一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

西加奈子『くもをさがす』 ……病気の先にある何かを探そうとする冒険譚……

2024年09月26日 | 読書・音楽・美術・その他芸術


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本書『くもをさがす』は、
2023年4月18日に刊行された、
西加奈子の初のノンフィクション作品で、
2021年コロナ禍の最中、
滞在先のカナダで浸潤性乳管がんを宣告された著者が、
乳がん発覚から治療を終えるまでの約8ヶ月間を克明に描いたものである。


刊行後、
NHK「あさイチ」、「クローズアップ現代+」、
テレビ朝日「アメトーーク!」、
TBS系「王様のブランチ」、
日本テレビ系「news every.」
などで紹介され、
また、
・第75回読売文学賞(随筆・紀行賞)
・書店員が選ぶノンフィクション大賞 オールタイムベスト2023
・ダ・ヴィンチ BOOK OF THE YEAR 第1位(ノンフィクション部門)
などを受賞したことから、
刊行から1年半近くが経過した現在、29万部を突破するベストセラーになっている。


【西加奈子】(ニシ カナコ)
1977年、イラン・テヘラン生れ。
エジプトのカイロ、大阪で育つ。
2004年に『あおい』でデビュー。
2007年『通天閣』で織田作之助賞を受賞。
2013年『ふくわらい』で河合隼雄物語賞受賞。
2015年に『サラバ』で直木賞を受賞。
ほか著書に、
『さくら』『円卓』『漁港の肉子ちゃん』『ふる』『i』『おまじない』『夜が明ける』など。
2019年12月から語学留学のため、家族と猫と共にカナダに移住。
現在は東京在住。



私は本書を以前、図書館から借りて読んだのだが、
素晴らしい作品だと思ったし、
レビューも書こうとしていたのだが、
返却日がきて本を返してしまった後は、
なんとなくレビューを書く機会を逸してしまっていた。
何度でも読みたい本であったし、いつも手元に置いておきたいと思った本であったので、
どうせなら(著者が直接手に触れたであろう)サイン本が欲しいと思っていたところ、
先日、メルカリで、
ほぼ新品同様の(初版の)サイン本が手頃な価格で出品をされているのを見て、




すぐに買い求め、再読した。
図書館の本を読んだときと違って、
(自分の本であったので)付箋を貼りながら時間をかけてじっくり熟読した。
結果、付箋だらけになってしまったのだが、
単なる闘病記ではないし、
よくある(感動を強要するような)ノンフィクション作品でもなく、
言葉のひとつひとつに魂のこもった、もう“文学作品”としか呼びようのない、
稀に見る傑作であった。
『くもをさがす』というタイトルや、メルヘンチックな表紙のイメージとは裏腹に、
内容はハードであったし、ガツンとした読み応えもあった。
それでも、
現地(バンクーバー)に住む人々(友人、知人、医師、看護師など)の言葉が、
関西弁に翻訳された“喋り言葉”として表現されているので、
ハードでシビアな内容も、ユーモアに包まれた関西弁によって、
楽しく(と言っては語弊があるかもしれないが)読むことができた。
文章に“おかしみ”が加味されることにより、
哀しみが一層哀しく、切なさが一層切なく、
読む者の胸に突き刺さってくるのも不思議な体験であった。



ここからは、私が付箋を貼った幾つかの箇所を引用しながら、
なぜその文章に魅かれたのかを記していきたい。
※付箋を貼った箇所の内容を、項目別に集めて論じてみた。


【年齢について】

44年間生きてきたんだから体もバグ起こすって!(34頁)

20代の頃、年を取るのが怖かった。若さがすべてだ、おばさんになったら終わりだ。私たちの世代はそんな風に叩き込まれていた世代だった(残念ながら、今も日本ではそういう風潮があるようだ)。つまり、やはり脅されていた。
でも、自分が年を重ねておばさんになった今、何を怖がっていたんだろう、と思う。誰が私たちを脅していたんだろう。おばさんになったからと言って、自分の喜びにリミットをつける必要はない。
年を取ることは、自分の人生を祝福することであるべきだ。私は44年間、この身体で生きてきた。もちろん、身体的な衰えは感じる。そして私は、トリプルネガティブ乳がんを患っている。でも、私は喜びを失うべきではない。
(53~54頁)

