芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

「7.29脱原発 国会大包囲」

2012-07-31 07:07:07 | Weblog

「7.29脱原発 国会大包囲」の参与観察を行った。

暑い中でのデモ参加体験。

デモへの参加は私自身、

初めての経験だった。

そこに集う人々については

若者の数が非常に少ないというのが私の第一印象だった。

60歳~70歳代の人の参加の多さは特徴的だった。

日比谷公園に集合した人たちは、

主催者発表では20万人。

警視庁発表では1万2500人だ。

参加者の数の違いは互いの立場から見た概数なので詳細は分からないが・・。

とにかく凄い人の数だった。

決起集会では、

有名人の山本太郎さんや落合惠子さんらの挨拶もあり、

その場は更に盛り上がった。

千葉麗子さんもマイクを持ち取材をされていた。

 

デモ行進は、日比谷公会堂横道を出た所から開始された。

道路の片側を占有する許可を事前に取得していたのであろう

我々は車道を歩きながら東京電力本社に向かった。

東京電力横には、ライトウイングの人々が大声をあげていた。

東京電力本社前には、

「ここが東電ですよ、皆さん!」と大声で説明している人々。

次に新橋駅経由で、

西新橋、

そして経済産業省の脇を通りながら日比谷公園に戻った。

経産省ビルの三階に原子力保安院があることを大声で説明している人もいた。

私自身デモはもっと過激なモノと思っていたが、

実際はそうでもなかったと言うのが本音である。

それはまるで、車道を正々堂々と歩ける都内徒歩見学ツアーのようでもあった。

公園に戻ってからは国会議事堂に向かった。

そこに行くまでは驚くほどの警察官の数。

警察官が交差点のつじつじに立っていた。

彼らは右は混んでいるので左へというような案内をしていたので、

それに逆らって前へ前へと進んだ。

すると国会の正面で身動きが取れなくなってしまった。

警察が国会周辺の歩道を通行禁止にしているので、

対岸の歩道は溢れんばかりの人々。

道路を開放しろと多くの人が叫んでいた。

それにしてもものすごい数の人。

まるでラッシュアワーの満員電車の車内のようでもあった。

その光景を取材車や取材ヘリから多くの報道機関が撮影していた。

さらに私たちの後方では、

国会議員がマイクを持ち次から次へと「原発反対」を訴えていた。

しかしながら、あまりにも人の多さ、人混みで振り返ってそれを見ることも出来なかった。さらにほんの2~3メートル後方で行われているスピーチを聞きとることもできなかった。

以前に鳩山元首相のマイクパフォーマンスがニュースで報道されていたが、

この場所で、そしてこの様に行われていたことを納得した。

 

正月の百貨店の初売りのような・・、満員電車車内のような・・、そしてディズニーランドの乗り物を待っている気分のような・・。

すごく疲れたことは事実だが、よい経験にもなった一日であった。

 

*有意義なデモでも次のデモには参加しないつもりである。

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六車由実、『驚きの介護民俗学』(医学書院)を読んで

2012-07-24 07:07:07 | Weblog

ゼミでJUWAT先生が紹介された本です。

大学準教授を辞して老人介護施設に転職した六車さんの著書です。

介護や福祉の話題は

その経験があればあるほど内容を納得して読み進めることが出来ると思っています。

私自身も母親の関係で

ケアマネによる介護認定、

デイサービスの利用、

グループホームの見学、

介護付き有料老人ホームの選定など、

それなりに関わりをもって、

経験を積んできています。

 

だからこそ、六車さんが実践された施設に入居している老人からの聞き取りは大変な忍耐力をもっての聞き取りであったろうと想像することは容易です。

たぶん、老人たちは何度も何度も同じことを繰り返して話をしたでしょうし、

話題があっちこっちへ飛んだのではないかとも・・。

 

年何回かだけですが、私は老人ホームに住まう母を訪問しています。

そこでの会話は毎回ほぼ同じ内容の繰り返し。

いや、意識して私が同じ内容の話題を提供して会話をしているのが実情です。

親戚・親・兄妹の名前、

○○は生きているか?それとも亡くなったか?

