芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

「米軍基地見学」

2009-11-24 10:46:53 | Weblog
前回、ゼミで沖縄の米軍基地が話題になった。
米軍基地周辺に暮らしていない殆どの国民は現実問題として、
基地問題を自分の問題として考えていないのではないかとか、
本来、米軍基地が未だに日本にあること自体が問題なのではない等、
議論は多岐に渡った。
その場では保守的な意見も目立ち、
議論を聞いているだけでも基地問題はたいへん興味深いものだった。
実は、10年程前に私は沖縄の米軍基地内を見学したことがある。
場所を良く覚えていないが、
那覇から遠くない「キャンプ・キンザー」だったと思う。
それは大手旅行代理店JTBの企画だった。
沖縄の異文化に触れることを目的に実施された修学旅行。
生徒たちは、基地内の米兵宅にショートホームステイをした。
半日ホームステイだったと記憶している。
基地内に入ると、まさにそこはアメリカの町そのものだった。
昼食は、ジュークボックスが設置された
ハードロックカフェ風のレストランで
コーラを飲みながら大きなハンバーガーとポテトを食した。
何名かの生徒たちは、
ホストファミリーと基地内のボーリング場でゲームを楽しんでいた。
(無料だったような・・)
米軍の戦闘機を見学したり、
米兵住宅でゆったりとやわらかめのソファーに座り、
ポップコーンを食べながら映画を見ているという、
まさにカウチポテト体験をしていた生徒もいた。
私が最も印象に残っていることは、基地内の住居だった。
住居は、日本の言葉で言えばいわゆる「マンション」だった。
海に面している住居は、
何の障害物も無く明るく開放的な窓からは広大が沖縄の海が見えた。
構造全てがアメリカ仕様でもあった。
玄関ドアは、日本のドアよりもかなり大きく厚い鉄製であり、
防御扉といっても過言でないようなものだった。
ドアは、スペースの確保を目的とした日本のドアのように
来客者が引くものではなく、来客者が内側に押すタイプ。
身を守るためにウチ開きであることもとても印象的だった。
物事について深く考えたり、
物事について疑問を感じたりする今の私であれば、
当時の旅行計画について異議を申し立てたて、反対したかもしれない。
しかし、当時の私は基地内を見学し、
修学旅行の行程の一部として
米兵宅にホームステイをすることに何の疑問も持たなかった。
僅か一回で終わってしまった企画ではあるが、
私たちが暮らしている空間とは別世界であったことは間違いない。
そこはまさにアメリカだった。
未だに私の記憶に鮮明に残っている引率体験である。

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「AO入試」

2009-11-17 10:28:28 | Weblog
AO入試

主だったAO入試が終わろうとしている。
これから公募推薦入試、指定校入試、センター、一般入試と本番の入試に突入していく。
AO入試は、担任の推薦文も要らない。
我々教師にとってはありがたい入試システムだ。
しかしながら、今時の高校生は文章が書けない。
まともな希望理由書や自己推薦文が自ら書けないのが実態だ。
それに対応して大手予備校にも、志願理由書を指導する講座が開講されている。
また、明らかに保護者が原案を書いたのではないかと疑われるような文書にも遭遇する。
もちろん、私も面倒見の良さを標榜している私学の教員として、
8月初旬から11月中旬までずっと文書の添削指導にあたってきた。
いずれにしても、生徒が自ら作成しそのまま大学に提出するケースは殆どないだろう。
大学側もそのような現状をわかっているから、
「形」としてそれなりに出来上がった文書の提出を求めるのではなかろうか。
志願理由書の提出後に小論文や面接を実施しているのは、
事前提出文書にそれ程重きを置いていないことの表われだとも考えられる。

