盆栽が 数鉢あります。
母が若いころ(とはいえ 50歳ごろか?)に習ったものです。
母は お百姓もしながら わたしが中学生になったころからは
勤めてもいました。
農業の機械化が進んで 昔ほど人手がいらなくなりましたので
親戚の会社を手伝っていましたが
父も勤めをしながら農業をしていたので
母は 夕方5時まで仕事をして 自転車で帰ってくると
すぐに 日が暮れるまで 畑仕事をして
それから 晩支度をすることもあって
それが毎日でないとしても すごいなあと思っていました。
私が 結婚しても勤めを続け 長女を出産するとなって
母が 孫守りのためということで 勤めを辞めました。
当時は 結婚して すぐにはやめなくても
子どもができると 退職する人が殆どで
仕事を続けるなら 祖父母が面倒を見てくれる という家もありましたが
「保育所に預けるのはかわいそう。 小学校いっぱいくらいまでは
おかあさんが 家にいてやらなければ」と言われる時代でした。
しかし うちには 祖母がまだ元気に 家で 呉服店の着物の仕立てを
していたので 赤ちゃんは寝ている時間が長く
そろそろと思って 母が畑から戻ってみると
もうすでに 祖母が おしめを換えたり ミルクを飲ませたり
してくれました。
勤めを辞めたとはいえ 田んぼに畑に 仕事はいくらでもあり
母が忙しいだろうから できることはしてやろう
という思いが 祖母にはあったのだとおもいます。
それで 最初のうちは 赤ちゃんの世話をする用事が
少ない母は 田畑の仕事をしっかりしていましたが
2、3歳くらいに成長すると 動きも言葉も活発になって
頼まれ仕事の縫い物をしながらでは 祖母の手に合わなくなり
やっと 母の出番です。
車を運転出来ない母は(大正末の生まれですから)
自転車やバスにのせて 娘を 幼児教室(元幼稚園の先生が
お絵描きや 歌や お遊戯を 教えてくれる)に
連れて行ってくれたりするようになりました。
公民館の盆栽教室にも通って その間 娘は おとなしく
そばの机で お絵描きをしていたそうです。
昔話が長くなりましたが
その時の盆栽なのですから 50年近い年月が経っています。
母が 自転車で転んで 股関節やひざの骨折をしてからは
長いホースを引っ張って水やりをしたり しゃがんで植え替えなどの
手入れができなくなりましたが 定年退職した父が
本を買って勉強して こまごまと 毎日 世話をしていました。
盆栽がお好きな方がこの写真を見ると 突っ込みどころいっぱい
かもしれないけど 目をつぶってね。
父も相次いで大病を患うようになって
盆栽の世話をできなくなってからは
私では 植え替えや剪定まではできないけど
枯らさないように水やりをすることだけは
いまも続けています。
盆栽は 鉢が浅いので 真夏は朝夕2回の水やりが必要で
なかなか 水やりだけでも大変です。
台風が来るときけば 鉢を台の下におろしたり…
畑に水やりをほとんどしない私も 盆栽だけは小まめです(笑)
母は 晩年に 「盆栽が仰山あっても あんたも困ろう?
価値があるのは黒松だけじゃから よう世話をできんようになったら
黒松は山裾に地植えして ほかは捨てても構わんよ」
と言っておりました。
「水やりだけしかできんけど あと20年くらいはできると思うよ!」
と返事したら ちょっと安心していました。
台の枕木に苔が生え 何か植物が芽を出しています。
もみじかな?
そのうち小さい鉢にあげて 自分の盆栽を作ろうかな。
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可愛い曾孫ちゃんってこともあったでしょうが、、なさって
お父様もお母様の好きな丹精した盆栽を手入れしようと学ばれたり、
お母様も幼児教室に通わせようなんて、進歩的
お互いを思いやって、素敵なご家族。。
お嬢さんも小さいながら、盆栽教室に通うお婆様を理解して応援してたのね。
そんなお婆様の傍にいる事が多のしまったのかも、、
朝から、良いお話、、(ホッコリ^^)
ご家族が大切にされている盆栽、水やりだけでも続けられてえらいです。
父もさつきをやっておりましたけど
ようちゃんさんが水やりを引き継がれ
元気にしていてご両親もお悦びでしょう
っていうことは鉢が浅いのがポイントなのかぁ〜
面白いです
大鉢の薔薇などでも水やりが大変ですから、盆栽の浅鉢の水やりは・・・・
薔薇さえも大変すぎて、今年は地植えにどんどんしてます。
ようちゃんは、お母さまやらおばあさまへの愛情で育てられるんですね。
立派な盆栽です。盆栽教室に一度いかれるのもいいですね~
家族のそれぞれが できることをやって助け合って なんとか 日が送れるのですよね。
祖母は 足が痛かったので農業は早く引退し 一日中座敷に座って仕立物をしていました。
針やハサミ 火鉢に小手が差してあるようなところのすぐそばに
赤ちゃんを寝かせて世話をしていました。
ハイハイするようになってから 近寄ってきたら 祖母が
針を娘の腕にチクチク当てて「痛い痛いよ」と教えたり 鏝を当て まだ熱さのある布に
触らせて 「おこて アチチよ」と教えていました。
そのうち娘も まだ小さい時から 針が落ちていたら小さな手で拾って
ひいばあちゃんに「はい どーじょ」とさし出していましたし 火鉢には近寄りませんでした。
土や鉢に肥料 はさみなど いろいろ 道具や資材がいりますね。
伝統のある世界ですから 凝りだしたらキリがありません。
母は あるものを利用するタイプですが 父の方が凝り性なので いろいろあります。
父は デイサービスのお迎えの車が車での小一時間 いつも熱心に ハサミで
葉を整えていました。
「ほう おとうさんの趣味ですか」を言われます。
「いえ もとは母なんですけど のちに 父が熱心になって・・・」というと驚かれます。
蜜柑の木に寒肥をやるとき 立ってる木を 横に倒した木の先っちょが
地面の中では 根を張っている距離と同じくらいだから 根の先あたと思うところを
ぐるっと土を掘って 肥料をやりなさいと 教えられました。
盆栽の鉢は浅いので 縦には根が伸びず 横の距離も短いから 木が鉢を割ってまで
伸びることがないので窮屈でしょうね。
時々は 鉢から取り出して 根の込み合ったのをハサミで減らし整えてやらないと
木の生命力にもよくないと思うんだけど そこまではできません。
地植えにしても 木のように何メートルにもはならないし 幹が太くならないから
いいですね。
盆栽の水やりは 季節によって時間帯を変え 葉が茶色になると取ってやり
わからないなりに 気を遣います。
かといって 今更 習いに行ったら 大変でしょう。