前々から注目していた植物学者の稲垣栄洋さん。雑草にいつも愛情を注いで雑草学を確立させた。彼の『世界史を大きく動かした植物』(PHPエディターズグループ、2018.7)を読んだ。
14種類の野菜や花木が紹介されていた。サクラは、世界史との関係は薄く付け足しのように思えたが、小麦・稲・トマト・トウモロコシ・ジャガイモ・コショウ・茶・綿・サトウキビなど、掲載された多くはなるほど世界への影響力があった。
著者は、「人類の歴史の影には、常に植物の存在があった」という。「人類の歴史は、植物の歴史でもある」と断言。本書は「人類と植物が紡いだ壮大なドラマ」を具体的にぐいぐい読者を惹きつけていく。
そのすべてを紹介したいくらいだが、とても紙数が足りない。しかしそれを分析する著者の基本的な観点が重要に思う。その植物の存在が文明を形成し、戦争を勃発させる契機となり、富を肥大化させ、人間の喜怒哀楽のドラマを産みだしたという著者の視点が目からウロコだった。
木と草のどちらが進化形かと著者は問う。古代の燦然たる地球は「木」が光合成を獲得するためどんどん大きくなっていった。草食性の恐竜はそれを食べるため長い首が発達した。しかし、次々気候変動・地殻変動が起こりそれに対応していったのが、「草」だった。恐竜も下草を食べる体形に変化していく。
その草の中で、成長のスピードを重視し、動物に食べられることを防御した「単子葉植物」が発達していった。その代表格がイネ科植物であり、葉の栄養分をなくしていく生存戦略をとる。同時に、草食動物もそれに対応して消化・反芻するため内臓を変えていく。その動物にイネ科植物を食べさせることで畜産という戦略を大陸の人間は産み出した。
種の落ちない性質の「ヒトツブコムギ」を発見した人類は、それを改良しながら農業という食糧確保の生き残り戦略を獲得する。「コムギ」の誕生だ。しかし、その保存も効く栄養源は財産として蓄積され、富が形成される。こうして、文明が生まれ、人間の格差が発生し、ときに力による戦乱が生まれていく。
こうして、食料をめぐる獲得競争が世界的規模で起きていく。そこに、人間の醜さと喜びが共存している。それが世界史となっていく。それぞれの野菜についてはいずれわがブログにちらほら反映されることになるだろう。
なお、著者は「私たちは、植物の手のひらのうえで踊らされているのかもしれない」と述懐する。植物や野菜について、多くの専門家や図鑑の解説は学術的で単子眼になっていてオイラには不満だらけだった。その意味で、著者の展開する植物論は広く、本質的で、人間の在り方をえぐる鋭さがある。同時に、植物や人間に対する著者のまなざしの優しさに心が洗われる。