芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

『マスクとえんぴつ』

2011-01-25 05:05:55 | Weblog

日曜日からいよいよ入試に突入だ。

今後中学入試を含めて、

2月中旬まで何回かの入試が実施される。

埼玉県の中学生は1月に受験となるが、

隣接する東京都内の生徒は

2月に受験することになっている。

隣接地域における

それぞれの教育界のパワーバランスのズレの現れかもしれない。

東京都は「教育庁」、埼玉県では「教育局」。

教育行政に関わる部署の呼称にも

その違いが見て取れるような気がする。

隣接地に住み、同じ塾に通っている生徒にとって

居住地区で受験日が異なる現実は

不安の一要素ともなっていることは事実である。

 

さて私は、今まで入試全般の裏方の責任者として、

試験監督表の作成と配置、

使用教室の手配、

面接官の割り振り、

そして採点者の確保と肩書の無い

責任者としての仕事を任されてきた。

しかしながら今年は、

その裏方業務からはお役御免。

小沢一郎風に言えば、

一兵卒として試験監督業務に当たらせていただいた。

 

久しぶりに試験監督をしていると

いろいろな事が気になった。

まず、マスク着用者の多さだ。

各試験場に2~3名はいただろうか。

マスクの着用が以前に増して増えているように感じる。

着用理由は体調不良とインフルエンザ等の予防を目的としたものであろう。

かつては綿素材のガーゼであったものは、

殆んど不織布の使い捨てタイプだ。

顔の殆んどの部分がマスクで覆われている。

顔が裸であることを隠すように。

よって受験票に貼られた顔写真との照合作業が面倒なのである。

マスクを着用した場合の顔写真も貼らせた方が良いのかもしれない。

試験中のマスク着用の禁止は、

体調不良でせきが絶え間なく出る受験生もいるために実施できそうにない。

ちなみに家庭用マスクは年々増えているようである。

さらにインフルエンザが大流行した年は

爆発的にその売り上げが向上している。

2008年に190億円だった売上は、

2009年 には340億円へと急増。

(単年度ベースでの増加率は約178%の増である。)

この売り上げを見ると、

インフルエンザや花粉症の対策を目的に

マスク着用者を見かけることが日常化していることも頷けるのである。

よってこれから実施される予定の受験にもマスク着用者が増えそうである。

 

次に、湯島天神の合格悲願グッズとしての鉛筆だ。

筆記試験場の机上に置かれた湯島天神鉛筆をチェック。

約37.5%の生徒がそれを所持していた。

神社の合格グッズ販売の推移を調べることは容易ではなさそうなので

これは私のあくまでも印象だが、

かつてより神がかり鉛筆所持者が減っているように思われる。

受験生の意識に変化があったために鉛筆が減ったのだろうか?

受験生の親の心理に変化が起きたのだろうか?

今のところ疑問は解消されそうにない。

 

これからも日曜日や休日出勤が連続する。

疲れを嘆いても暗くなってしまうので

試験監督中に自分の楽しさとなるような新たな調査をしてみようと思うのである。

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『エレキング』

2011-01-18 15:14:41 | Weblog

職場では私学ということもあり、

教職員の服装については厳しいルールが設定されている。

男性はいかなる時にもネクタイ着用。

真夏のどんなあつい日であっても

どんなに首周りが太くなってネクタイを締めることが苦しくなっても

着用義務は厳守しなければならない。

ただし、ネクタイの品質や柄は関係ないらしい。

そして、女性は襟付きのジャケット着用が義務付けられている。

それは、田舎の小学校の先生が着用するような

どんなに流行にのっとっていないダサイものであってもかまわない。

とにかく「襟の有る無し」がチェックされるのである。

最もそれが重要ポイントなのである。

加えて、男女とも革靴使用も強要されている。

スーツに運動靴はオシャレではないらしい。

テレビドラマに登場するような背広姿にニットのベスト、

そして白いズックはダサいので着用は奨励されていない。

さらに、サンダル履きも禁止されている。

その理由はスーツにサンダルでは緊急時に走れないからとの理由だ。

体育教師以外には、ジャージ姿の教師もいなければ

ポロシャツを着ている教師の姿も見られない。

最近の若手の先生方は、

就職活動に活用したであろうスーツを着用している。

週活にも今でも利用できそうな黒系のスーツ姿で

教壇に立っている先生が多くなっている。

女性も白いブラウスにブラックのレディーススーツ姿だ。

 

