芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

「驚きと呆れ」

2012-04-24 07:07:07 | Weblog

 先日、家族に頼まれて卒業証明書を発行してもらう為に

小金井にある某国立大学を訪問した。

直ぐにそれを発行してもらうことを期待して

委任状と身分証明者のコピーまで持参しての訪問。

事前に用意した学内の地図を見ながら何とか窓口に到着。

 

ここで「驚きとあきれ」が始まった。

まず、びっくりしたのは発行手数料。

一通300円。

金額は妥当だ。

しかし、現金で窓口で係の方に渡すと一枚の紙を渡された。

現金は、受け取れないとのこと。

東京三菱銀行の指定口座に300円を振り込んでくださいと言われた。

同時に渡された紙にはG大学の口座番号が記載されていた。

「えっ」!

300円を支払うための振込手数料が630円(最大)?

 

母校であれば、切手を金額分送れば証明書を送り返してくれるのに。

これは国立大学らしさなのか?

本当に融通がきかないと少し腹がたってきた。

さらに、書類が出来上がったら窓口での受け取りを希望するのか?

それとも郵送かを聞かれた。

もちろん、即答で「郵送」と返答。

すると封筒を渡され

そこに80円切手を貼るように要求されてしまった。

残念ながら私は日常において切手を持ち歩いていない。

そこで係の方に「もっていない、持参していな」ことを伝えると、

別棟にある生協で購入できることを助言された。

ここでも、「エッ」!

事務所で購入できないのですかと再確認。

気の弱い私は仕方なく、生協に行って切手を購入。

その日は運悪く、

多くの学生が10メートル以上の列を作って教科書を購入していた。

80円切手を購入するのに15分以上列に並んでやっとで購入。

発行は10日後とのこと。

「お役所仕事」という言葉を久しぶりに思いだした次第である。

 

後日、またまた頭にくることが・・・。

ホンダのディーラーにオンボロ車の部品を取りに行った日の出来事だ。

高田純次を起用してコマーシャルを大々的に流している影響なのか?

日曜日のディーラーは溢れんばかりの客、客、客。

全てのテーブル席も満席。

飲み物もサービスで出てくるような気配もなく・・。

15分ほど待たされて、その部品を渡された。

しかも、なんとビニールに包まれたままの手渡し。

歩いて帰るので手提げ紙袋に入れて欲しいことを客であるこちらからお願いした。

しばらく更に待たされたあげくに

ホンダディーラー用の紙袋が無いので

これを利用して下さいと渡されたのが

亀谷万年堂のしわくちゃになった紙袋だった。

「えっ」!

1万5千円も払っているのに・・。

私にとっては大金なのに・・。

 

「絶対に、絶対にここのディーラーでは車を買い替えない」

という決意をした出来事であった。

私は怒りっぽいのかな?

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『ゲーリーな日々』

2012-04-17 07:07:07 | Weblog

インフルエンザが治ったと思ったら、

今度はウイルスが腸内に入ってしまった。

先週は食事もまともにできずに仕事の継続。

まるで、にわかベジタリアンのような生活だ。

この数日で体重が、2~3kg減ってしまった。

それにしても免疫力が低下しているのだろうか・・。

加齢とともに抵抗力が低下してしまったのだろうか。

健康の大切さを再認識しているしだいである。

現在は、体調は上向いている。

仕事に、研究と良い回転になりそうな予感がする。

 

体調が良ければ、

花見に行けたかもしれないが・・。

今年は仕事からの帰宅途中にライトアップされた夜桜を立ち止まって見ただけだった。

 

体調が悪いと読書が出来ない。

本を読む量が少ないと、

文章を書く際にもすらすらと筆が進まないという悪循環が続いていた。

結果として気分がめいってしまう。

しかたなく、ぼうっとしながらつまらないテレビ番組を見る時間も増してしまった。

テレビでは4月13日には千葉県の木更津に大型アウトレットが開店したことを特別番組にして放映。

駐車場も巨大で、都心から一時間程度という利便性もあり

オープニングには多くの客が来店したことを伝えていた。

多くの客を撮影するメディアにとっても

現場まで近く、

費用を出来るだけ抑えて

簡単に番組が作成できる近場のアウトレットは撮影にも好条件であり

撮影される店舗も、無料でコマーシャルしてもらえる利点があったのだろう。

同様に翌日の4月14日は新東名が開業している。

パーキングエリアやサービスエリアが如何に魅力的かが放送されていたが・・。

たぶん、期待はずれに終わるのではないかと思う。

かつてすごく期待して、

それを裏切られた富士川サービスエリアのように・・。

4月26日には渋谷駅直結の高層複合施設「渋谷ヒカリエ」が開業だ。

年配の方に説明するには、

渋谷のプラネタリウムが新しい商業ビルで開業と言った方が分かりやすいかもしれない。

さらに、5月22日には東京スカイツリー・・。

新し物好きにはたまらない今日この頃である。

 

