昨日は集落の防災訓練の日だった。昨年はコロナの関係で中止だった。集合場所に行ってみると防火用水槽の水を変えるという。すでに1時間前には水抜きを有志がやっていて、水槽の水はかなり減っていたのだった。
防火用水の場所から水を引き入れる川までかなりの距離がある。ホースをたどっていくと広い田んぼは中継の消防車とホースが続いていた。田んぼに干していたわらぼっちはすっかりなくなり田んぼの冬支度が始まっていた。消防団員が中継点を保守していた。
河原に行ってみると川の水を吸い上げていた。防火水槽の水量はかなりの量であることは間違いないので、これでも川が近くにあるのは心強い。その前に汚れたヘドロを汲みだすほうに手がかかる。
水槽に溜まった枯れ葉やゴミやヘドロを若い消防団が率先して引き揚げる。川からの水を少しずつ入れながら汚れた水はポンプで吐き出していく。消防団の多くは近隣からも応援に来ているので顔を見ても誰なのかわからない。わかるのはこの近辺でも若者がいるということだった。頼もしい。
地域の担い手の団塊世代頃のおじさんたちも動きはいい。命令がなくてもさっさと動いていく。その後、みんなで汚れた水をバケツリレーで汲み出していく。オイラもやっと出番がやってきたのでその盛り上がりの一番の画像が撮れていない。おじさんばかりが張り切っているので子どもにもやらせるべきだと思った。地域のタカラは磨かなければならない。
水槽のまわりのコケも取り去って以前よりきれいになってきた。中山間地でつつましく生きる底力を見届ける瞬間となった。これらの力が消防や祭りだけではなく地域起こしに発揮されればいいのにといつも思う。その意味では、その担い手の養成が急務だと思うがそれがやれないのがおじさんたちの弱さでもある。消防団はかつての青年団でもあるが実際には親睦の域を出ていない。そこにどういう希望を紡いでいくか、だよね。
わが廊下を改造した書庫に古ぼけた本が眠っていた。本の天地も小口もすっかり茶色になっている。表紙を見たら、竹内好『新編・魯迅雑記』(勁草書房、1976.11)だった。中学の教科書に魯迅の「故郷」という短い小説が載っていて、その最後の言葉がオイラの座右銘となっているから、捨て置けない。
その「故郷」については竹内好の訳が優れている。それは、彼が魯迅研究の第1人者というだけでなく、魯迅の置かれた時代の環境が、外国からの干渉・植民地支配、革命と反革命、内戦などの混乱に満ちていて、いつ殺されても不思議ではない状況を配慮したものだからでもあった。
そういう状況を竹内は、魯迅が「妥協もせず、沈黙もせずに働きつづけることが、どんなに困難なことであるか、戦争中の私たち周囲を思い出してみるがいい」と心を寄せる。さらに、「彼(魯迅)は危機を避けたのではなく、危機を餌食にして生きたのである」と鋭い指摘をする。
魯迅の生い立ちは「故郷」の中でその内心の苦悩をにじませる表現がされている。そして、その後の挫折の傷の「暗黒の一部」そのものも受け入れていくという「調和した矛盾の塊」が魯迅だと竹内は言う。
そのうえ、「日本文学には魯迅がなかった」と指摘する。それは妥協と敗北にまみれた植民地文学・奴隷文学だとまで告発する。魯迅が直面した絶望を日本の文学者は逃避したというわけだ。なるほど、その特徴である私小説主義はそんなところから生まれているわけか。
そうして、古いものを倒すためには「古いものの中から生まれる力によってでなければ真の改革は実現されない」という竹内の主張もじつは新しい。それは外からの思想や流行では現状を変えられないというわけだ。それは、戦前のプロレタリア文学運動や社会運動をはじめ、それこそ戦後もしっかり引き継がれていると執拗に指摘する。野党の遠吠えはいつまでたっても外野席からなのはそういうことなのか。
だから竹内は、戦後から現在も西欧の近代化をモデルに日本の後進性を問う丸山真男をはじめとする進歩的文化人らを批判してきた。要するに、魯迅のように現実の壁を背負いながらも自分なりのやり方で自立していく生き方を選択せよということだろうか。西欧モデルばかりに目を向けるのではなく、自分の足元の根拠地を固めよということだろうか。
古来から、外から入ってくる考え方を尊重し学ぶことで日本は発展してきた。がしかし、その本質的な側面を見なければならないと言いたいのだろうか。今回の立憲民主党の惨敗の理由、自然エネルギー対策の遅れ、原発依存からの脱却、金権腐敗政治を許す土壌、若者の幼稚化への対策、一強体制への諦め、同調圧力の常態化等など看過してしまっている課題が山積だ。
それらの課題を取り組むうえで、魯迅に特化した竹内好さんの提起したものはいまだに新しい。読みながら白樺派の有島武郎の素晴らしさと弱さとを竹内好の文面から受け取った。それほどの感性の人でもあった。
彼の名訳を再び確かめたい。「思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道がない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」