わが家の物干しは畑の中にある。というのも、裏山を抱えている日陰のわが家には洗濯物を干す陽当たりのある場所がないからだ。昔の人はこうして住まいを暗い山側にして陽の当たる場所に畑を作ったのだろう。さて、きょうは珍しく天気がいいようなので洗濯物を干そうとすると、誰かが見ていたような気がした。
なんと、物干しのポールのなかにカエルがいたではないか。どことなく、「おはよう、ごきげんよう」と言われた気がする。
しかしよく見ると、朝の陽当たりを楽しんでいるようにも見えるし、360度の山並みの景色を楽しんでいるようにも見える。一茶の「ゆうぜんとして山を見る蛙哉」のような哲学者風な蛙の尊厳がそこにあった。
蛙の俳句集を見ていたら、「野の草の色にまもられ青蛙」(工藤いはほ)というのを見つける。目の前の蛙は「野の草の色」ではなく「物干し」のポールの中で暮らしいる柔軟なスタイルに恐れ入った次第だ。
夕方近く、やっと畝づくりにめどがついてまたもや遅い種まきを終えたときのことだった。突然、黒マルチへ飛び込んできた蛙が一匹。「大儀であった」とトノサマがやってきた。今年になってときどきお出ましになる畑のトノサマだった。
こちらの蛙はやはりどことなく品格がある。どこかの国の大統領とはかなり違う。「田に轍 秋収まるや泥蛙」(たけし)の風景に近いかな。「種蒔いて 秋収まるや殿蛙」とでも言おうか。そのうちに、17時のチャイムも鳴り、夕暮れがじわじわとやってきた。「夕暮れを背負い いずこへ秋蛙」(詠人不知)という風景のとおり、殿様は姿を消した。そろそろ冬ごもりの準備に忙しいのだろうか。