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『石巻と南三陸町への旅』

2012-04-10 07:07:07 | Weblog

研修旅行の可能性を探り南三陸町を訪れた。
テレビ映像は震災当日の悲惨な状況を繰り返し放映することはあるが、

被災地の今を継続的に伝えることはなかなかしない。
当日は港を左手に見ながら石巻から南三陸に向かった。
海岸沿いの道は、平坦ではない。

小高い丘を登っては道が下がるの繰り返しだった。
下がった場所の家はなくなり、

コンクリート製の基礎部分だけが残されていた。

道路から海までの土地には何も残っていない。
広い砂浜が何キロにも渡って続いているようなイメージだ。
南三陸町には何もない。
戦後の焼け野原という言葉があるが、
それがぴったりだ。
木造家屋で残っている家は一軒もない。
病院、消防署、役場の鉄筋コンクリート製の3階建て~4階建ての建物の窓ガラスがなくなり、支柱も曲がってしまっている。
数えられないほどの大きな黒い袋に入った土嚢が何百も港と何もない大地の境界線に置かれてもいた。
大きな水たまりが何カ所もあり、

震災から一年たった今でさえ水が引いていない。
4階建ての鉄骨だけが剥き出しのビルの屋上には、

国産高級乗用車が一台乗ったままだ。
17メートルの高さにもなった津波。
現地の人の話だと、

海面から水が急になくなったそうだ。
沖まで水が引いたとのこと。

その後にやってきた津波。
漁師は海へ船を出して難を逃れた。
チリ地震を経験している先人たちは、

山の中腹にある神社まで逃げたそうだ。
犠牲になった多くの人々は、

家に貴重品を取りに返り車で逃げたが大渋滞に陥り、

車内にいたままで被害にあったそうだ。
見学日当日、多くの人々がボランティアの姿が目に付いた。
G県のバスにはボランティアを示す団体名も記されていた。

その瓦礫処理のボランティアは、

志津川高校そばの老人施設横で瓦礫の分別作業をジンカイ戦術で行っていた。
ボランティアとしてはありがたいが、

現地の方との交流がほとんどなく、

それが問題だとも教えていただいた。

別のボランティア団体はワカメの選別作業をしていた。

震災後の海は良い意味でも変化したそうだ。

漁師の方の話だと汚染物質、化学薬品残留物など、

海底に積もっていた悪いものが一掃されたようだとも話されていた。

結果としてワカメは例年年以上に豊作。

牡蠣も今までに見たことがないような大きな牡蠣に生育しているそうだ。

そのような漁業関係者とコミュニケーションを取りながら現地の人と会話しながら仕事を手伝っていただけるのはありがたいとの話でもあった。
現地に行くこと、

現地の交通機関を使い、

現地で食事をして、

現地のホテルに泊まること、

それは震災後二年目に突入した地域再生のボランティアであることを再確認した次第である。

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『インフルエンザ』にかかった私。

2012-04-03 07:07:07 | Weblog

先週、生まれて始めてインフルエンザに始めてかかった。

体調不良が続いていたが休めなかった。

春期講習中でもあり、最後まで何とか頑張らねばという変な意地もあった。

あと、数日でゴールだったが・・。

当日の朝は、思いの外に体の重さを感じて熱を測ると40度。

仕事に行くのをあきらめて病院の開院時間に駆け込んだ。

診断では、インフルエンザB型。

鼻の中に長い麺棒のようなものを入れられて、鼻水のチェック。

10分ほど待つと、インフルエンザであることが確定。

A、B、Cと試験紙に文字がふられていて、

該当するインフルエンザ菌が色付きの縦棒グラフ表示されていた。

タミフルも初めて使用。

医師の説明によると発症後48時間以内にそれを服用すれば、

24時間以内に平熱に戻るということだった。

しかし、潜伏期間と発症日は違いがあるので

24時間以内に効くとは言い切れないという逃げ道も用意しての説明だった。

修正インクの入れ物のような薬。

そこに含まれている粉薬を吸引するのである。

左右のタンクに半分づつ薬剤が入っているので、

容器の腹部分を左右順番に押し込んで吸引。

一本で2回吸引できるので、

医師の指示どおりに一気に2本を吸い込んだ。

おかげ様で熱は、24時間以内に下がった。

しかし体調はまだ完全ではない。

あせっても仕方ないので少しずつ読書をして、

来学期の準備もしていくつもりである。

健康の有り難さを痛感した一週間だった。

――――――――――――――――――――――――

駅名に大学名が入っているが

都心部から郊外へと大学が移転してしまったにも拘らず

その大学名だけが未だに使用されている駅名がある。

「都立大学」と「学芸大学」はそれを代表する駅だ。

「学芸大学」は1964年に小金井に移転。

「都立大学(現校名:首都大学)」は

1991年に八王子に移転している。

学芸大学駅はかつて「碑文谷」駅、

都立大学駅はかつて「柿の木坂」駅と呼ばれていた。

ひとそれぞれ、駅名から印象されることは異なるが

「碑文谷」はスーパーマーケットのダイエーを連想し、

「柿の木坂」は陸橋?警察?又は青木光一さんの『柿の木坂の家』かもしれない。(昭和32年の歌謡曲)

(私の父は環七と目黒通りの交差する柿の木坂の標識初めて見た時に、

ここが柿の木坂の家の柿の木坂~か、との一言を発していた。

 

昭和に入り、「碑文谷」駅は「青山師範」駅、その後に「学芸大学」。

「柿の木坂」駅は「府立高校前」駅から「都立大学」に改称されている。

駅名から感じられる街のイメージ。

そのイメージも作られているものだ。

最近では駅よりも「目黒通り」の特徴溢れる家具店の多さで名をうっているようではあるが・・。

いづれにしても両駅とも狭い路地、古い町並みもあり庶民的な街にある駅には違いない。

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