サラリーマンの様な姿で出勤している私は服装で注意を受けることもない。

この件について、

読者の賛否が聞かれそうであるが私はノーコメントとしたい。

基本的には私は洋服には興味を持たないので、

何でもかまわないとも思っている。

ちょうど、1月からの入試シーズンに入っている。

入学試験当日が近づいてもいる。

この時期には何度となく

美しい身だしなみについての忠告がなされるのである。

 

会議で多くの教員に対して

注意を投げかける女性上司は高級なスーツを纏っている。

高価そうな白地にクロのそのスーツ姿をみる度に、

私は昔昔、テレビドラマで見たウルトラマンに登場するエレキングを思いだす。

エレキングとはこのブログの画像に貼り付けてある怪獣だ。

話は飛ぶが、エレキング同様に印象深い怪獣がいる。

それはバルタン星人だ。

バルタン星人という名前は、

「シルビー・バルタンのオマージュになっている」

ということがエチエンヌ・バラーヌの『オタク・ジャポニカ』に記載されていた。

しかし、ウィキペディアには

当時円谷プロで企画室長を務めていた金城哲夫の勘違いから発生した間違いである」と書かれていた。

どちらが真実なのか、気になる点である。

『オタク・ジャポニカ』には、

ジャン=フランソワ・サブレの指摘を引用している。

「日本では、学校や職場などの仕事場は避けるべき場所ではないのです。むしろ反対に、個人がその場を中心に生活を組み立てる、大切な要になっている。」

はたしてそうであろうか?疑問を感じないではいられない。

仮にそうであるならば、

それこそ余暇とはどうあるべきかという問題提起とも直結していると言えよう。

今夜、四ツ谷の桜美林大学で行なわれる渡辺潤先生の講演が楽しみである。

http://news.yokagakkai.jp/?eid=1411989

 

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『美桜』

2011-01-11 13:32:30 | Weblog

先週末に身内の老人がこの世を去った。

実母とは一年間で7日位しか顔を会わせないが、

その何十倍も身近にいた老人だ。

私は年末年始もずっと病院に通い詰めだったので、

私の季節感が少々ずれてしまっているような気がする。

 

そして今回人生で初めて看取ることを経験した。

入院している場合には、医師からの死の判断の一言が死亡時刻になる。

よって身内が呼ばれてから1時間程度は、医療的処置が継続される。

今回は、本当に「生から死」のまさにその時に見守ったのである。

脳卒中で倒れたりすると、

大きなイビキをかきだすということを耳にする機会が多い。

この世をさる23日間、

口呼吸でイビキに近い音を出しながら呼吸していたのだが、

その音が消えた。

急に顔色が青白く変色した。

多分、そのような身体の変化だけでは亡くなった事は気がつかないかもしれない。

しかし数日前からベッド脇に設置されていた心電図、心拍数などを測る計器の数値がみるみるうちにゼロになって行った。

 

病院にはそれぞれの考えがあるようである。

私の父がなくなった際は、病院内は医療関係者。

建物のドアの外からは葬儀業者にバトンタッチされていた。

しかし、今回は亡くなった病室での処置は病院関係者。

その病室から霊安室までの移動は葬儀関係者であった。

タクシープールに待っている客待ちのタクシーのように

病院出入りの葬祭業者が待機しているようである。

すぐに地下にある霊安室に亡骸が運ばれた。

 

