自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

薬の副作用と形而上セラピー

2013年08月01日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 エディ夫人癒しの実例    平成25年8月1日

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 昨日、NHKの午後7時半から、今まで信憑性の高い

癌の薬として使われてきたものが、ある、虚偽の

レポートに裏付けられ使用されていたことが判明、

その特集を組んでいた。

今日は以下のような お話しをブログでご紹介したい。

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昨日の記事の補足として エディ夫人の著作から

抜粋引用してご紹介する。

”A casae of dropsy, given up by the faculty,

fell into my hands.

It was a terrible case.

Tapping had been employed, and yet,

as she lay in her bed,

the patient looked like a barrel.

I prescribrived the fourth attenuation of

Agrentum nitratum with

occasional doses of a high attenuation

of Sulphuris."

(156)

 訳すと、

担当部医師たちが見放した水腫患者が

私のところに回された。 

ひどく弱っていた。

水を体から取り出す療法を取っていたが、

ベッドの上の彼女は

まるでビア樽のように膨れていた。

私は 第4度に薄めた 硝酸銀に、

高度に薄めた硫化物を

調合した処方箋を与えた。”

 

こうしてエディ夫人はその女性の形而上学的

治療にあたる。

これらの薬は 以前からの医師が処方していた

ものだが、エディ夫人は女性に、暫く、

その薬をとることを控えるよう、示唆をする。

しかし、女性は今まで取っていた薬を離すことは

できないという。

そこで、 エディ夫人は妙案を思いつき

実行した。

”It then occured to me to give her

 unmedicated pellets and watch the result.

I did so, and she continued to gain.

Finally, she said that she would give up

 her medicine for one day,

and risk the effects.

After trying this, she informed me that

she could get along two days without globules;

 but on the third day she again suffered,

and was  relieved by taking them.

She went on in this way, taking the

unmedicated pellets, - and receiving occasional

visits from me, - but employing no other means,

andshe was cured."

とある。

訳せば、

”そのとき、私は 薬の成分のない、丸薬を彼女に与え、

様子を見ようと思った。

彼女は(薬が入っていないことを知らずに)その丸薬を

取り続け、目に見えて良くなっていった。

そして、一日 薬なしでやってみると私に言った。

すると、さらにもう一日 とらなくても大丈夫そうだ 

と彼女は言った。

しかし、三日目になると、彼女は苦しいと訴え、丸薬

服用して楽になった。

このような調子でしばらく過ごし、時々 私は彼女を訪問した。

それ以外には なにも施術を施すことなく、彼女は

結局、すっかり回復したのだった。”

 ここでは 患者の願いに従い、エディ夫人は、薬を与えたが

その薬は薬の成分抜きのただの丸薬だったところが味噌だ。

真の心の正当性”を主張するエディ夫人は、患者本来の持つ

自然治癒力にゆだねた。

 

一方、女性の心配は 心の波動を乱すので、回復を遅らすと

エディ夫人は思い、偽の薬を与え、安心させた。

医学現場から見放された この患者は、こうして、

患者自身の、真の心が作動して 恐れ がなくなれば、

病はなくなるという、究極の結果を

上記の例で示すことができた。

 

エディ夫人の徹底した 肉体と心の完全観は

一元論を説く、ヒマラヤの聖者も大師の意見、

そして、アートマセラピー 、共通して流れる

idia かもしれない。

 

実際、こうした 極端な徹底論は 

原理主義 と いえるのだろうが、

ある意味 死にもの狂いで

徹底してあたらなければ

何事も 成就しないのと 同じことだと思う。

薬 に関してエディ夫人は興味ある意見をしている。

”If drug are part of God's creation, which

(accounting to the narrative in Genesis)

He pronounced good, then drugs cannot be

poisonous." (157)

”もし、薬が 神の創造の一環であり、その創造を

(創世記の聖書の断片に従い)’良し’と宣言されたのならば、

どうして、薬剤が有毒であることができよう。”

ここでは

副作用を持つという意味で、あるいは 

毒をもって毒を制す という観点から、

西洋医学で通常用いられる 薬剤は、

神の創造ではないとエディ夫人は 

反論するのである。

まとめれば以下のような主張におさまる。

* 薬は有毒である以上、神が創造したのではない。

* 薬がもし神によって、造られたとしても、

体に良くない成分があるということであれば、

使用すべきではない。

* また、薬を医療用に使うべき目的で神が

創造したのならイエスキリストは 病をいやすときに

それらを使用したという聖書の記事が 何故ないの

だろうか?

 

ここでは、神 は キリスト教の創造主に限られて

いる印象があるが、神 という概念、あるいは、創造意思

が 存在しているのなら、そして、その意思が、完全で

善なる存在であるなら、キリスト教に限った神のことに

留まらないと私は思う。

何教の神 と 言えば、矛盾が生じる。

なぜなら、神 を限定することになってしまうから。

神 とは、本来、総てのすべてに行きわたり、私たちをふくめ

生きとし生けるものに流れている命でもあるのだから。

 

だから、上記のエディ夫人の説は、現代の私たちが読んでも 

違和感が無いと思える。

*

 

参考)

Science and Health With Key to the Scriptures

by Mary Baker Eddy

published by The First Church of Christ, Scientest,

in Boston, Massachusetts, U.S.A, 1982 edition

 

 

 

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