芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

『空家に住むという選択』

2017-06-27 07:07:07 | Weblog

浮浪者は荒川や隅田川と言った川沿いで暮らすことが多いようです。

生活するにおいても水があることが便利ということでしょうか。

不思議なのはお金持ちも海や川の側の高額な高層マンションに暮らすことが多いということです。

浮浪者が暮らすと川の土手、

金持ちの暮らす高層マンションはウオーターフロントと名前が変わるようです。

 

現在、空家が多くなってきているようです。

昭和38年には2.5%、昭和58年には8.6%、

平成25年には13.5%(757万戸)と空家率が年々増加しています。

賃貸住宅に限った場合には18.9%とさらに空家率が上昇します。

賃貸住宅の空家率増加は、昭和40年代の高度経済成長期に建てられた団地が老朽して建物と町の魅力が減退したためであると思われます。

 

古い家や団地、マンションの価格はますます下落しているようです。

鬼怒川のマンション価格も経年による下落は避けられません。

売る場合には、かなり安い価格で買い叩かれることは覚悟しなければならないかもしれません。

オリンピック効果なのか?それとも都市回帰現象なのか?

都内の高層マンションの価格は高騰しているようです。

例えば目黒駅にほぼ隣接しているマンション価格はワンルームでも5000万円以上。

家族用の3DKだと1億超えは当たり前の価格で販売されていました。

坪単価600万だそうです。

最寄りの武蔵小山駅周辺にも

現在41階建(640戸)マンションが建設中です。

このマンション単価は坪500万とのこと。

とても、一般企業に勤めるサラリーマンには手が出ない価格です。

 

結婚を予定している我が家のSは

祖母が亡くなったために現在空家となっている二世帯住宅に暮らすことを家主に申し出たようです。

結婚後に貯蓄をして、5年くらいしたら新居を購入するつもりとのこと。

さらに、Sからはプラスアルファの要望が家主に出されました。

それは風呂、トイレ、キッチンのリフォームの要望。

自分が住むのですから、自らの責任、

自ら出費すべきだと私は思うのですが・・。

しかしながら私の主張は、我が家では通らないのが普通?です。

家主の決断で要求物全てをリフォームするそうです。

いくらかかるのやら?

本当に彼には翻弄されっぱなしなのです。

 

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『大学広報についての学び』

2017-06-20 07:07:07 | Weblog

東洋大学のイメージを向上させ、

学生が集まる人気校にした立役者のSさん。

そして閉鎖されたミネスタ州立大学秋田校の校舎を転用して

公立国際教養大学をスタートさせるにあたって事務部門の責任者をされたSさんのお話を少人数で伺う機会がありました。

 

国際教養大学の教員は全世界から公募したそうです。

日本語は全く判らないが優秀な教員確保にも成功。

当然のことながら学生と教員のコミュニケーションは英語となり、

すべての授業が英語で行われているそうです。

 

Sさんが大ナタを振るったのは事務的な仕事と教員の仕事の明確化だそうです。

一般的には、入学試験の監督官は大学教員、採点も然りです。

合否の判定会議も教授会で行われるのが普通だと思われます。

この国際教養大学は入試すべてをアドミッションオフィースが担当するそうです。

つまり、入試の監督から合否の決定まで全てアドミッションが責任を持って実施するのです。

教員は入試には関与しない。

経営の専門家集団ではない教授会に任せる必要はないというのがSさんの考えです。

大学教員は研究と教育をしっかりやってくれれば良いことを強調されていました。

 

公立大学は4年がキーワードということも繰り返されました。

4年とは開設から卒業生が出る完成年度までを意味します。

通常の公立大学は開設時に県や市から優秀な事務員が派遣されて業務を遂行するのですが、4年経つと元の職場に戻るのが慣例。

それらの人が去ってしまうと同時に、大学のレベルが下がり始めることが公立の他大学の検証から分かったそうです。

これを理解しているので、国際教養大学は派遣出向してきた職員も4年後も大学に残るようにしたのだそうです。

現在でも優秀な学生を確保できているハイレベルな公立大学として評価されていることは言うまでもないことです。

 

Sさんは現在、女子栄養大の理事もされている実力者です。

多くの大学が高校に「出張講義」、「出前講義」などを実施してのイメージ向上作戦を展開しています。

Sさんはこの大学でも大学教員は研究と教育に専念すれば良いことを徹底されています。

よってSさんのアイデアで大学教員を高校に派遣するのではなく、

栄養について面白く語れる全国に点在する卒業生の活用を始めたそうです。

年間400件以上の出張講義の実施。

すごいと思います。

また、企業との連携、高大連系についての資料も見せていただきましたが、

そうそうたる企業や高校の数に驚かされました。

 

