ブログへの訪問者数の日別ランキングで、
第9位になった翌日、
何気なくアクセス状況を見ると、
なんと、またまた第9位になっていた。
昨日、
ベスト10に入ったのは2度目だけれど、
3度目はないと思うので、(笑)
記念としてここに残しておこうと思った。(コラコラ)
と書いたばかりなのに、
3度目がもうやってきたのである。
「二度あることは三度ある」
……けだし名言。
それでも4度目は . . . 本文を読む
旅と同時進行で新聞に連載していた文章をまずは読んで頂きたい。
8月23日の早朝に長万部を出たぼくは、
25日の午後には函館に到着した。
この長万部~函館間は、
交通量が多い上に、歩道が少なく、歩いていてとてもコワかった。
北海道の車は高速道路並みのスピードで走る。
それに追い抜きを頻繁におこなう。
道内の人に訊くと、「時速80キロ程度ではすぐ抜かれる」ということであった。
狭い路肩を歩いてい . . . 本文を読む
「徒歩日本縦断の思い出」は、
第14回「小樽」の記事を載せた後、
久しく更新が途切れていた。
その間、
「徒歩日本縦断の記事はまだですか~」
という声を、幾度となく聞いた。
公私ともに忙しく、
なかなか「徒歩日本縦断」の記事にまで手が回らないでいた。
申し訳ない。
〈20年近くも前の昔話など誰も興味がないだろう……〉
と思っていたら、案外ファンが多いのに驚いた。
楽しみにしている人が少なからずいる . . . 本文を読む
文学の香りのする町が好きだ。
昨年(2011年)の09月25日に、
うすきハッピーリタイアメントさんの案内で、
肉まんさん、風来坊さん、平六さん、タクの計5名で、
臼杵にある鎮南山に登り、
石仏群、野上弥生子記念館、大林宣彦映画の名残館などを観光したことがあった。
その折、私が「臼杵は文学の香りのする町ですね」と発言すると、
「文学の香りのする町とはどんな町ですか?」
と、皆さんから逆に質問され . . . 本文を読む
石狩湾沿いの道を歩いた日(8月18日)は、
朝から夜まで、一日中、雨が降っていた。
前にも書いたことがあるが、雨の日は、距離を稼ぐことができる。
脇目もふらず、黙々と歩くからだ。
歩くことに集中するからだ。
その日、私は、早朝4時から歩き始め、
休憩さえほとんどとらずに歩いていた。
途中からとても気持ちよくなり、
どこまでも歩いて行けそうな気がした。
途中、石狩川を渡った。
長い橋であった . . . 本文を読む
群別(上の写真の「郡別」は誤植)という町では、親切なおばあさんに出会った。
ある家の玄関先で休んでいたら、その家のおばあさんが出て来て、
「どこから来たの?」
と訊くので、
「宗谷岬から歩いて来た」
と答えると、
「それはゆるくないねぇ」
と言って、トウモロコシ3本と缶コーラをくれたのだ。
記念に写真を撮らせてほしいと頼むと、
「こんな格好じゃ恥ずかしい」
と照れながらも、トウモロコシを持ってポー . . . 本文を読む
第8回にも書いたが、
この徒歩日本縦断の旅は、旅と同時進行で地元(佐賀)の新聞に紀行文を連載していた。
その「ふらふらぶらぶら日本縦断の旅」(←新聞連載時のタイトル)の2回目から、
少し引用。
(前略)
スタートから1週間以上が経過し、「歩き」が体になじんできたのか、1日40キロの歩行距離を維持できるようになった。
留萌市から厚田村にかけてはトンネルの数が多く、苦難の連続であったが、このラインの . . . 本文を読む
「雄冬」という地名に馴染みのある方は少ないと思う。
どこにあるかさえ知っている人は稀なのではないだろうか?
雄冬……
北海道の留萌・増毛から日本海沿いに南下した場所に位置し、
暑寒別の山々が海に沈みこむ海岸線には、
高さ100メートルを越す断崖が連なり、
陸上交通といえば、
かつては獣道にも劣るような細い山道を数十kmも行くより他はなかった。
ここへの交通は、
一日一往復していた増毛~雄冬間の定期 . . . 本文を読む
前回の留萌からなかなか先へ進めない。(笑)
すみません。
久しぶりに、「徒歩日本縦断(1995年)の思い出」を更新。
留萌から海沿いに南へしばらく歩いた所に、増毛という町がある。
ここは、名作映画『駅STATION』の主要ロケ地となった町。
だから、私は、ここを訪れるのを楽しみにしていた。
高倉健主演の『駅STATION』という映画を憶えておられるだろうか?
公開されたのは1981年(昭和56 . . . 本文を読む
出発前、徒歩日本縦断の計画を、私は誰にも話さなかった。
私の気まぐれな思いつきで実行することなので、
誰にも知られたくなかったからだ。
妻も子もある中年男が会社を辞めて旅に出る……など、褒められた話ではない。
非難を浴びるだけだ。
それに、歩き通せる自信もなかった。
イヤになったらすぐに帰ってくるつもりでいた。
だから家族以外は徒歩日本縦断のことは知らない筈であった。
ところが、旅に出る直前、
地 . . . 本文を読む