芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

キヨショウ(清商)

2008-09-26 21:16:13 | Weblog
キヨショウ(清商)とは耳慣れない言葉であろう。
それは何を隠そう私の出身高校の略称である。
そんなキヨショウが無くなるという事を最近耳にした。
何でも2つの公立高校を合併させて一つの高校を作るそうだ。
両校の名前はあえて吸収合併ではないことを示すために残さないと言う。
→新しい魅力ある一つの学校を創るという言葉には疑問を常に感じている。
 地方においても経済が疲弊している。
この日本では就業者の10人に1人が建設業関係者だ。
公に仕事を作り出していくためには、かつては経済成長に乗じるように道路を建設してきた。
不必要な道路に変わっての大義名分となる建築物は学校の校舎に間違いない。
さらに県庁等の行政機関にOBOGが多数勤務している県内の一流進学校は統合の対象にならないのはなぜだろうか?
私学に対しては新校舎建築に対して一切の補助金も出ないが、公立は全額税金からの支出だ。
そんな箱物行政の犠牲にキヨショウもなってしまうと思うと、
卒業してから何年も経っている私でも何か寂しさを感じてしまう。
大正11年創立。創立以来86年。
甲子園出場4回。
全国高校サッカー選手権大会出場11回、3回優勝しているキヨショウがである。
伝統校キヨショウの校歌の作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰である。
偶然にも私の勤務校の校歌と同じ作詞者と作曲者とは何たる縁だろうか。

伝統校ゆえに応援歌も存在している。
今、この文章を書いているとあの歌詞とメロディーが遠い過去より引き戻される。
♪桜が丘に吹きすさぶ、嵐に散るや花吹雪。♪
♪フルエ!フルエ!いざやいざフルエ‼♪
♪聞けや我等の雄雄しき叫びを桜稜健児♪
♪富士の高嶺を仰いでみれば、とこやれさのさ。♪
♪たくすこの覇気、ああああ~たくすこの覇気意気の良さ!♪
♪さて、そうずらな。さてそうずらな。♪
♪それさてさてさて、やっきりさっとな。♪
♪時は今ぞ!我が栄光を打ち立てんかな。おうりょうじ。♪
♪時は来たり、我ら来たり、時は今ぞ。打ち勝たん。♪
♪フルェ、フルェ、フルェ、フルェ。♪
→私の活きの良さもキヨショウのお陰かもしれない。
応援歌のフレーズに加えて印象深いのが”キヨショウサンバ:♪ I say Te Amo♪”だ。
http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/kiyoshobrass/lst?.dir=/ae59&.order=&.view=l&.src=bc&.done=http%3a//briefcase.yahoo.co.jp/
構造不況業種だらけで日本のブラジルと揶揄されることもある清水。
清水にはブラジルのサンバがあっているのかもしれない。
高校サッカーの応援に初めてサンバを取り入れたのはたぶんキヨショウだろう。
(プロサッカー選手レッズのMF小野や磐田のゴールキーパー川口もキヨショウサンバに勇気付けられたはずだ)
今、私はブラジル音楽にはまっている。
帰宅する電車の中でサンバ。
サンバ24・・(また駄洒落。)
何か勇気づけられるし、気分が高揚する。
ブラジル音楽に愛着を感じるのもこの当時の影響があるのかもしれない。
キヨショウ(清商)学園高校に一票。



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☆コンペートー☆

2008-09-19 22:28:50 | Weblog
衆議員選挙が10月26に行なわれるようだ。
現在、自民党の総裁候補選挙真っ只中である。
5人の候補が何か頼りなく、私には将棋の駒に見えてしまう。
勿論、一人転んでも連鎖反応でみな転びそう。
まさに「将棋倒し」になりそうな気配だ。
(ちなみに「将棋倒し」は放送禁止用語だそうです。)

政治のことを話題にしたのには理由があるのだ。
この前の休日に突然我が家に訪問者があった。
かれらは私が勤務している学校の卒業生とその両親である。
私が彼女の担任をしたのは、今を遡る事8年も前である。

我が家の近くまで来たので挨拶に伺ったとの理由をつけていたが、
明らかに衆議院選挙に向けた活動である。
「比例区ではコンペートーを宜しくお願いします」ということが訪問の主旨であった。
話が長くなるのもいやなので、笑顔を振りまきお帰りいただいた。
でも、少々捻くれている私は「絶対にいれるものか」と思っている。

不思議でしょうがないのである。
相手がどう思うかをまったくわかっていないとしか思えない。
政党の為に彼らが出来ることを彼らがよいと思ってやっているとしか思えない。

そのような疑問からふと大学院2年時に行なった「インターンシップ」を思いだしてしまった。
中堅の広告会社での3週間にも及ぶ真夏のインターンシップである。
一番そこで学んだ事、一番そこで自ら痛感したことは「焦点を絞ること」である。
限られた時間やお金という資源を最も有効に活用し、最大の効果をもたらす為には顧客にピントを合わせて、何を媒体としていくのかを決めて、納期までに完成させさせなくてはならない。
それは、まさに私の日頃の教育実践にも当てはまるのである。
広告会社の場合は、コピーライター、イラストレーター、媒体の専門家、経理、営業の専門家たちがグループを組みクライアントに対しての作品を議論をしながら作り上げていく。
その作業こそ、まさに焦点化である。
授業に対しては、それらに似た作業を一人でこなさなければならないという大きな違いがあるが基本はおなじである。
つまりターゲットを絞るということだ。

