1980年の欧州ツアーからチューリッヒのコンサートを収めた海賊盤。ブートの音質が悪いのは当たり前という概念をぶち壊したCDでもある。
音質以上に衝撃を受けたのは、アルバム「Ⅱ」を作り出したギタリストの輝きが消え失せているという事実だった。音楽評論家が大嘘つきで、クソであることも同時にわかった(笑)
全盛期の華麗なフィンガリングは見る影もなく、拙いソロが目立つ。“ALL MY LOVE”は特に酷い、ジョージ・ハリソンが笑うほどに。オフィシャルリリースはまず無理な出来映えである。
枯葉がすっかり落ちた冬の街路樹という表現を通り越して根腐れを起こした老木を連想してしまう。
燻って急降下する鉛の飛行船は肉体派ドラマーの急逝によって大爆発した。ここからジミー・ペイジの過酷な漂流が始まるのである(苦笑)


1975年8月5日、愛知県体育館で行なわれたコンサートの隠密録音盤。切れのある演奏(些細なミスはこの際気にしない)で「ハワイ」同様、すばらしい。
やりたいことをのびのびやっている男は本当にカッコいい。旧友ペイジが薬でボロボロになる中、ジェフ・ベックは黄金時代を築く。その後、パッとしない時期もあったが、時代に振り回されること無く、技に磨きをかけていった。
ボーナスCDRには、どうでもいいおっさんのMCが入っているが、大して価値はない(笑)

海賊盤嫌いの御大は近年オフィシャルブートを二枚リリースしている。どちらも「ありのままの姿」がとらえられており、まともな人はこれらを聴いていればいい。完成度の高さをとるならば“AT BB KING BLUES CLUB”だ。
輸入盤はチープな作りの紙ジャケである。「装丁なんかどうでもええねん。中身で勝負や」という御大の高笑いが私には聞こえる(大笑い)

サイドボードの掃除中に黒い箱らしきものが出てきた。チョコレートにしては大きすぎると思ったが、すぐに何であるかが分かった。1993年に発売された2枚組ブートの外箱である。既にディスクは手元に無く、データは外付けHDDの中に封印されている(笑)
ハードロック狂の知人にLED ZEPPELINの武道館公演の音源を大音量で聴かせたのは3年前の暑い夜のことだった。彼は興奮を抑えきれない様子で喋り始めた。
「こんなブツが流通してるんか?」
「あぁ、西新宿に行けば容易に手に入る」
「で、なんぼしたん?高いんか?」
「1万円以上したんじゃなかったかな。あの頃は高いモノがバンバン売れた。業者にとってはいい時代だった」
「今でもそんな値段で売られてるんか?」
「まさか。ブートバブルはもう終わってる。タダでダウンロードできる時代にわざわざブートを買っているのは、アホなおっさんだろうよw」
「じゃあ、お前もアホのうちだな。コピーしてくれ」
「邪魔くさいからディスクやるよ」
「ほんまにええんか。ヤフオクに出せばそこそこいくんだろう?」
「ダメダメ。漱石2枚ってとこかな。あそこはどこの馬の骨かわからんヨタモンくずれが多いからイヤなんだよw」
「ほうか。でもタダじゃ悪いな~」
「そんなら旨いモン奢ってくれ!」
「何食いたいん?」
「そうな~大アコウ(註:キジハタ)で手を打とうかw」
「分かった。例の割烹、予約しとくわ」
ブートを捨てて美味いアコウを鱈腹食ったことを思い出した。久し振りに1971年9月23日の音源を聴いてみた。ジミー・ペイジの名誉のために言っておこう。この頃の彼はまともである。最後の輝きの記録としては少しは価値がある(笑)
エディ・バン・へーレンが「ヤツも薬に手を出さなければ、あんなにはならなかったと思う」とインタビューで語っていた通り、73年以降マジックは見られなくなった。
パブロフの犬のような、だらしないノッポさんに変わろうとは、誰が予想しただろうか。彼は長生きすべきではなかったという意見もあるほどだ(笑)