何枚も生徒作成の志願理由書を読んでいると、
時にすばらしい出来栄えの作品に遭遇することもある。
読書を好み、作られる文書には味と深みがある。
それは生徒が自分の言葉で、自分でつくりあげた作品だ。
私もその出来栄えを称賛して志願書を提出した大学が今年も一校あった。
しかしながら、結果は「一次選考不合格」。
私は、この件については受験生本人以上にどうしても納得がいかない。
選考料として3万円以上の金額の支払いもしていたはずだ。
何時間もかけて、いや何日もかけて作成した文書内容を判断されて
二次試験の小論文や面接試験に挑戦できない。
受験者本人への告知は別として、
なぜ提出文書が不合格なのかを指導助言にあたった高校側にはぜひ説明をしてほしい。
もっとも、推薦書が添付された公募推薦ではなく、
AO入試は大学と生徒個人との関係で行なわれる入試だから高校側には伝える必要はないと断られてしまいそうだが・・・。
なぜ、そのような気持ちを抱くのかには理由がある。
偏差値はそれほど高くない、
面倒見の良い女子大学は同様のケースでは正式な合格発表前に「不合格」であることも電話で伝えてくるし、
翌日には来校して不合格理由の説明を行なってもいるのが現状だ。
これって名門校と新設校の違いだろうか?
それとも偏差値の高い学校と低い学校とのちがいであろうか?
筆記試験でアシきりされるのなら納得はいくが・・・。
伝統ある名門大学であっても、
受験生やその在籍高関係者が納得できないような入試がされ続けるようならば
受験生の気持ちは離れていくに違いない。
さらに別の大学で実施された面接試験でも
大学の教員であろう面接官から、
英語と異文化を学んで、
商社に勤務して海外の相手国の文化を理解して商取引をしたいと言った生徒に対して
君の希望している仕事なんて飽和状態だ。
「就けるわけない」と言い放されてもいる。
不合格はショウガナイ。
しかしながら、受験生が納得できなかったり、
受験後に打ちのめされてしまうような入試はやめてほしい。
その後の高校での指導がたいへんなのである。

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「風神」と「駆け込み下車」

2009-11-10 00:00:10 | Weblog
「駆け込み乗車はお止めください」
という注意を喚起する放送はよく聞くが、
「駆け込み下車はお止めください」という放送は聞いたことがない、
不思議だと重いながら千葉県の松戸駅周辺をうろついていると
あることに気がついた。
それは、
学校という社会に対抗して
社会や学校のルールから自らを解放するように
胸元を開け、リボンをダラシナク締め
スカートを超短くしている女子高生や
取り去ることはなく、
ネクタイを酔っ払いの親父のようにゆるめて
制服のズボンを腰パンにしている男子高校生も

「マスク」はルーズに着用していない。
しっかりと両方の端のゴムを耳にかけ
口元を隠している。
やけに彼らがルールにのっとった
マスク着用をしていることが気になって仕方なかった。

そのようなことが気になったのも
今、「二項対立」が気にかかるからに違いない。
「若い」と「老けている」、
まったく違うものに思えるがその境界線が問題だ。
老人が集うデイケアセンターでは、80歳、90歳の老人は珍しくはない。
80半ばの義母も、95歳の老人からは「あなたは若い」といわれると言う。
「若い」と言われることは、施設の多くの老人たちにとっては
自分はまだ若いと自覚できる切っ掛けを与えてくれてもいるようだ。

少子化。年金不安。後期高齢者。
人口の四分の一が65歳以上の老人たちで占められる、
そして老人を支える子供達の数が足りない。
このような不安をあおる報道が繰り返される。
でも、それって境界線や視点を20歳位の若者に置いているのではないだろうか。
この際、いっそのこと90歳以上を老人とするように
定義してしまってはどうだろうか?

