先日、『ライブハウスの人類学』(晃洋書房)刊行記念 と『「趣味に生きる」の文化論』(ナカニシヤ出版)増刷記念のトークイベントに視聴参加しました。
実は当日まで、ズームでのトーク参加だと勘違いしていた私でした。
事前に書籍を購入して、大学院の授業参加のように各章のまとめをして筆者への質問を用意して参加準備したのですが、YouTubeのトークライブであったことにちょっと残念。
すべて、私の勘違いがいけないのですが。
さて、生井達也さんの『ライブハウスの人類学』の序章は正直言って、博士論文のそれのように読みづらかったです。
残りの全ての章を読みきれないのではないかと不安にもなりましたたが、4章、5章を中心としてのライブハウスのエスノグラフィーは、読みながら、かつて読んだ「暴速族のエスのグラフィー」を思いだしました。
HOLというライブハウスでは、演者の場所の確保がなされ、彼らは時には演者、時には客として、節度ある共同性、互酬性が楽しい場を作り出していることを筆者は明らかにしていました。
それは、まさに「ライブハウスの人類学」。
今までは確かに、友人やファンは演者の演奏が終わると会場から退散し、客はそれぞれのバンドごとに入れ替わっていたのですから。
それぞれが、持ち出しをして場を確保して楽しみを確保することは、地域の「祭り」にも似ているようにも思われました。
当日の司会であり、会のコーディネーターである宮入恭平さんが、最後に各登壇者にライブハウスの今後について質問していました。
Nさんは、ライブハウスはますます衰退してYouTubeなどに役割の一部がとって代わられるであろうとの指摘もされていました。
私は彼の意見に賛成です。
実は数日前に、カラオケの新たな試みとして大きな防音室を用意して、そこにはドラムや楽器、録音、録画機材も設置されたとのニュースがありました。
演者は、そこでの演奏を録画して、すぐにYouTube発信できるというものでした。
自らの音楽を圧倒的に多数の人に聞いてもらえるとともに、場合によってはメジャーデビューの可能性も出てくるとのこと。
そのカラオケスタジオに客を入れて、彼らが飲み物を注文したら所謂、従来からのライブハウスとの差異は非常に少なくなる気がした私です。