40年以上一生懸命生きて来たんやから、ええ加減好きな恰好させてくれや、(188頁)

海沿いを走った。走った、と言っても、ゆっくり歩く速度より遅かった。何人かのランナーが、私を軽々と追い越して行った。私はその度、小さな、でも鋭い寂しさを感じた。
(中略)
歩く速度で走りながら、私は自分の寂しさを見つめた。寂しさはやはり鋭く、見つめることは痛みを伴った。病気に罹らなくても、いずれこの寂しさと、私たちは対峙しなければならない。老いてゆくとはそういうことだ。昨日まで出来ていたことが出来なくなる。それはある日急に起こったり、いつの間にか始まっていたりする。私たちは終わりに向かって、着実に足を進めている。(99頁)

現在70歳の私は、44年や40年を勝手に70年に置き換え、
70年間生きてきたんだから体もバグ起こすって!
70年以上一生懸命生きて来たんやから、ええ加減好きな恰好させてくれや、

と、読んだ。
随分と、気が楽になった。



【住む場所について】

こちらに引っ越してしばらくしてから、自分がある種のストレスを感じていないことに気がついた。街が静かなのだ。それは、音がない、ということだけではなく、脅しのような広告や、ポルノ紛いの絵や写真を見ないことに端を発する静けさだった。(51頁)

こうやって助け合うことに皆が慣れているのは、バンクーバーが移民の街であることにも関係している。たくさんの人がこの街では新参者で、右も左も分からない状態でやってくる。助け合わないと生きてゆけないのだ。
(中略)
人は一人では生きてゆけない。改めて強く感じる。それは当たり前のことのはずなのに、やはり私はどこかで、一人でも生きて行ける、そう驕っていたのではないだろうか、少なくとも、東京ではそうだった。(61頁)

静かな田舎に住んでいる私は、
たまに都会に行くと、強烈なストレスを感じてしまう。
東京に9年、福岡にも5年ほど住んだことがあり、
都会の良さも十分に知っている私であるが、
今はもう都会に魅力を感じなくなっている。
コロナ禍がそれに拍車をかけた。
県外に出ない生活をしているうちに、
田舎だけで生活できる人間になってしまったのだ。
だから、今はもう、よほどのことがないかぎり、都会へは出ない。

コロナ禍の2020年に映画『巡礼の約束』のレビューを書いたとき、
私は次のように記している。

かつて、人々は、田舎の“村社会”の“しがらみ”を嫌い、都会へと出た。
都会では、隣に誰が住んでいるかも知らないし、
他人を気にせず、一人でも気軽に暮らしていけると……
しかし、コロナ禍の日本を見ていると、
〈本当にそうだろうか……〉
と、疑問に思うことが多々あった。
なぜなら、コロナ禍にあって、大騒ぎしているのは、
一人暮らしを謳歌している筈の“都会の人々”の方が目立って多かったからである。
「電車やバスでの通勤なので、三密が避けられない」
「極力外出を控えているが、閉塞感が凄い」
「学校で授業がない、就職活動もできない、バイトもできない、帰省もできない」
などの問題点が浮上し、
「テレワークや時差出勤、三密を避ける就業環境」
「スーパーは1人または少人数ですいている時間に」
「寂しいときはリモート飲み会で」
「ビデオ通話でオンライン帰省」
などの解決案が出され、
「人間は一人では生きていけない」
「我々は一人ではない」
「こういうときだから助け合い、より深い“絆”を」
と励まし合っている。
このような都会人の反応を見ていると、
〈都会こそ濃密な“村社会”なのではないか……〉
と思えてしまう。
「他人とあまり関わらずに」生きていきたいと願っている人々が、
「人間は一人では生きていけない」と悟らされ、
新たな“村社会”を形成しているのが都会そのもののような気がした。