その他、私学は山手線内の大学が定員確保できているが、

山手線以外にある大学は留学生の入学によって辛うじて定員確保できているという話やカタカタ名の奇抜な学部を新設しても恒常的には学生を確保できない話も聞けました。

UI(ユニバーシティー・アイデンティティ)に則った大学経営がされるべきとの話は納得できました。

確かに○○工業大学の看護学部新設には違和感を感じてしまいます。

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『遊びであり、本気にならない体育祭のススメ』

2017-06-13 07:07:07 | Weblog

毎年6初旬に体育祭を行なっています。

都内の私立高校の多くにはグラウンドがありません。

あっても凄く狭いものであって、全校生が参加する体育祭を実施できる高校は多くはありません。

私の勤務校もテニスコート2面のグラウンドだけ。

以前は、東京体育館をお借りして体育祭を実施してきましたが・・。

その理由は全天候型の広大な体育館なので梅雨時の雨や熱中症などを気にする必要がないというのが一番の理由です。

しかし、体育館では男子のリレー競技が物足りない。

400メートルトラックのある陸上競技場で実施すべきという声が多く聞かれるようになりました。

実際に東京体育館を使用したいという団体希望が多いのは事実です。

抽選に漏れることも多く、

最近では区営の陸上競技場をお借りするしかない現実。

以前は江東区の夢の島陸上競技場。

現在、夢の島競技場は工事中ということもあり

今年は江戸川区の陸上競技場での実施となりました。

ちなみに、前日は野球の強豪校である関東一高の体育祭が行われたようです。

 

実際に梅雨時ということもあり、

実施の可否が当日まで不明でしたが奇跡的に体育祭当日は終日曇りでした。

無事、体育祭を終えることができました。

 

体育祭のメインイベントは男女共「ムカデ競争」。

これは女子校が共学校になった影響もあるかもしれません。

さて、今回も熾烈な争いが行われました。

レースは白熱し、ゴールテープを切ると、

高3女子は、なぜだかよく泣きます。

みんなが泣くからかもしれませんが

結果として勝っても嬉し涙。

負けても悔し涙です。

 

このような涙を見ていて、ある担任教諭がぶつぶつと不平を言っていました。

内容は、○組が負けたのは□組みに妨害されたからというもの。

生徒がそのように言っていた。

妨害したクラスには一言謝ってほしい。

 

この担任の発言にはちょっと驚くとともに、残念な気持ちも湧きました。

 

いずれにしても負けても勝っても泣くに違いないのです。

ゲームに集中したからこそ、悔し涙が出ているのです。

さらに思ったのは、

犬のジャレ合いと生徒の体育祭競技は同じようなものではないかということです。

渡辺潤監修『コミュニケーション・スタディーズ』世界思想社の34ページには以下のような記述があります。

 

「遊び」はいい加減にやったのでは面白くありませんし、といって本気になってしまったのでは「遊び」になりません。

 

同じ学校の同一学年の同性の生徒たちが一生懸命に取り組んだ「遊び」。

本気になってしまったら、

「隣のクラス」からの謝罪要求に発展してしまうのに・・。

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まんがで読破『1984年』ジョージ・オーウェル

2017-06-06 07:07:07 | Weblog

北朝鮮がミサイルを発射というニュースが頻繁に聞かれます。

ならず者の国がまた非合法的な行為を行なったという報道です。

攻撃される前に攻撃することもやむなしという声も出ているようです。

大衆からそのような声が上がるような報道姿勢には本当に注意したいものです。

 

加計問題が連日報道されています。

文書が存在した、しないという水かけ論が続いています。

文部科学省には総理大臣の忖度があったことを証明するような文書が、

仮にあっても「ない」とは立場上言わせてもらえないようです。

役人としては「探しても見当たらない」が精一杯の返答なのだと思われます。

 

報道に見られる政府の対応は

「ある」のに「ない」と言い。

「した」のに「していない」という繰り返しです。

 

上記のような報道が続き、

『1984年』(ジョージ・オーウェル)を再度読んで見たいと思いました。

今回は漫画版を購入。

以下に印象に残った文を抜き書いて見ました。

 

戦時下では人々は

権力者に命をゆだね統制されることを

受け入れやすくなる

そして人々は

永遠の戦争を受け入れる

無知で狂信的な精神状態となり

党内での地位が高くなればなるほど

戦況を冷静に把握し

熱狂的に勝利に興奮するという

戦争ヒステリーにかかっている

すべて二重思想がなせる技

 

党中枢の構成員は人々がそれに

矛盾を感じないようにし

無知のうちにとどめておくための

巧みな術を持っている

 

印刷・通信技術による

プロパガンダの浸透

情報の統制

私有財産の廃止

 

WAR IS PEACE

戦争は平和なり

 

FREEDOM IS SLAVERY

自由は隷従なり

 

IGNORANCE IS STRENGTH

無知は力なり

 

自由とは2+2=4と言える自由

 

GOD ID POWER

 

神が権力で

我々は権力の司祭

権力を掌握するのは集団であるというのが重要

個人が個人であることをやめたときに

はじめて権力をもつことができる

 

上記のようなことが日本に起こりそうであり、危険さを感じます。

安倍首相が権力の司祭に見えてしまいます。

 

 

 

 

 

 

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