芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

稲増龍夫『グループ・サウンズ文化論』を読んで。

2018-02-27 07:07:07 | Weblog

GSと聞いて何を思い浮かべますか。

Gas Station、つまりガソリンスタンドと答える人が多いと思われます。

ここであげているGSはガソリンではなく、グループサウンズのことです。

グループ・サウンズについてはジュリーこと沢田研二や堺正章、ショーケンこと萩原健一、ムッシュカマヤツなどがそれぞれのGSで活躍していたという程度の知識しかありません。

以下に、稲増龍夫『グループサウンズ文化論』(中央公論新社)を読んで新たに知ったことを書き留めてみたいと思います。

 

・  1965年に岸部一徳、瞳みのる、森本太郎、加藤かつみで「サリーとプレイボーイズ」結成

・  1966年に沢田研二が同上グループに加わり「ファニーズ」に改名。

・  1967年に東京進出。その時にすぎやまこういち命名の「ザ・タイガース」に改名

・  ビートルズが伝説になったのは解散後。当時の人気はGSの方が圧勝

・  ロックの原点と言われる「ロック・アラウンド・ザ・ロック」はもともと『暴力教室』(1955年)という映画の主題歌で、不良がかったイメージの音楽

・  タイガースの衣装はコシノジュンコさんが手がけた皇子様みたいな衣装

・  堀威夫さん(ホリプロ)、相澤秀禎さん(サンミュージック)、渡辺美佐さん(渡辺プロ)

・  1955年頃にはプレスリーの影響でロカビリーが社会現象・・そのブームを牽引したのは(日劇)ウエスタンカーニバル

・  10代から20代の若者のうち、ラジオを聴いたことのない若者の割合は、アメリカ1%、イギリス5%、日本40%

・  ブルー・コメッツの楽曲「ブルー・シャトウ」は「月の砂漠」と同じコード進行で、日本の童謡をベースにしている。

・  ファニーズ(後のザ・タイガース)と「帰って来たヨッパライ」で有名なフォーク・クルセダーズは「ナンバ一番」という同じライブハウスに出ていた。

・  60年代には、銀座でアイビーを着ている男の子の写真を雑誌に載せていたので、おしゃれ自慢の子が雑誌に載りたくて、日曜日になるとみゆき通りに行っていた。それでみゆき族が生まれたらしい

・  タイガースは京都出身の五人組グループで、GSブームにやや乗り遅れた渡辺プロが内田裕也の推薦もあって東京に誘い、周到なマーケティング戦略で武装し、1967年に「僕のマリー」でデビュー

・  65年に足利市教育委員会が、県内の小中学生に「エレキを買わない、バンドを組まない、エレキのテレビ番組を見ない」という申し合わせ

・  67年、NHKは「長髪のGSを出演させない」という方針を決定

 

アイドル、商業主義、虚構などに興味がある人にとってはGSの歴史を読み解くことで学部ことがあるかもしれません。

ぜひ、一読して見て下さい。

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『同じようで違うことへのこだわり』

2018-02-20 07:07:07 | Weblog

 近々、PTA保護者の皆さんと教員とのランチ会を学校で催します。

かっこよく言えば、私はその責任者。

でも実態は、弁当注文係です。

 

弁当注文で最も容易な方法は、学校出入りの旅行代理店(JTB)にお願いすることです。

例えば、「今半」のお弁当を○○個お願いというだけで弁当係の仕事は完了。

 

それでも良いのですが、反骨精神旺盛の私ですから安易な弁当注文はしないことにしています。

それが自分自身の仕事を増やしているのですが・・。

 

では、過去にどんな弁当を注文たかと言えば、

一つは「亀戸枡本」のお弁当。

https://masumoto.co.jp/shop/cart/#macrobiotic

JTBと取引がないということで旅行社経由では注文ができない料理屋さんです。

通常は肉、魚、卵、乳、白砂糖を使わない「玄米菜食」の弁当を注文。

食前にいかに健康に気をつかった弁当であるかを説明させていただき食する弁当はPTAの女性保護者のゲット。

皆さまからは好評をいただいています。

あえて問題点をあげれば食べ過ぎてしまうということ。

通常の弁当の1・5倍の量ですが、皆さんそれをペロッとたいらげてしまうのです。

 

今回においても、同じモノを注文したくない私。

あえて面倒な方法を選択しました。

それは駒越駅そばにある女子栄養短期大学校舎内のレストラン、「松柏軒」に注文すること。

学生の実習施設として医学部に付属病院があるように栄養大学にレストランがあるのは当然との考えで設置されているレストランが「松柏軒」だそうです。

昨年度、ある学会の研究会が女子栄養大の古びた校舎の5階の角にある松柏軒で実施されました。

それは食事をしながらの勉強会。

学園の常務理事のSさんからは食事についての説明もありました。

松柏軒は大学内にあり、学生の実習を目的としたレストラン。

そこでは安心安全な最高の食材を使用して、お客様に料理を提供しているとの話にはすごく説得力がありました。

そのような流れの中で、今回のお弁当は松柏軒に決定。

手作りのクッキーの注文も同じく学内にある「プランタン」にお願いしました。

諸事情あり、2つのレストランとショップには電話一本で注文することが不可能。

そこで、職場から自転車をとばして現地へ赴き、注文を完了した次第です。

 

