山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

過疎地でのプレイパーク 2

2021-12-24 21:03:28 | 市民活動・まち育て

 感動は収まらない。プレイパークは、いわゆる行政が作った公園とは違って、住民とボランティアとが運営する市民運動でもある。場所が公立の公園の一部である場合もあるが、行政と住民との「協働」で事業が行われる場合が多い。今回は行政に頼らず自前でやりきっているのが素晴らしい。フキちゃんの想いを支える夫や地元の移住者たちの全面的な協力、さらにはよそのプレイパーク関係者との連携が大きい。

   

 「冒険遊び場」と呼んでいる場合もある。「自分の責任で自由に遊ぶ」ことをモットーに、子どもの好奇心と主体性を伸ばすのが目的だ。そのスタッフとしてプレイワーカーが常駐したいところだが、それを支える財源の確保は行政の支援なしには難しい。

 今回のプレイパークはフェイスブック情報で近県からの応援で成り立っている。とはいえ、地元の若い移住者の想いが十分反映されている。耕作放棄地の原っぱには、音楽あり、ドラム缶風呂あり、手作りシーソーあり、焚き火場あり、サーキット場ありと、手作りの環境づくりにあふれている。

   

 子どもがまだ小さいので親の出番や役割がはっきりしている。しかし、子どもが小学生になってくると矛盾も増えていく。プレイパーク運動の成り立ちの頃は、「親や大人は邪魔だ」みたいなおとな不信のニュアンスを創始者たちからしばしば感じられた。言い換えれば、いかに口出ししないで子どもを見守れるかということ、おとなも育たないと伴走者にもなれないというわけだ。オイラはおとなと子どものゾーンを別にしてそれぞれ好きなことをやることで自立していく連帯を重視したいという立場だ。

    

 会場では、マシュマロを焼いている親子がいて、その子どもは慣れた手つきで次々焼いていく姿が印象的だった。親子の今までの経験値が生かされいる。また、お昼には焼きおにぎりを楽しんだり、ビー玉を七輪で焼いて「クラックビー玉」のアクセサリーを作ったり、おとなの優れた経験値があることも発見だった。

              

 近くのニワトリ小屋には、皮膚・肉・骨が黒い「烏骨鶏」や白と黒の縞々模様の「プリマスロック」が飼われていた。また、焼いたばかりの「たこ焼き」の差し入れが何回も回ってくるのも心をホッとさせてくれる。都会のプレイパークとは一味違う過疎地らしい持ち味を発揮させてくれた一日だった。

 それでも、煙を出すことや知らない人の出入りがあることで、近隣からの理解は難しい。来年はここでの開催ではない方向を模索中のようだ。それは当初のプレイパーク運動が必ず直面する課題でもある。その意味で、まわりの住民にとってオアシスともなる場にしていく柔軟性が求められる。正しいこと、意味あることは、必ずしも受け入れられないのは世の常でもある。それを突破していくには継続や実績とともに地域の信頼関係の構築という地味なしたたかさが求められる。

 

 

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