どの葬祭業者も五十歩百歩だと思うが、

何となくその業者にうさんくささを感じてしまった。

そこで、私が喪主の同意を得て急遽業者を変更。

先月コンビニ業界でもファミマが葬儀業界に参入ということが話題になっていたが

今回の私の判断はスーパー系列の葬儀業者にお願いすることに決断。

ほとんで、私が細かい内容を詰めて葬儀を行なった。

(私もまた現在むしょうに疲れている)

高齢ということもあり密葬に近い形の近親者のみでの葬儀を当初は計画。

しかしながら、親戚、近所の方々などの線引きが難しい。

葬儀も行い、戒名もつけるので

最終的に家族葬プラスα程度の葬儀に決定。

 

花が大好きだった老人。

淡いピンク色の花で一杯の祭壇だった。

食事もおいしいと言う声が口々に聞こえた。

寿司桶ひとつ10000万円。

煮物大皿で5000円。

美味しいのも当然なのかもしれない。

会葬御礼文は既成のものではなく、

故人に対しての思い出を入れながらオリジナルの御礼文を作成した。

これもまた好評であった。

 

問題というか、疑問というか難しさを感じたことを最後に書いてまとめとしたい。

先祖代々に渡ってお付き合いのある寺と墓がある。

通夜・告別式とも寺院に隣接する会館で実施していただきたいと強く要望されてしまった。

枕経が終わると、お布施について質問をさせていただいた。

住職からは寺院使用代金を込みで120万円。

それでよろしいでしょうかとの返答。

葬儀業者をかえて無駄なお金を省いたのだが・・。

結局戒名をつけたり、

納骨したりするのにそれなりのお金がかかることを改めて実感した次第である。

 

     勉強を継続していることを私はいつも褒めていただいた。

  安らかに眠ってください・・。

 

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『あけましておめでとうございます』

2011-01-04 22:05:48 | Weblog

皆様新年あけましておめでとうございます。

新年の初めてのブログであるので

今年の抱負について書いてみたいと思います。

まず、毎週更新している約1000文字のブログの継続更新です。

簡単に書くネタが浮かばず

筆も進まないことが時にあります。

そのような場合には概して読書量が減っている場合が多いようです。

年末年始は明らかに酒量の増加に反比例して読書量が減少してしまいました。

反省です。

今回のブログの作成にキーボードを叩くタイプのリズムが良くありません。

読書(専門書)こそ、最良の打開策です。

頑張ろうと思います。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

私は昨年から〇〇主任を拝命されました。

400名からなる学年の生徒全員を集めて

学年全生徒、校長・教頭、そして各学年所属の教員を前にして

話をしなければならない義務が発生しました。

長時間話すことを好まない私は、

短時間で生徒に語っています。

聴衆である生徒も短い方が好きなのは明らかですから・・。

どのような話しをするのかをご紹介しましょう。

最近の冬休み直前に話したのは、「間」(ま)についてです。

ここでいう「間」とは、物と物との間の時間のこと。

終点は、始点。

何かの終りは、別の何かの始まりでもある。

高校生の場合には、模擬テストが終り、

自己採点結果に一喜一憂することも当然のようにあるでしょうが、

次の模擬試験に向けての

「テストとテストの間こそ重要」であるという話しです。

テストだけ頑張りたいは、虫のいい話しです。

後でがんばっても「間が悪い」と言われるだけです。

テストに向けての事前の準備学習をしない場合には

「間抜け」と言われるかもしれません。

しまりの無い学習は「間延び」に違いありません。

若い高校生たちに話をする内容は自分に対しての戒めの言葉でもあります。

だからこそ、話す機会も最小であり、話す時間も短時間なわけです。

忙しいという泣き言は言っていられません。

忙しくなくても、

それはそれで愚だ愚だしてしまう自分であることは承知しているからです。

今年も問題意識を持ちながら、

私にしかできないような仕事や研究をして行きたいと思います。

年末にあったかつての職場の先輩はこのようなことを言っていました。

「老人にとって一日は長く、一年は短い」

時間を大切に有効に使っていくことを再確認しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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