おいしいかどうかわからないのですが、食膳の説明は私からしっかり行いたいと思います。

今から、ランチを食する日が楽しみです。

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『久しぶりの現在風俗研究会(げんぷーけん)』

2018-02-13 07:07:07 | Weblog

制服文化について

制服は老若男女の誰にとっても身近な話題です。

先日、現代風俗研究会の研究会に久しぶりに参加させていただきました。

お題は「制服文化」。

印象に残っているのは

(1)

・戦前の女学生の制服、特に裁縫学校から始まったような女子高の制服は先輩が作ったり、保護者が作ったり、百貨店で購入したりとまちまちだったそうです。

よって、戦後のように工場で大量に生産された制服とはそれぞれ若干異なっています。

当時の写真に写っている制服は違うそうです。

(2)戦前の大学生が被っていた角帽には、高校・中学時代の校章バッジもその横部分に付けら、出自がわかるようになっていたそうです。

(3)お茶の水女子中学校の女子の制服は、伝統的にチャンピオンベルトのようなベルト着用が義務付けられているそうです。

それは進級できなかった生徒や外部の生徒の憧れですが、在校生にとっては好まれない対象だそうです。

まったく知りませんでした。下校時に彼女たちは外しているのかもしれません。

 

「学校制服」についての研究会参加の翌日は、勤務校で高校入試が実施されました。

自然に試験監督中に私は受験生の観察をしていました。

かつて、受験生の殆どが机上に置いていた学問の神の「湯島天神で購入された鉛筆」。

2クラス検察しましたが、誰ももっていませんでした。

時代の変化でしょうか?

それとも、合格を神に頼むような受験生が減ったのでしょうか?

原因は不明です。

さらにかつて、受験時にマスクを着用しながら入学試験を受けている生徒はいませんでした。

本人確認がしづらいのです。

しかし、今年見た限りではあるクラスの受験生の3人に1人はマスクを着用していました。

 

制服に関しては詰襟の学ラン男子とブレザータイプの制服はほぼ半々。

公立中学のセーラー服着用率は下がっているように思われました。

あるクラスでは教室に1名。

またあるクラスではセーラー服が9名で、23名がブレザータイプの制服。

暑さ寒さの調整がしやすいこともあり、ブレザータイプ着用校が多いのかもしれません。

個人的に不思議なのは、カバンです。

何年たっても、日本全国ほとんどの小学1年生はランドセルです。

昔のように男子は黒。女子は赤というわけではなく、様々なカラフルな色のランドセルですが何故か革のランドセルは変わりません。

 

反して、かつて中学や高校では黒の革鞄が普通でした。

当時の不良はカバンをお湯につけて、重しを圧してカバンをペチャンコに。

不良を表象するモノとして利用していました。

しかし、今ではそのようなカバンを見ることはありません。

現在は2泊3日で旅行にでもいくような大きい軽いプリエステル製のカバンを使用しています。

そしてその中身は弁当、教科書、参考書がびっちり詰まっています。

時代が変わったのでしょうか?

それとも生徒の質が変わったのでしょうか?

全国的にみてもおとなしくて従順で自己表現しない真面目な生徒が、どこの学校でも増えているよな気がします。

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私にとっての『雪のイメージ』

2018-02-06 07:07:07 | Weblog

「太陽」というと明るさやパワーをイメージすることも多いと思われます。

しかしながら、水不足で砂漠が国土の殆どを閉める国においては灼熱の太陽は決して良いイメージではありません。

太陽をイメージする会社のロゴが入った食品会社の缶詰が砂漠を有する国で全く売れなかったというのは教科書にも出てくるような有名な話です。

 

同様に、豪雪地帯における「雪」のイメージは決して好ましいものではないとも思われます。

雪かきの大変さや交通網の乱れ、そして連日の寒さは、そこで暮らすことの大変さ故に好ましくは思われないことも多いと思われます。

もちろん、森の中のログハウスに暮らし、

暖炉の温かさとその特有のやさしい明かりを楽しみながらコーヒーを飲むような場合は私にとっての憧れですが・・。

 

対して、殆ど雪が降らない地区に暮らす人々にとっての降雪は交通の乱れ等が生じるというマイナス面はありますが、

何年或いは何十年に一回ある程度であることもあり、そのイメージはロマンチックささえ想起させるものでもあります。

 

さて私の故郷の静岡にはめったに雪が降りません。

たぶん、15年~20年に一回程度降るかどうかです。

つまり、そこで暮らす人々はスキーに行くなどの行為がなければ、

一生涯において2回~3回程度の降雪しか経験しないのです。

多くの人たちにとって雪のイメージは良いものであると思われます。

 

私が子どもの頃は、

町内会(今風に言えば、地域コミュニティー)主催で子ども対象の「雪見ツアー」が実施されていました。

当時、自宅に車がある家庭は殆どありません。

自宅に電話がある家も殆どない時代です。

小学校で渡されるクラス名簿の電話欄には

(呼)と書かれている家庭が多かった時代。

かかってきた電話を隣近所に電話を取り次いであげる(呼)時代でした。

「雪見ツアー」では「子供会(町内会の子ども部会)」でバスをチャーターして、

富士山の五合目に雪を見に行きました。

雪見には、今のようなプラスチック製のモノはなく、お手製のソリも準備しました。

それは各家庭で竹を二つに割り、

その外側の丸みのある部分を雪面との設置として、

上面に廃材を利用して自作のソリに座れるように木製の座面も作りました。

かなり重いお手製の木製「ソリ」はもちろん緩やかな平面ではうまく滑りませんでしたが、

それは楽しかったよいイメージでもあります。

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