背広を縫う下請けをしていた頃の洋裁の話、

かつてのスーパーの精肉店でのパート、

特に旧姓等をキーワードとして反応のある話題については、

何度も何度も問いかけて会話?をしています。

私は医療の専門家でも、介護の専門家でもありません。

しかしながら、まだらな記憶それぞれは鮮明であること、まだらな記憶もその真否は別にしても会話によって一部繋がれていくことを経験として感じています。

ホームを訪問して、母と目があうと

声には出さないが母は「来た」という表情を見せます。

母は意識して、私には近寄らずに日当たりの良いリビングの定位置に移動。

毎回のことですが、息子の私は彼女の心を少しずつほぐしていくのです。

まずは、私が母に質問する。

「わたし誰だっけ?」

私が自ら答える。

「MIだけども」

すると母は毎回同じ返答をする。

「MIは東京に行っちゃったよ。」

(真実であるが、この返答がある度に心が痛み、少し申し訳なさを感じてしまう)

それにめげずに母の横に座り、

手を触りながら年のわりに皺が少なくて奇麗な手だねと褒める。

話をしながら、自室へと誘い、自室のソファーに座って会話して帰宅。

 

介護はする者とされる者の相互行為ではない。

する者はいやならいつでも逃げられるけど、される者は逃れられない。

施設には本当に感謝している。

 

何人もの老人を抱えている介護職員は、その面倒をみるだけで手いっぱいでもある。

ホームでは「指示を出してやらせる。やってあげる。手伝ってあげる。」

そんなことが日常行われています。

時間がかかっても尊厳を持って老人の言葉を聴いてあげることの大切さを読後に再確認したしだいです。

ぜひとも今週のどこかで、静岡に行ってこようと思っています。

 

 

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三浦展『妻と別れたい男たち』集英社新書

2012-07-17 07:07:07 | Weblog

タイトルにひかれて購入した本の紹介である。

 アイシェアの2010年調査では40~50代の既婚で子どものいる有職男性の半数以上が「自宅難民」だそうだ。

「自宅難民」とは自分の趣味を楽しむ時間がない」

「一人になれる時間、場所がない」、

「見たい番組が見られない」という不満を持つ男性だそうだ。

この定義に従えば、

私も「自宅難民」の一人であることに間違いはなさそうだ。

 都内だけでも90万戸近い空き家がある。

そこで難民が男の隠れ家を借りることができる可能性も筆者は紹介している。

下記に示すのは、首都圏在住40歳から64歳の男性2000人以上へのモニター調査から明らかになった項目である。

 

離婚したいと思いやすい夫はこんな人

・自分の学歴が高卒以下

・自分の職業が自由業、自営業

・妻が結婚出産後も継続して働いている

・妻が自由業、自営業

 

離婚する男性はこんな人

・  年収が300万円未満

・  学歴が高卒以下

・  職業が自由業、自営業

・  勢いで結婚した

・  ひとりでいるのが好き

・  家事をよくする

・  妻が正社員

・  妻が夜遅くまで帰らない、夜遊びしがち

 

 

三浦展さんの著作はどれもタイトルが刺激的である。

今回の本も自宅の机上に読みっぱなしに置いておくわけにもいかない。

さらに背表紙がみえるので、

朝読書というショートホームルームの時間に読むわけにもいかなかった。

ささっと通勤電車の中で読んだしだいである。

 

読後の感想としては

「そのような事実がありそう」、

「そう思いそう」、

「そう予想しそうな」。

 

筆者が代表をつとめる

「カルチュラルスタディ—ズ」研究所実施調査等で裏付け(実証?)して論を進めている。

調査そのものの信憑性に問題があるのかもしれないというのが率直な感想だ。

商品の良さがすばらしいのか?

それとも素晴らしい商品だと様々な媒体を利用して大衆に告知して

すばらしい(らしい)と思い込んでいるのか?

筆者には申し訳ないが

「マッチポンプ」に陥る危険性も大であることを痛感した。

 

しかしながら、筆者に賛同できる点もあった。

それは、世の、中高年男性は「女性原理」を取り入れていきていくという提案。具体的には男性も家事と趣味を楽しむこと。

日常の生活を愛し、衣食住を趣味として楽しむことである。

 

さらに、

「広告がしばしば描く仲の良い熟年夫婦などは、私には気持ちが悪い。あれは単に物を売るために都合の良い夫婦像を広告代理店が捏造しているのだと思ったほうが正しい」というもその通りであると思う。

 

*  スパイ大作戦というアメリカのテレビ番組の冒頭は以下のシーンから始まる。

おはようフェルプス君。・・・今回の君の使命だが・・・例によって君 もしくは君のメンバーが捕らえられ、あるいは殺されても当局は一切関知しないからその つもりで。なおこのテープは自動的に消滅する。成功を祈る。」

 

