芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

人はそれぞれ

2008-01-20 22:47:02 | Weblog
人は、それぞれ異なっています。親子でも兄弟でも、見かけは似ていても性格や考え方はまったく異なっているのですね。いわんや夫婦は異なっていて当たり前ですね。
私は、徹夜して勉強した経験がありません。どちらかと言うと計画を立てて前倒しで実行していくタイプだからです。相反して、私のパートナーはまったくその逆のタイプです。彼女は明日、締め切りの仕事があり、この1カ月程まともに寝ていません。体力がなければ、とても徹夜を何日も続けられないわけですから私には体力と気力が無いのかもしれません。
どちらが良いということではなく、私にはやはり真似は出来そうにありません。
でも、私も同じような努力をして彼女に追いついてみたいことがあります。それは、彼女が既に共著ではありますが本を出版していることです。
http://www.gakujutsu.co.jp/mybooks/ISBN978-4-87361-652-0.html
著名な教授のもと大学や専門学校の先生方が講義で使用する為のテキストとして出版したものです。少々、羨ましく思っています。私には、テキスト出版というようなチャンスは無いので、できれば単著を出版することは夢です。もちろん、自費出版ではなく私の書き溜めてきた作品をぎゅっと一冊に詰め込んだような本の出版が夢です。その為には、このブログで紹介したような子供の量産が最も手っ取り早い方法であると思っています。
メーリングリストの仲間宛に返信しなくてはいけないのですが、迷っています。筆が進みません。
「孤独」についての論文を書けると思うのですが、斬新で面白い物になるかどうかで躊躇してしまっています。感情の社会学は、とても興味深い学問だと思うのですが、既に心理学で科学的な実証が数多くされている事実や、社会心理学でも「孤独」を題材にした研究がされています。私に出来ることは何だろうか?事例報告?アイデアが浮かびません。なにか晴れない今日の曇天のようです。
明日は、東京でも久々に雪が降るそうです。雪を見ながら、じっくり考えて見ます。
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TAKAKO

2008-01-10 22:49:38 | Weblog
 TAKAKOは、大学時代の同級生であり文化会加盟サークルで同じ飯を食った仲間だ。まずTAKAKOがこのブログを閲覧する可能性もあるので、詫びさせていただく。TAKAKOと呼びすてにするのは今回が初めてであるし、本来そのような仲ではない。いや、それどころか私にとってTAKAKOは同級生ながら上級生のような存在だった。TAKAKOは、未成年ながらハッカ、いやメンソールの舶来タバコを好み、かっこよくそれを吸っていた。またTAKAKOはお酒にもめっぽう強く、お酒の飲み方もさまになっていた。そんなTAKAKOから先日メールを受け取った。「パソコンを始めました」という単なるメールだが、25年前の懐かしさがこみ上げて来たので今週のブログの話題にした次第である。実証できないのだが、過去の記憶の場面は、動画ではなく何枚かの静止画で脳内に記憶として留まっているのではないかと思っている。レンズ付き写真機と同様に12枚、24枚、あるいは36枚の静止画である。
 学生時代のTAKAKOを真っ先に思い出すのは脳内の2枚の写真だ。
 一枚の写真は、夏合宿で行った青森県の三戸、南部という地方での一コマだ。TAKAKOは、夏祭りを告知する為にワゴン車に乗り込みウグイス嬢或いはミス南部娘をした時の光景だ。当時の静止画にはバックグラウンドミュージックも添付されている。それは、宿泊先の公民館でかかっていたアリスの♪砂塵の彼方♪だ。
 そして、もう一枚は、彼女の部屋の光景である。その理由は、彼女の部屋の中心部にはミッキーマウスの電話が中央に置かれていた。高さは50センチ位。ミッキーの電話機と言うよりも電話機そのものがミッキーマウスのオブジェの様であったことを記憶している。
 なぜ、そんなに印象深かったかというと、当時の私の下宿には共用のかかってくるだけのクロ電話が置かれており電話に出るのは下級生という暗黙の決まりがあったからだ。また、数年後他のアパートに転居し自分の電話を所有した時も当時流行のクリーム色のプッシュホンに喜んだ。無線電話ではないので部屋の端から端まで電話機を持って移動できるように長~い内線を購入したことも。ミッキーマウスの電話機は高額であったと思う。電話機ってこんなものもあるんだという強い印象が彼女の25年前のアパートの部屋を忘れないものにしている。物はそれ自体でも、時代を物語る。まさに「物語り」。物は今ここに存在していなくても、人間のイメージの中で存在し続ける。そして、それがまた当時を物語る。メンソールのタバコ、洋酒とミッキーの電話は、まさにTAKAKOを結びつける3つのアイテムである。当時のアイドル、イシカワヒトミによく似たTAKAKOは今どうなっているだろうか?興味のある方は、浜松市(静岡県)にあるキャプテンサンタという店に立ち寄ってみてはいかがですか?
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あけましておめでとうございます。

2008-01-05 23:18:49 | Weblog
 本年も宜しくお願いいたします。
 近況ですが年末から今日まで、いつもと同じように慌しく過ごしておりました。スノーボードをやりたいと子供が言うので、久しぶりに子供と会話を楽しむ時間がとれたこと以外は、別の子供(論文)の校正が忙しく毎日必死に訂正をしておりました。訂正して、査読委員のOKが出ればリジェクトされないそうです。この作品にかけた時間量を考えると何が何でも完璧な状態にしたいと思います。締切日が7日なので、今後の修正にかかる時間を考えると郵送では間に合いそうにありません。たぶん、直接電車に乗って神保町の事務局まで届けることになると思います。
 そんなわけで、平行して準備している「孤独」に関しての作品準備も重なりじっくりと読書をする時間が取れませんでした。言い訳がましくて申し訳ありません。
 でも、ちょっと休憩に読んだ一冊を紹介します。水口昭道『高学歴ワーキングプア』「フリーター生産工場」としての大学院(光文社新書)です。
印象に残っていることは、
・文部科学省が政策として推し進めようとした大学院重点化を真っ先に行なった東大法学部は予算25%増のプレゼントをモラッタ。東大の他学部や多くの私大がそれに追随して大学院に力を入れだしたのも納得できるのである。「就職難であぶれた若者たちをすくい取るようにして大学院生へと仕立て上げ、その果てにかなりの収益を上げている大学も少なくないはずだ。」と水口氏は非難している。12000人の無職”博士”に加え、その数倍の規模で存在する無職のオーバードクター。そして毎年新たに加算される5000名の無職博士卒(単位所得退学者および修了者)たちを水口氏は、ノラ博士と呼ぶ。しかし、かれはノラ博士を馬鹿にしているのではなく、自らもノラ博士であることを自覚し社会でもっとも有効に活躍できるようなシステム構築が必要ではないかと説いている。学ぶ者のことが考えられた結果としての大学院拡充ではなく、文部科学省の予算獲得とそのばら撒きを目的とした政策が事実であれば、怒りを通り越して呆れてしまうばかりだ。
とても身近な話題であり、あっという間に読めた本でした。今読んでいるのは『学歴の社会史』です。これは大作で読み応えがあります。福沢諭吉は、東京の慶応義塾以外に大阪にも塾を作ったのですが、生徒が集まらずに廃校になった話は初耳でした。もっともっと知らないことが書かれていますので、また後日紹介します。
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