(中略)
田舎に暮らしていると、三密(密閉・密集・密接)を意識することはなく、
閉塞感を感じることもなかったし、自然体でいることができた。
田舎では、都会ほど仕事が細分化されておらず、
自分が何をしているのかがはっきり見える仕事が多く、
他人に頼らずとも「一人で生きていく能力のある」人々が、
それでも「人間は一人では生きていけないものだ」と謙虚な人生観を持ち、
他人と適度な距離を保ちつつ、慎ましく暮らしている。
他人とあまり関わらずに生きていけるのは、
現代ではむしろ田舎の方なのではないかと思った。


私も今、西加奈子さんと同じ感慨に至っている。



【死について】

それがどれほど早すぎる死であろうと、痛ましい死であろうと、死そのものは公平だ。死を受け入れることはドラマチックな行為になりうるが、「死ぬこと」は、驚くほどありきたりなのだ。死は、私たちが呼吸をしているすぐそばにある。まるっきり無垢な、自然な佇まいでそこにあるものだから、私たちはよく、それを見過ごす。(65頁)

人はいつか死ぬ。
皆が経験するはずのその死を、私はこれ以上ないほど怖がっている。死にたくない。少なくとも「もう死んでいいか」と納得できる日なんて、私には来ない気がする。きっと死ぬ瞬間、最後の最後まで、それはもう、本当にみっともなく、怖がり続けるだろう。
がんになって良かったことは、「それの何が悪いねん」、そう思えるようになったことだ。みっともなく震えている自分に、「分かるで、めっちゃ怖いよな!」、そう言って手を繋ぎ、肩を叩きたくなる。
(232~233頁)

幸いなことに(本当に幸いなのかどうかは分からないけれど)、私はこれまで70年間、
一度も大病をしたことがないし、一度も大怪我をしたことがない。
よって、一度も入院したことがない。
男性の健康寿命の72.68歳まであと少しだけど、
(血圧は少し高めだが)薬は何も服用していないし、
今のところ、腰や膝の痛みもない。
ごく普通に生活できている。
小さい活字の本も読めるし、趣味の登山もできている。
……それでも、人はいつか死ぬ。
本書は、それを知らしめてくれる。
故に、本書をいつも手元に置いておきたかったのだ。


【心と体について】

あなたの体のボスは、あなたやねんから。(98頁)

私たちはどのような状態にあっても、自分自身の身体で生きている。何かを切除したり、何かを足したりしても、その体が自分のものである限り、それは間違いなく本物なのだ。本物の私たちの身体を、誰かのジャッジに委ねるべきではない。これからも本物の自分の人生を生きてゆくために、私は自分の、自分だけが望む声に耳を澄ますことにした。そしてその声は、自分にはもう、乳房も乳首も必要ないと言っていた。(135~136頁)

治療で辛い時、辛いのは自分の心だ、と思った。治療で頑張っている時、頑張っているのは自分の体だ、と思った。私は自分の心を労り、自分の体に感謝した。そして、そうやっている私は、ではどこにいるのだろう、と、ふと思うのだった。
(中略)
私は、どこにいるのだろう。
遡れば、それは、告知された時の「まさか私が」という感覚に繋がっているのかもしれなかった。ステージ2Bのトリプルネガティブ乳がんを患っているのが「自分」だと、私は心のどこかで、どうしても認めることが出来ていなかったのではないだろうか。治療を受け入れながら、私はずっと、「こんなことが自分に起こるはずがない」と、きっと思って来たのだ。恐怖からくる離人かもしれない。生きたい、と強く願い、死ぬことに心から怯えている「ニシカナコ」を、私はやはり、一定の距離から眺めていた。
(157~158頁)