→これにならってこの本も消滅?させないと家庭内における本の所在理由についての説明が面倒くさそうである。

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『非選抜アイドル』

2012-07-10 07:07:07 | Weblog

 『非選抜アイドル』小学館は 

AKB48に所属している仲谷明香さんが書いた?本である。

夏も近いだけに文体に幽霊の姿も見え隠れしているようだが・・。

さて、筆者である塩谷さんは過去3回の総選挙で

毎回選抜メンバーに選ばれていない。

塩谷さんは、AKBで最も人気がある“あっちゃん”こと、

前田敦子さんと同じ中学の同じクラスだったそうだ。

一期生の前田さんに続いてのAKB加入。

オーディションを勝ち抜いたとは言え、

クラスメートという話題は三期生となれた彼女の売りの一つになったに違いない。

 

本来声優希望であり、どちらかと言えば地味な彼女には

なかなかファンがつかなかったようだ。

しかしながら非選抜がいるから選抜があるという視点の転換で前向きに努力したことが書かれていた。

選抜メンバーがテレビ、雑誌などで忙しくなればなるほど、

必然的にAKB劇場の舞台に穴があく。

その穴を埋める代役として

誰のパートでも器用にこなせ

重宝がられる存在がどうしても必要になったそうである。

それは必然的に非選抜アイドルがカバーすることになる。

そのポジションで頑張っているのが塩谷さんらしい。<本人談>

 

タイトルだけで購入したので私の求める内容との開きは大きかった。

しかしながらこの本には新たな発見もあった。

その一つが「AKB48造語」である。

運営スタッフから推されている「推しメンバー(略して推しメン)」。

干されている「干しメンバー」。

また、AKB48では、

専用劇場でやる公演を「公演」と呼び、

それ以外のホールでやる公演を「コンサート」と呼んで区別しているそうだ。

 

近頃、「ファン」、「アイドル」、「スター」等に関しての文献を読む機会が増している。

必然的にAKB48劇場に行ってみたいという気持ちが強まっている。

また、宮本直美『宝塚ファンの社会学―スターは劇場の外で作られる』を読んだばかりなので宝塚歌劇団にも興味津々。

ぜひとも、普通、二番手、トップと登場する際に

きらびやかになっていく衣装を見てみたいとも思っている。

(空想の中で、少しづつ豪華な羽を拡げるクジャクを想像してしまう)

どうも私の場合は、「スカイツリー」よりも劇場訪問(AKB、東京宝塚)の方が先になりそうである。

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『ビート』

2012-07-03 07:07:07 | Weblog

購入してから既に15年以上にもなろうかという8人乗りのワゴン車は、

子どもが使用することが多く、

使用したいときに使えない日々が続いていた。

彼はCB400というのバイクを所有しているのにも関わらず、

当然のように梅雨時や真冬はバイクではなく車を使用している。

私には何の断りもなく・・。

ただただ、私はガソリンを補充する役回りだけを与えられて・・。

 

都心に暮らしているんだからクルマは要らないかもと自分を納得させたり、

どうしても必要ならばレンタカーを借りればいいか~とも思いながらも・・。

 

しかしながらクルマを愛する年代だからであろうか?

ここ数年、いつでも使用できる車が欲しいという欲求が強まっていた。

しかも、それはこだわりの車。

今は製造していない旧いクルマである。

その名はホンダ「ビート」。

発売から20年以上も経っている古い古い車である。

現在所有しているクルマよりも古い年式の車。

80~90%以上の人は、

私がそんな古い車を購入したと言ったら、

「馬鹿じゃないの?」と言われそうだ。

このブログを読んでいる多くの周りにいる人達にもそういわれそうだ。

「なんで?」と。

 

時代は「エコ」カーブームなのに。

「エコ」イストになれない私。

この小さな車の欠点は全て理解した上での購入だ。

車内で会話できないくらいにエンジン音がうるさいらしい。

6000回転程度までエンジンを回してあげないとスピードが出ないらしい。

さらに、軽自動車であり、マニュアル車である。

オープンカーの出来が悪く雨漏りもするそうだ。

雨の日は乗車を控えたほうがいいらしい。

荷物はほとんど載せられない。

あるのは人間二人乗るだけのスペースしか無いクルマ。

それは、まさに時代の流れに対抗しているようなクルマである。

この「ビート」は

電気自動車でもハイブリッドでもなく、

四輪駆動でもなく、自動的に障害物を感知する車でもない。

最新の車を否定し、静で早く快適に走れる車とは間逆な車だ。

いい年をした親父が乗る車なのに「黄色」。

マニュアル車を運転して自宅まで戻ってこられるだろうか?

という不安を抱えながらも

「ビート」との体面が今から楽しみである。

しかしながら

日常が忙しすぎて、

いつ乗るのか?が問題であり最大の課題である。

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