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まず何本かのCMが好きになれない。
それは、お茶としょう油のTVコマーシャルだ。
嫁と姑が登場。
いかにも意地悪そうな、
一言余計なことを言いそうな姑とそんな姑に対抗する嫁だ。
もちろん、製品の優位性を説得し姑をやり込める嫁という構図だ。
なんだか、とても古臭さを感じてしまう。
そして次に気になるのはテレビCMへのお馴染みの芸能人の多用だ。
東急エージェンシー調べによると芸能人が使用している、
薦めていることを商品購入の決定とする率はわずか13%にすぎない。
実際に使っている人(38.7%)
普段良く会う身近な人(32%)
その業界に詳しい知識を持つ人(30.7%)
など、体験者や語り合える友人の意見を重視するバズコミが主流だ。
企業も、広告代理店もそのような消費者志向は既に理解しているはずなのに
飽きもせずに多額の出演料が芸能人に支払われている。

私は基本的にはCMが好きだ。
子どものころにテレビで見た新日本プロレスの試合。
試合前や試合と試合の間では
リング上のマット掃除を電気掃除機を利用して生CMパフォーマンスを行なっていた。
それは三菱電機の「フウジン」という掃除機だった。
友達とプロレスごっこをする時にも、
そのシーンを真似てじゃれっこの前の儀式として
掃除機を和室にかけたものだ。
または、「月光」というテレビ番組に登場する戦闘忍者に憧れ、
ヘルメットをかぶり、マントの代わりに風呂敷を使用し、
背中にプラスチック製の刀を差し込んで、
ブロック塀から飛び降り遊んだ。
それもCMの良き思い出である。



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「笑い」と「ユーモア」

2009-11-03 00:11:03 | Weblog
その時代、その国の人でないとジョークを理解することは難しい。
文化背景が異なるために、「お笑い」は理解できても
海外の「ユーモア」はどうしてもすぐに理解できないことが多い私です。

下のジョークは過去を忘れないためにユダヤ人自身が広めているジョークです。

【ユダヤ人のジョーク】
 Q「ユダヤ人を百人フォルクスワーゲンに乗せるにはどうしたらいい?」
 A「四人を座席に、九十六人は灰皿に」

 Q「ピザとユダヤ人の違いは何?」
 A「ピザはオーブンに入れても泣き叫ばない」

 ピントこないと言う貴方へは、
こちらをお勧めします。

 ある男が砂漠を歩いていた。
 のどが渇いてきたが、水がない。
 始めに見えた店で「水をくれ」と言うと、
 店員は、「当店ではネクタイしか売っておりません」と答えた。

 男は再び砂漠を歩き始めた、
 次の店で「のどが渇いて死にそうだ。水をくれ!」と男が言うと
 「当店ではジャケットしか売っておりません」と店員は言った。

 しかたなく男はまた砂漠を歩き続けると、
 目の前に大きなホテルが現われた。

 男は喜んで、「ホテルなら水は絶対にあるはずだ!!」とホテルに入ろうとした。
 が、ドアマンが男を止めて言った。

 「お客様、当ホテルはネクタイとジャケットを着用の方以外はご利用をお断りしております」。

 なるほどと唸ってしまうジョークである。
「布団が吹っ飛んだ」「猫が寝込んだ」と事ある毎に
連発される私のダジャレとは大違いだ。
まさに「よしなシャレ!」

【次にストーリー性のあるジョーク】
三人の男が無人島に漂流した。
浜辺に魔法のランプが落ちていた。
一人がそれを拾ってこすると、中から魔人がでてきて
「一人づつ願いをかなえてあげよう」と言う。
一人目の男
 「こんな無人島には飽き飽きした。家に帰りたい」と言うと
 その男は消えて家に帰った。

二人目の男
 「家に帰りたい」と言い、その男も消えて家に帰った。

三人目の男
 魔人が「お前が最後だ。どうしてほしい?」と聞くと
 こう言った。
 「友人が二人ともいなくなって、こんな無人島に一人ではさみしい。」
 「さっきの二人をここに戻してほしい」。

これらのネタは、
大島希巳江『日本の笑いと世界のユーモア』(世界思想社)からの一部抜粋です。
異文化コミュニケーションの講義で使用できるかもしれないとも思って購入したのですが、・・。
この面白しさが伝わらずに講義が「滑りそうなので」ブログに載せて活用した次第です。



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