先週読んだ中島誠『アジア主義の光芒』に続き、直木賞作家の深田祐介『大東亜会議の真実』(PHP新書、2004.3)を一気に読む。深田氏は、林真理子・阿川佐和子さんらとともに「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーでもある。つまり、「右」からの視点での提起が注目するところでもある。
昭和18年(1943年)、戦時下の東京に、タイ・ビルマ・インド・フィリピン・中国・満州国の六首脳が集まり、「大東亜会議」が開催された。前年に近衛内閣が軍部に破れ東条内閣が成立して間もないころだ。時局は日本軍による東南アジアの占領があったものの、つまりイギリスやオランダの植民地支配の打破はとりあえず成功したものの、太平洋の島々は米軍が侵攻、米軍機がすでに日本本土の空襲を始めたころでもある。
したがって、各国の首脳は命がけで集まった。タイはワイワイタヤコーン殿下、ビルマはバーモウ首相、インドは仮政府のチャンドラボース首班、フィリピンはラウレル大統領、中国は汪兆銘院長、満州国は張景恵総理。各国代表は危険なホテルではなく民間の豪邸(疎開で空室あり)に分宿する。神経質な癖のある東条は、事前のチェックを入念に行う。このへんの事情や人間像は深田氏の膨大な資料からの裏付けを感じさせられる。
各国代表は日本の侵略的意図を踏まえながらも、独立国への承認・支援を優先する。深田氏はこの戦争状態は、前半は権益を目指す侵略戦争から後半は白人支配からの解放戦争への性格があったという。生真面目な東条の性格も侵略者という一面ではとらえていない。
しかし、開催された「大東亜会議」は、「アジアの傀儡を集めた茶番劇」ではなく、東亜解放のための会議だったことを強調している。その根拠たる「大東亜共栄圏は日本の財産だ」とまで言ってはばからないのは疑問。
欧米からの東亜解放という戦争の大義の一面はあったにせよ、やはり深田氏の歯切れは悪い。各国現場での軍人の傲慢さ・殺戮、資源奪取は各国代表も頭の痛い現実でもあった。アジア主義の真価は一部の幹部・知識人で終わっていた。そこで注目するのは、降伏文書を調印した首席全権大使の重光葵(マモル)だった。彼は戦争回避に努力したばかりでなくこの「大東亜会議」の提案者でもあった。それは終戦を見据えた日本の生きる道筋でもあった、と深田氏は重光の眼力を高く評価する。
戦後の親日派を産んだのも、命がけで出会った大東亜会議による効果があり、敗戦したものの戦後処理を友好的に展開できたのもこの会議の貢献したものが大きい、という。また、「日露戦争の勝利が多くのアジアの独立運動の発奮を促し、二十世紀をしてアジア諸国の自立の世紀たらしめた」とも指摘する。
とはいえ、深田氏は「日本側はおおむね主観的善意の押しつけに終始した。いわば全アジア満州国化の意図だ」とも言う。著者の一面的な評価を排する配慮は感じるが、やはりアジア諸国を傀儡国家にしてしまう傲慢さやアジアを市場としか見ない略取の本質は打ち砕かねばならない。
日本のアジアに対する連帯、真のアジア主義はまったく熟成していない。その意味での深沢氏の一点に絞った労作は日本の平和ボケを唾棄する一助にはなるには違いないが、日本はアメリカの番犬だと揶揄されても説明に窮する現実がある。日本のアジアに対する歴史認識はむしろ風化しているのではないか、と思えないわけにはいかない。