山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

一杯5千マルクの珈琲を飲み終わったとき8千マルクに!?

2023-08-09 23:25:56 | 歴史・文化財

  引き出しの奥から突然現れたドイツの紙幣。なぜ、そこにあったかは全くわからない。高齢の兄が医者を志していた時、ドイツ語の歌を歌っていたのを想い出す。医者はドイツ語が必須だった。その関係で入手したのだろうか。いかにも古そうな紙幣だ。数字を見るとどうやら100,000マルクの紙幣。ずいぶん、高価な金額だ。これはひょっとすると、と生ツバがうごめく。

          

 くたびれた紙幣の裏側には、確かに10万マルクとでっかく表記してある。さっそく、調べてみたら1923年2月1日、ドイツ・ワイマール共和国が発行したものと判明。第一次世界大戦で敗戦国となったドイツに1320億金マルクの賠償金が課せられた。開戦当時、1米ドルが42金マルク(1914年、金本位制)だった。政府は賠償金などの財政赤字解消のため紙幣を増刷したためハイパーインフレとなった。そのため、1923年1月に1ドル=7525マルクだったものがどんどん膨らみ、11月には1ドル=4兆2千億マルクにまで暴落。

           

  「一杯5000マルクの珈琲が飲み終わったときには8000マルクになった」という話はその意味で真実味が増してくる。発行された紙幣が子どものオモチャや古紙に使われたとか、餓死者も出たほどだとかの事例にも首肯できる。

 しかし、「レンテンマルクの奇跡」が起こった。当時の1兆マルクを1レンテンマルクと交換するとした金融政策を実施することでハイパーインフレを見事に克服させる(通貨の桁数を減少させたデノミネーション)。「レンテン」とは地代のことで、土地を担保に通貨の信用を回復させた。

 ただしその後の1920年、ヒットラー・ナチ党登場を許してしまうフラストレーションの素地ともなる。

          

 10万マルク紙幣に描かれた人物は誰だろうかと気になる。この若くて聡明そうな鋭い目線は、現実の困窮の救世主になったのだろうか。謎解きを始めたところ、彼は英国を中心にヨーロッパで広く活躍を始めた「ゲオルグ・ギーゼ」(1497~1562)という新興の商人であるのがわかった。しかしそれ以上の業績のわかる情報は得られなかった。日本で言えば渋沢栄一ということになるのかも。

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