山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

建国の中心は関東・東北にあった !?

2022-10-21 17:55:53 | 読書

 人類は日本列島をめざして移動しながら拡散した、と「豪語」?している田中英道氏の『日本の起源は日高見国にあった』(勉誠出版、2018.1)を読む。

 地学専門誌からの引用として、田中氏は、日本の縄文時代の中期の人口は遺跡数の推定から約26万人と言われ、その東日本と西日本の人口比は、100対4だという。その後の気候変動により人口は南下し、弥生時代には100対68になる。うちわけは関東・近畿・九州は約11万人前後と地域的拮抗がはじまっていった、という。

 

  要するに著者によれば、縄文の中心は東北にありそれが気候変動により南下することによって、関東の常陸の国が「高天原」となりそれが国のはじまりであり、それが「古事記・日本書紀」の神話となったと解釈する。神が住む「高天原」はどこかということは諸説あるが、常陸説は古くは新井白石が唱えた説でもある。一般的には、「高天原」は九州のイメージが強い。

           

 著者は、縄文から弥生の時代に、この東北から関東にかけての「日高見国」が日本建国のルーツであると説く。それが神話に隠された歴史上の事実であることを検証していく。だから、鹿島神宮は日本の最古の神社であり、近くに「香取神宮」もある。オイラは神話にまったく興味がないし、神様の名前も長ったらしいうえに似通ってもいて、それだけで拒否反応をしていた。

         

 神話に出てくる「国譲り」「天孫降臨」「神武の東征」は、日高見国の歴史ドキュメントではないかと、従来の歴史観への挑戦状をたたきつける著者だが、なかなか雄弁だ。中身は過激だが語りは静かな牧師のようだ。環境考古学の安田喜憲は感性豊かな吟遊詩人のようだった。二人は世界観こそ違え、共通している所論が少なくない。学会から異端であるのも共通している。

       

 西洋美術史家でもある著者は、縄文土器を「世界のあらゆる粘土造形の中でも飛び抜けて抽象性、美術性を帯びている」と、岡本太郎のような評価を下しているのがまた鋭い。この縄文土器の精神性に「日本の神道の原型がある」と著者は示唆し、唯物論者が多い考古学者はそういうことは言わないとまで揶揄している。

       

 アニミズムとしての神道には共感しないわけではないが、戦前、「国家神道」として権力に利用された経過もあるように、国家と神道がつながると危ういというのは歴史的な事実だ。しかも、侵略戦争に加担したことをまったく反省していない現在の神道の思考停止状態は、嘆かわしいどころか厭きれるばかりだ。

 さりながら、田中英道・安田喜憲両氏の投げかけた「いにしえの神」の意味するところは、あらためてオイラも再考することにしたい。また、「日高見国」の存在はますます現実味を帯びてきているように思えてならない。

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