一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

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2025年01月01日 | 「一日の王」とは…


詩人で山のエッセイを多く書いた尾崎喜八(1892~1974)の著書に『山の絵本』(岩波文庫)というのがあります。
この本の巻末に、私の好きな「一日の王」という文章が収められていて、このタイトルを借りました。
「一日の王」という言葉は、元々はフランスの詩人ジョルジュ・シェーヌヴィエールの詩集の「一日の王の物語」からきているようです。

山に登るだけで、誰もが「一日の王」になれる……
山が好きな人には、実感として理解して頂けるのではないかと思います。
「一日の王」が手にするのは、お金や物ではない。
私有化できるものでもない。
だが、それら物質よりも、豪華で贅沢なものです。

美しい風景を眺め、可愛い花を見る。(視覚)
美味しい空気を吸い、岩清水を飲む。(味覚)
心地よい鳥のさえずりや、小川のせせらぎの音。(聴覚)
香しい花の匂いや森の匂い。(嗅覚)
土を踏む感触、木や岩の手触り。(触覚)


五感すべてで感じる幸福。
黄金のような時間。
これこそが、「一日の王」が得る宝であり、富だと思います。

「かくて貧しい彼といえども、価なき思い出の無数の宝に富まされながら、また今日も、一日の王たることができたあろう。」
尾崎喜八の「一日の王」はこの文章で締めくくられています。
機会があったら、ぜひ原文も読んでみて下さい。

と、難しいことを申しましたが、要するに、「山登りは楽しい」ということです。
登山と同様、映画を見ている時や、読書をしている時も至福の時間。
「一日の王」になれる貴重なひととき。
このブログは、いわば、至福の時間の記録です。
シンプルで、地味ぃ~なブログですが、時々でイイですから、遊びにきて下さいね。

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