芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

子供誕生!

2007-09-27 11:03:30 | Weblog
子供が誕生しました。ここで言う子供とは、人間の子供でも動物の子供でもありません。そうです、ここで言う子供とは論文です。9月28日締め切りだったので、この一ヶ月間、仕事の合間をぬって毎日読み込んで修正・加筆を繰り返してきました。自分としては、久しぶりに納得いく作品に仕上がりました。このような充実感は久しぶりです。「ランナーズハイ」という言葉がありますが、ライターズハイという私が作った造語が当てはまるような何とも言えないハイな気分です。査読論文なので、今後学会誌に作品が掲載されるかどうかはわかりません。しかし、出来れば世の中の多くの人に読んでもらいたいと思っています。その学会は研究者以外に企業会員制度をひいています。トヨタ自動車、アサヒビール・・。またその会長は、トヨタ自動車の張会長。本当に、いろいろな分野の人に読んでもらいたいと思っています。それにしても長い月日がかかってしまいました。反省。
次の課題ですが、9月初頭、あるプロジェクトに参加して文章を書いてみないかという誘いをナマカ(仲間と書くべきか悩みましたので、同門かな)より受けました。ての届きそうな次なる目標ができました。誘っていただいた皆さんの足を引っ張らないように、早めに準備をするつもりです。幸運にも本日より数日間仕事がありません。プチ休みです。とりあえず、リースマンの『孤独な群集』を読み込む時間に当てるつもりです。二段組、しかも小さな文字で285ページ。近眼で老眼の私にはちょっとたいへんな読書ですが、がんばるつもりです。
 
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アーサークラインマン

2007-09-20 23:11:06 | Weblog

学生時代に、同期の平田さん(看護士)の「病」についての発表を聴いてもまったくよくわからなかった。それは、発表内容そのものに原因があるわけではなく、その分野にまったく興味が無かったからだと思う。病気と病の違いにも関心が無かった。当時、渡辺先生はことあるごとにアーサークラークの作品をしっかり読むように平田さんにお話されていたことを思い出す。あれから数年、父が入院したことで闘病を身近に感じる経験をしてきた。さらに、中学時代に私が担任をしていた生徒がすでに高校3年生。推薦受験の時期をまじかにしている。数日前に、何人かの国語科教員に小論文依頼をして忙しさを理由に断られた彼女にあった。私もすご~く忙しいのに、「俺が見てあげる」、「小論文は得意」と大見得を切ってしまった。(後で後悔)彼女は首都大の看護を受験するということで思いついたのが、アーサークラークの『病のかたり』と『からだの知恵に聴く』である。もう少しで、読み終わるがとりあえずアップすることに決めた。人生が終わりに近づいた時、家族や友人以上に医療従事者とともに過ごす時間の方が多いかもしれない。つまり、人生の終わりの章の物語は、看護士とともに作りそして語るのかもしれない。「ケアする人とは、病の体験を自分と共に共有してくれる、病の体験のもう一方でもあるのだ。」そして彼は、病や痛みを定義している。「病とは、病気を生き抜く体験のことである。」、「痛みとはからだの外にあるものとの闘いいではなく、からだが元にもどろうとするときの反応」『病のかたり』は379頁にも及ぶ大作です。私がこれらの本をレヴューすることで、受験生Sに伝えられるかどうかが次の課題です。AO入試、推薦入試ってまるで教員の実力を試されている入試のようですね。トホホという部分。

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ビジブルとインビジブル

2007-09-11 18:05:12 | Weblog
オーストラリア・メルボルン旅行で感じたことを今回は書きます。それは、タイトルにも書きましたようにビジブルとインビジブルです。メルボルン博物館にいくとメルボルンの町の大きな模型が展示されています。それには、日本の博物館と大きな違いがあります。町の地価に張り巡らされた下水管、電話線、電線などが断層模型として展示されています。つまり、自分がくらしている町の見えない地下が模型ではありますが見えるのです。まさにビジブルなのです。博物館は、幼稚園生から高校生までは入場無料です。小さな時から自分の町の構造を見てきているのですね。
また、さらにもう一箇所。オーストラリアは地震がないために大理石で出来たビルや外壁にガラスを多用した建築物がやたらに多い。ある場所は、ビルの中が丸見えで、ビルの2階から6階を利用して内壁があるのだがその壁がまるで岩のようなつくりなのである。夕方になると明りが灯され、会社帰りのサラリーマンがロッククライミングの練習に励んでいる。外から見るとそれは奇妙な光景である。まるで、強大な蟻の巣にたかるアリたちのようである。これも、ビジブルなことに価値が見出される。
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オーストラリア(メルボルン)

2007-09-04 21:36:23 | Weblog

以上の写真はこの夏休み中に仕事でオーストラリアのメルボルンに行って撮った写真です。撮影場所は、グレートオーシャンロード、メルボルン大学、メルボルン博物館、ビクトリアマーケット、セントパトリック寺院。

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チョイノリ

2007-09-03 23:39:47 | Weblog
この夏、新たな友人ができた。いや人ではなく物なので、友物だろうか。それは、タイトルにも記したようにチョイノリという名の原付バイクである。親戚の叔父をバイク事故で亡くしている私なので、今までバイクには乗ったことがなかった。今回の購入は、鬼怒川温泉の別宅での利用を考えての決断である。温泉街まで、約2キロ、スーパーマーケットまで約1キロの田舎道は、やはり長いものに感じていたので、まさにチョイノリのつもりでそれを購入。
購入してみて感じたことは、この機械が真に愛らしく感じられる。その理由は、完璧でない愛らしさであろう。今の世の中は、車もバイクもエンジンは直ぐにかかる。セルモーターを回せば。しかし、私のチョイノリにはセルモーターが付いていないので、チョークを目いっぱい開けてそれから何回かエンジンを始動させるためにキックをしなければかからない。スタンドを上げ3回から5回はキックをする。その後、5分位暖機しないと直ぐにエンストしてしまう。つまり、時間に追われる現代社会では見かけなくなってきた物なのである。時間の余裕や心の余裕がなければ、とても我慢できる品ではない。また、さらにビックリすることがある。それは、ガソリンの残量を知るための燃料計が無いのである。チョイノリは、ガス欠を想定して作られた車。必ず、ガス欠にしてその後、燃料残量レバーを回すと約15キロ走れるらし。つまり何とかガソリンスタンドまでたどり着けるようだ。そんなチョイノリだから万人受けすることもなく、製造中止が決まってしまった。便利でない、しかもすごく手がかかる、しかしすごく愛らしいので、マンションの玄関に保管している。もちろん、雨の日には乗らない。エレベーターでそれを運んでいるのを住民に見られたこともある。M.マクルーハンの『メディア論』には、次のような記載がある。「人間の最古の荷物運搬用の動物が女性であった。」まさに、チョイノリの性別は女性なのかもしれません。彼女は、私の足の拡張として機能してくれるだろうか?
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