ガタがきたSANSUIのアンプのボリュームを上げる。ファンファーレに続いて、人をおちょくった“HONKY TONK WOMEN”のリフが始まる。大歓声を聴いてると自分も会場にいるような気分になる。隠密録音名人のマイク・ミラードに感謝・感謝・感謝。
ミック・テイラー脱退後、ロニーがゲストとして参加。結構弾きまくっており、現在の彼とはまったく別人である(これは頁も同様w)。
この北米ツアーの演奏からは独特の粘っこさを感じる。20代の頃はその魅力が理解できなかったのだが、今の自分には許容範囲である。
“STAR F☆CKER”“HAPPY”“IT'S ONLY ROCK'N ROLL”などの気だるいノリが快感なのかも。疾走感溢れる曲で攻める全盛期のLED ZEPPELIN(1970~71年)もいいが、1975年の時点ではこちらに軍配が上がる(笑)。

先月、直営店にて購入したブツ。随分前にCDRとして世に出て、マニアを喜ばせた“IN HAWAII 1975(MASTERPORT-037)”のプレス化。“BLOW BY BLOW”お披露目ツアーからは数々の名演が生まれたが、7月30日のハワイでのコンサートは間違いなくベスト3に入る出来である。
ジェフ・ベック御大の鋭角的なギターが響き渡り、当時の「勢い」が伝わってくる。所々での外しも持ち味のうちか(笑)。8月に二度目の来日を果たし、名古屋では素晴らしい演奏をしている。
惜しむらくは、この時期の音源が正式にリリースされていないことだ。SBDテープはどこかにあるはずだが、過去を振り返らないところがいかにも「アウトロー」らしい。頁、倉が過去の人になってしまっても、金に執着しない男はいまだにしぶとく輝いている。


昨日は現役バリバリで活躍するジェフ・ベックについて触れた。しかし故人を含めたギターヒーローにまで範囲を広げると、その筆頭はジミ・ヘンドリックスになるだろう。
彼のアルバムを初めて買ったのは高校生の時だ。ストラトが激しく燃えるジャケットは私の購買意欲をかきたてた。
妖怪人間べムそっくりの友人宅でレコードをかけてカセットテープに録音した。延々と続く激しいノイズを聴いて「俺が求めていたのはこれだ」と思った。
べムはこれにはまったく興味を示さず、性懲りも無くアルフィーの坂崎氏からもらったサインを自慢し始めた。ミニコンポを持っていなかった私は、心ならずも毎回相槌を打つのだった。

ワイト島の映像を数年ぶりに観た。3アングルの特典映像も嬉しかったが、ビリーコックスの暴露話(FOXY LADY演奏中にジミが派手に開脚してパンツが破れてしまった)には笑った。フライングVで弾き語るジミのかっこいいこと。
晩年を捉えた映像からは疲れ、苦悩だけではなく、新たな分野に挑戦しようとする意欲も感じられる。初心者向けとは言えないが、絶好調でもなく絶不調でもないジミは実に人間臭い。

私にとってのギターヒーローは前にも述べたようにジェフ・ベックである。彼の魅力とは何なのか、考えてみた。
・飽きっぽい性格ですぐに投げる
・金に執着しない(守銭奴頁とは対照的)
・身なりに無頓着
・作曲能力ゼロ
・突拍子も無いフレーズをあの妙なトーンで弾きたおす
・外した後のリカバリーの素早さ
・好調、不調の波が大きい
・鼻がデカイ
・落ちぶれた頁(かつての友)に優しい一面
・西新宿でブート漁りをしない
1991年にリリースされた集大成の“Becklogy”をどれほど聴いたことだろう。この3枚組はまだ手元にある。ハチャメチャぶりを堪能するにはやはりライブ盤だろう。最近では公式ブートレッグが2枚出ており、コテコテの職人技を随所で披露している。

LED ZEPPELIN / FINAL TOUCH & LAST STAND
1989年にCONDORレーベルがリリースしたベルリンでのライブ。これが本当の最後になろうとは。ジミー・ペイジの衰えは著しく、ひねくれたファンとしてもつらいものがある。
"STAIRWAY TO HEAVEN"の長ったらしいギターソロはメロメロで、1970~71年頃の輝きはまったく消え失せている。ボンゾーの死によってバンドは解散、ヤク中の彼はその後ドラエモンと化す。「ロッキン・オン」では度々嘲笑の対象になった。早世したジミ・ヘンドリックスのほうが幸せだったかも知れない。
運命とは皮肉なもので、名盤「LIVE ON BLUEBERRY HILL」よりも先に末期のボロボロの演奏を聴いてしまった(笑)。私が守銭奴ペイジを闇雲に持ち上げない理由はここにある。彼は生きながら“地獄への階段”を上っている。
約17年ぶりに見つかったかび臭いCD類は火曜日に燃えるゴミとしてすべて捨てる。形あるものは遅かれ早かれ必ず消滅する。役割を終えたブツはきれいな灰にしてやるのが一番だ。この歳になってブート供養をするとは夢にも思わなかった(笑)。

