山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

アジアをさまよう日本という異界

2023-08-25 18:26:12 | 読書

 アジアに対する日本の在り方はそのまま日本の近現代史につながる。そんな予感から、中島誠『アジア主義の光芒』(現代書館、2001.5)を読む。日本は中国をはじめとするアジアから世界や人生を学んできた。その学ぶ謙虚さは日本の独自の文化をも刻んできた。が、今では死語とも言える「アジア主義」にかかわる登場人物には魅力的な人々もいたことは確かだ。

 しかし、「アジア主義の名の下に、否、大亜細亜主義の美名にかくれて、近代化の歴史を歩む日本人…先輩・先祖が何のために何をしたのか、またはアジア主義に殉じていかに命を落としたか」を解明したいというのが著者の目的である。

             

 とりわけ明治以降は、西洋大国の植民地主義の実態を踏まえ、地政学的な視点から日本をとらえる考え方が浸透していく。ロシアの南下政策に対する中国・朝鮮の軍事的位置から、日清・日露戦争・満州国へと日本の軍部が主導していく。そこには、北一輝・大川周明などの軍人・思想家をはじめ右翼と言われる内田良平・頭山満らが領土の膨張主義だけでなくアジアの革命家や国家の独立をも共感・支援していく。

    

 それは、岡倉天心の「ヨーロッパの栄光はアジアの屈辱に他ならない」という欧米列強に対するアンチテーゼでもあった。したがって著者は、「おそらく日本近代が生んだアジア主義ほど特異なものは他に例をみない」ものであり、同時にそれは、「日本が八つ当たりのように諸外国に挑んだ戦争に共通する大義名分はアジア主義から生まれた」と断言する。

    

 そして著者は、朝鮮の儒学者を紹介して、「国家という<魄・ハク>が亡びても民族の<魂・コン>が消滅しなければ、その民族は必ず独立を回復する」との引用をしながら、「魂の抜けた<魄・経済力と軍事力>だけで戦後の日本は生きようとしてきたのではないか」と。

    

 さらに続けて、「<真の>アジア主義者が再生する可能性の少ない時代に、われわれは生きている。しかし、21世紀にこそ、真のアジア主義が再生しなければ、日本民族は、ますます不幸になるのである」とまとめている。

 昨今、欧米型民主主義の在り方が問われているが、それの対抗軸としての真のアジア主義の価値はそれなりにあったのではないか、と思える。アジアを市場としてしか見てしまいかねない大勢のなか、中国との連帯を深く進めてきた竹内好の出番・再評価を検討しなければならない。

             

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