 以上のような経験をしてきた私にとっては、我が家に投票のお願いに来たコンペートー党員の行動はやはり理解できない。

*実は10年ほど前にさらに酷い体験をしている。
 就職のお礼を名目に母親と娘が突然、我が家を訪問。 
 先祖供養がなっていないと一方的な話を2時間にもわたってまくし立てて帰宅した。
彼らが言う先祖とは、両親や祖父母ではなくそのずっと前にいた人だそうだ。
わけが判らなかった印象は今も強く残っている。
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アイーダ

2008-09-12 22:37:02 | Weblog
 アイーダ!それは、志村けんが叫んでいるわけではありません。
それはオペラの「アイーダ」と同じ発音なのです。
 アイーダとはAIDA。
 つまりattention(注意), interest(興味), desire(欲望), action(行為)を示しており広告コミュニケーションで使用される言葉です。
 商品を購入しようとしている人が数ある中からこの商品いいなと思い、
 その商品を広告又は実物で見てすごくスキになり、
 その商品を何としても手に入れたくなり、購入。
 まさに、商品購入までのプロセスを言い当てたものだと思います。
別の言い方をすれば、「認知」、「理解」、「確信」、「行動」でもあるわけです。
 なぜか、商品を購入したいという欲望にかられるとこの「アイーダ」や「認知・理解・確信・行動」を思い起こしてしまいます。
 
 なぜ、今回このような題材にしたかというと昨日の日経新聞に"I Phone"が苦戦しているという記事を見つけたからです。
 アイホーンを購入し、アプリケーションの追加で自分用の電話機にカスタマイズしている私としては少々寂しいような気がします。
 (ちなみに私は電子辞書のアプリケーションを追加したので、電子辞書を携帯することも無くなってしまいました。)
 さて、なぜ世界中で人気のI phoneがソフトバンク携帯電話機の販売数ではシャープの機種に続いて二位に甘んじているのでしょうか?
 私が思うに日本の文化に対応した商品に改良したり、コマーシャルをソフトバンクが撃てないことではないかと考えます。
 どうしても悪いイメージでのオタクやオジサンが持っているイメージが先行してしまっていると思うからです。
 十代から二十代の女性にも受けるような改良が絶対に必要です。
 カラフルな色使いや、メール機能の強化などは真っ先に挙げられるはず。
 だってマクドナルドでさえ、
 日本にはテリヤキマック、メロンパンなどの日本独自の商品が用意されているのですから・・。
 さらに、広告においても最も旬な若手の女性を起用し、それをもっていることでクールなイメージを創造していくことが絶対に必要なことなのだと思います。
 かなりアップル本社の規制が厳しく勝手に広告をうてなさそうなことは容易に察せられますが・・。
 売れない方が多くの人が同じ携帯電話を持っていないことになるので、私にとってはそのほうが希望ですが、
 たぶんアップルは同じ路線でキャリアをドコモも選択できるようにすることによって短期間で見た場合の販売量を増やすんでしょうね。
 
 *画像はシャレです。「認知」ならぬ「にんじん」です。
  生徒から「面白くない」と言われそうですね。

 
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24時間テレビ

2008-09-05 22:09:12 | Weblog
 前期の大学院の発表会で西武文理大学で教鞭をとっている瀬沼君(ただ単に瀬沼君と書くよりも肩書きを付けた方に重みが増すのは不思議ですね)がリアリティーTVについての発表をしていた。
 リアリティーTvを判りやすく言えば、日本の場合は『ドッキリカメラ』や『元気が出るテレビ』だそうだ。
 それは、リアリティー、つまり真実でもあるが計算されたものでもあるのだ。
本当のようなうそ。
 うそのようなホントである。
 日曜日に放映していたエドはるみのマラソンを見ていてリアリティーTVのことをふと思い出してしまった。
 走っていることは本当であるが、番組終了が近づいた時間帯にゴールする計画性。
 必ず、神奈川県から東京まで走るコース。
 日光から東京まででも良いのではないだろうか?
 これは憶測であるが、カメラスタッフ等番組制作者にとってこのチャリティーマラソンは正月に行なわれる大学駅伝用の練習となっているのではないか?などと詮索してしまった。
 そもそも私はこの「24時間テレビ」が大嫌いである。
 その理由は以下の通りである。
 確か今年の寄付金は3億円である。
 史上最高金額の寄付金が集まったと司会者は大声で歓喜していた。
 私はこの番組の収支を明らかにすべきであると思っている。
 企業から受け取る番組制作費はいくらなのか?
 出演タレントにはギャラとしていくら支払われているのか?
 それらと寄付金を合算した収支報告をぜひして欲しいと思うのである。
 番組を放映しないで、企業からの寄付を募金にまわすということではどうだろうか?
 テレビ番組タイトルは、「24時間テレビなし」
 平成11年の広告宣伝費データによると、
 トヨタ自動車995億、本田技研559億、サントリー514億、松下471億である。
 ちなみにテレビ広告には年間2兆円ものお金が投入されている。
 つまりトヨタの一日あたりの広告宣伝費は約3億円である。一日広告をやめ何らかの番組でトヨタは障害者に3億寄付と知ってもらうのも得策のような気がする。
 マラソンを走ったエドの報酬は、欽ちゃんの10分の一だそうだ。
 障害者についてテレビ番組を通じて多くの人に理解してもらうと言う趣旨は賛同できるが、どうしても「24時間テレビ」の製作方法には賛同できない。
 環境問題を考えるテレビ局としても24時間はいかがなものでしょうか?
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