同調)狩猟時代においては男は狩りに、女はみんな一緒に暮らして男たちの帰りを待った。女は、大量の出血をすることで自分を魅力のない状態にした。獲物を男たちが持ち帰ったらセックスするという約束で、出血が終わるまで男たちを長い狩猟に出かけさせる効果があったという。この説には、関心しきるな私であるが、職場でちょっとした一言として話すには躊躇してしまう。それは、タイトルのせいであろうか?それとも異性のしかも月経についての内容からだろうか?40名の男女に話す機会が本日あったにも関わらず、顔を赤らめてしまった拙者でした。
コメント (1)
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