THE BEATLES / ULTRA RARE TRAX
THE SWINGIN‘ PIG(TSP)がブートCDの世界で金字塔をうちたてたのが1988年。キャラメル・ママのコレクターズ・マガジン(HOT・LINE8月号)では以下のように紹介されている。
ULTRA RARE TAKES ON CD
まさに驚異のウルトラ・レア・トラックス!!
一瞬、自分の耳を疑ってしまう!!
鳥肌もんのアウト・テイクっ!!
まったくどーしてこんなスンゲエー音が聴けちゃうんだろうか!?
今までに一度も聴いたことのない正真正銘の別テイクが鬼のように収録されてる!
"FROM ME TO YOU"はすべてが別モン!!
¥3,400(VOL.1)
驚きは、別テイクのほとんどがステレオ・ミックスだという所
完璧に音が分離してる!!
2,3の"THERE'S A PLACE"と5,6の"DAY TRIPPER"は途中NGでやり直している
もち別テイク!!
¥3,400(VOL.2 ジャケの写真はない)
8月号の入った封筒にはふみの日の記念切手が貼られ東京中央郵便局(88 8.6)の機械印が押してある。3日後には実家に届いたであろう。退屈な帰省先でワクワクしながら注文書をしたためたのだと推測する。
ブツが届いたのは中旬以降だろう。自動車免許を8月末に取得し、急いで広島に帰った。そして日当たりの悪い四畳半の部屋で猿のように聴いた。10月上旬、専門課程に進み、とんでもない僻地に飛ばされたが、これらのCDは悲しみにくれる私をなぐさめてくれた。

学生時代に梱包したダンボールケースを開き、懐かしい資料がたくさん出てきた。1986年~1990年初頭までのブートの通販カタログを手にとって苦笑した。“PALE BLUE”、“キャラメル・ママ”、“GET BACK”からの封書や葉書の山を見て、馬鹿をやっていた頃を思い出した。
最も古いのは1986年発行の「EVERY LITTLE THING(ビートルズ・リスト№5)」。まだブートCDは出ていない。「I HAD A DREAM」、「ALMOST GROWN」、「SINGING THE BLUES」、「NOT FOR SALE」というLPが載っていた。これでピンとくる人はおそらく50前後から30代半ばまでのマニアだろう(笑)。
受験勉強は適当にすませて、こんなことにうつつを抜かしていたとは。赤っ恥だ。通販で非合法のブツを取り寄せたのは“キャラメル・ママ”と“松庵村(現在の極東レコード)”だった。カタログの下には見覚えのある10数枚のブートCDがあった。

1975年7月23日、カナダのトロントでは昼夜2公演が行われた。このCDは夜の方を収録、良質な隠密音源である。
昼の部よりは好調な出だしだ。勝手気ままに弾きまくるジェフ・ベック。音を外そうが、まったくお構いなし。即座に何事もなかったかのように修正を入れる。これが彼の凄いところ(笑)。
職人技がキラリと光る“Definitely Maybe”。ソロの途中で大きな歓声が上がっている。
マックス・ミドルトンのキーボードソロに続いて厳かに始まる“Cause We've Ended As Lovers”はミストーンが多く、イマイチな印象を受ける(昼の出来は悲惨だ)。
散々暴れた末に“Diamond Dust”で静の世界を展開し、清涼剤のような効果を見事に出している。後年発表するインスト“A Day In The Life”の源流を感じた。

昼の部よりは好調な出だしだ。勝手気ままに弾きまくるジェフ・ベック。音を外そうが、まったくお構いなし。即座に何事もなかったかのように修正を入れる。これが彼の凄いところ(笑)。
職人技がキラリと光る“Definitely Maybe”。ソロの途中で大きな歓声が上がっている。
マックス・ミドルトンのキーボードソロに続いて厳かに始まる“Cause We've Ended As Lovers”はミストーンが多く、イマイチな印象を受ける(昼の出来は悲惨だ)。
散々暴れた末に“Diamond Dust”で静の世界を展開し、清涼剤のような効果を見事に出している。後年発表するインスト“A Day In The Life”の源流を感じた。

