本日のブログのタイトルは3549。
35日法要と49日法要をまとめた表記です。
週末に49日法要の為に出生地、清水へ向かいました。
当日の坊主のお経も35日法要用に続いて49日法要へと移行。
締めの言葉は、想像通りの簡潔な言葉。
「4月という世間が慌ただしい時期に亡くなった・・。」
「49日の「モチ」はお持ち帰りいただき皆でお食べください」
というのが締めのことばだった。
「49日法要の餅」なる実物を今回、初めて目にした私。
それは直径5~6センチメートル位の丸餅。
関西地方の御雑煮に入っているような白い餅だった。
それらがA4版、高さ20センチ程の白い箱にぎっしり入っていた。
宗派によっても餅の形が多少異なるらしく
注文を受けた清水銀座にある和菓子屋では
事前注文を受ける際に
細心の注意をもって、宗派と寺院の確認をしていたそうだ。
前回、餅がないと叔母に大騒ぎされた私たち。
当日、急きょ寺院のそばの和菓子屋にその餅を求めて弟が車を走らせたが
手に入れることはできなかった。
よって今回、餅だけは何としてでも用意した次第である。
当日は49日法要も無事終了してから納骨も滞りなく完了。
参列した親族が集い、
駅のそばのホテルで昼食会を持ちました。
参列者の一言で最近駅前のマンションに引っ越したIさんのお宅訪問。
20階から清水という港町を見下ろす眺める光景は初めてのモノでした。
ホテルのような内廊下は高級感を漂わせていました。
親戚のKさんの家はあの方向。
内は東校の先、と皆さん大騒ぎされていました。
東京への「おのぼりさん」ではなく、
25階の屋上からの眺めに一喜一憂する、下階からの「おのぼりさんたち」。
それはそれで盛り上がった一時になりました。
母が設定してくれたのかもしれません。
さて東京の大学に進学して、
大学卒業後に東京という場で職についた私。
ずっとそのまま東京に住みついている私。
よくよく考えてみれば、
親とは年に数日会うだけでした。
親と話しても話が合うわけでもないし・・。
そもそも、話が弾むという仲ではなかったような・・。
昨年の夏に母が倒れてから、
都合の付く限り、出生地に通った私。
月に1~2日は無理をしてでも病室に通い、
出来る限り母の手を握っていた私。
今後、清水には通う理由もないので出生地とは縁が薄くなってしまいそうです。
それはそれで仕方ないと判っていても
何となく寂しさを感じる私なのです。