ずっと、小さい胸がコンプレックスだった。
テレビや雑誌では、大きな胸の女性が褒め称えられていて、一方小さな胸の女性は、小さな胸である限り、小枝のように痩せていなければならなかった。

(中略)
そもそも、胸の大きさや形で、私たちの価値を評価されるなんておかしい。
年を経るごとにその思いは強くなったが、長らく自分の身体にかけられていた呪いを解くことはなかなか困難だった。つまり、心のどこかでは、やはり胸に対するコンプレックスは消えていなかった。でも、それらを全て失った今、私はなくした胸に対して、言いようのない愛情を感じた。「どう見えるか」なんて関係なかった。大きさなんて、形なんて、乳首の色なんて、関係なかった。私の胸は、本当に、本当に素敵だった。医療廃棄物として処理されたであろう私の胸と乳首に、私は今、心から謝罪したい。そして、感謝したい。
さて、今、平坦な私の胸は、これ以上ないほどクールだ。そして、平坦な胸をしていても、もちろん乳首がなくても、私は依然女性だ。
(190~192頁)

「こんなことが自分に起こるはずがない」と誰しも思っている。
だが、誰の身にも「こんなこと」が起こるのだ。
そんなとき、自分の心を労り、自分の体に感謝することができるだろうか。
もし「そんなとき」が自分に訪れたら、本書を読み返したい。



【日記】

10月18日 山本文緒さんが亡くなった。膵臓がんとのことだった。山本さんにはお会いしたことがない。お会いしたかった。新作を読みたかった。(75頁)

本書には、所々に著者の“日記”のようなものが差し込まれていて、
特に上記の文章が心に染みた。
私はこのブログに、山本文緒さんの『無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記―』という本のレビューを書いているのだが、(コチラを参照)
山本文緒さんは亡くなり、西加奈子さんは生きている。
この日記が書かれた日、二人の作家の人生が交錯したのを感じた。



文章が長かったので割愛したが、この他、
●エコという猫の話。(76頁から)
●保育士・ファティマの話。(172頁から)
●名古屋出入国在留管理局に収容されていたラスナヤケ・リヤナゲ・ウィシュマ・サンダマリの話。(180頁から)
など、印象深い話がたくさんあり、
読む度に新しい発見のある、再読、再々読にも堪えうる一冊であった。



本書には、「私」を度々励まし、救ってくれた、数々の本からの箴言も挿入されており、
巻末に、書名が列記してあるのも嬉しいし、これらの本も読みたくなる。
(↓こちらはほんの一部)



ちなみに、タイトルの『くもをさがす』の「くも」は、
本の表紙に描かれていることもあって、当初「雲」のことだと思っていた。
だが、正解は「蜘蛛」であった。(よく見ると表紙にも描かれている)


本書の冒頭、私(西加奈子)の亡くなった祖母の話が出てくる。


祖母は蜘蛛を「弘法大師の使い」だと信じている人だった。
その蜘蛛がバンクーバーのアパートメントで私の足を噛んだのだ。
痒みが堪えがたく、私は病院へ行くのだが、
ついでに、私は、(普段気になっていた)胸のしこりも診察してもらう。
それが乳がんの発見につながる。
針生検をした時期、日本に住む母親から電話があり、
祖母が夢枕に立ったという。
「お母さん、夢の中で、おばあちゃん笑ってた?」
「ううん、笑ってなかったよ。」
祖母は蜘蛛になって私を噛んだのだ……と、ここで私は確信する。
蜘蛛は祖母の化身であり、蜘蛛に噛まれたということは、
祖母からの合図、叱りだったのだ。
病院に行くことを先延ばしにする孫の私を、祖母はなんとか奮い立たせようとしたのだ。
渾身のノンフィクション作品『くもをさがす』は、
亡き祖母からのメッセージを受け取り、
自分の命と向き合い、病気の先にある何かを探そうとする、
「私」(西加奈子)の冒険譚であったような気がした。

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