自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

手の平で生まれたての蝉の写真

2013年08月16日 | 健康のための心の波動

脱皮・飛翔・蝉一考 平成25年8月16日

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真夏の風物詩 蝉~ 

我が家の周りでは今年も、楽しく嬉しく切なく元気な蝉の大合唱 が

 聞かれる季節になりました。

今月に入って 玄関の訪問ベルが なっても、聞こえないほど 蝉の声

はち切れそうな鶴川の森です。

 

色々な種類があるのですね。昨今、カナカナ(日暮)やツクツクぼうし

だけでなく、アブラゼミ や ニイニイゼミ、みんみんゼミなど さまざまな

蝉の声 を 聞き分けようと、時々、耳を 澄まします。

 

 生まれたての蝉

 

さて、先日、 私の手のひら で この子(上)が、固い殻を脱ぎ捨てて、

地上服に衣替えをしました。

生まれたての 羽 は ご覧のように、ウスバカゲロウのように透明で 

青緑色がほんのわずかに 交じってます。

 

その羽は、羽衣のように 繊細で 触ると壊れそうな 薄紙のようです。

 


 

たまたま、明け方近く、公園を散歩していたら足元に、地面から地上に出てきたばかりの蝉の赤ちゃん(寿命を考えた

ら もう、おじいちゃんかも?)が 蟻たちに 囲まれてました。 脱皮が中途半端、羽もでておらず、ほとんど 

殻のまま 動いているが動いていないかのような状況。

これは ほかの虫たちの、餌食になってしまうかも~と手のひらに救い上げ

自宅に持って帰りました。

 

 

4時半に見つけて、すっかり、殻 から抜け出るまで2時間ほど、かかりました。

最終段階 は へその緒のような糸 からの脱却でした。

それは、釣り糸のように透明で、蜘蛛の糸 のように細い 糸。 

殻 と 蝉の本体をしっかりと、つなぎ合わせていました

 

 

蝉は、30分以上、ゆっくり、右往左往と動いて、その糸からの、

完全脱皮を試みていました。 

まるで へその緒のよう・・・だと思いました。

 

自然の智慧が付いているので へんに 手助けのつもりで、

加圧しても良くないと思い、時を待ちました。

 

そうして、彼は、出てきたものの、後ろ足がまだ 縮こまって力が

入らないのか、コロン と 手の中で、仰向けに

転がる始末。

 

 

網戸 に つかまらせてさらに 数時間たつと、 透明な羽が次第に 

色づいてきました。セロファンのように 危うく、脆い 感じだった羽に

飛ぶに足る、空気の抵抗に負けないだけの力強さが みなぎってきました。

 

そうして、大空に飛んでいきました。

 

 

 

その数日前には、お祭りがあり、子どもたちが 公園で花火を楽しんだの

でしょうか?

翌日の朝の公園は その 花火の燃えカスとともに、羽が黒く 焦げて 

飛べずに、転がっている蝉やそのまま、蟻(あり)たちの餌食になった、

蝉たちを 何匹か見かけて、心が痛みました。

 

今朝は 坊やが ” じじ、ここにもいるよ!”と 大きな声で、

おじいちゃんを呼んでいました。

片手には、ビニール袋

に沢山の蝉をいれて、アミトリで 背伸びしながら、おじいちゃんと一緒に、

木に止まっている蝉を取っていました。

 

ほほえましい 光景の一コマ、でも。あの、ビニールの袋の 蝉たちは

あれからどうなったのか・・・と

ちょっと、気になりました。

 

以下のブログ記事(去年9月)を もう読まれた方がいるでしょう・・

去年書いた 蝉の詩 です。

今年は 少し それを アレンジ してみました。同じ鳴き声でも 

心が変わると、違って聞こえるものですね。

  

”オーシンツクツク ” オーシンツクツク オーシンヨー オレシイヨウレシイヨ:ツ~~”

 

ミ^ンミ^ンジ~~~ジ~ンミ~ン meen meen meen mi~~~”

 

元気な蝉たちが 4時15分の日の出とともにうたい始めます。

彼らは、何年も地下で過ごし、地上に出てきて 一週間ほどで 

その一生を終えるのです。

 

最期まで 鳴き尽くせる 蝉 は幸いだ。脱皮途中で 力尽きる子、

野鳥に 狙われて食べられてしまう子、

虫かごに 入れられてしまう子、この世に出てきても 鳴き尽くせない

うちに余命を閉じる。

”種族を残すために残されたわずかなひと時を尋常でないエネルギーを

使って”なき”つくす。

”その鳴き声が私には、高揚した ”臨場感 と はかなさ の協奏曲”

のように聞こえる。 だから、”泣” いているように聞こえてしかたがない。”

 

と去年の夏は 書きました。今年は、そう、思う反面あの歌声は 

きっと、”儚さの協奏曲” というより悦びの凱旋の歌 かもしれないと 

感じてきたのです。

 

地下の 闇の世界 から地上の 光の世界 に上り、脱皮して、さらに、

三次元の天空へと舞い上がる。 

蝉の人生は異空間から異次元への”上昇の一生”だ。 

 

日暮らしは 涼しい空気に誘われて鳴いている。早朝の一瞬、そして、

それから、終日の強い日差しの中で、沈黙して日が沈む前の ひととき、

声をだす。 

その日を 生きていた証のために。

 

”泣く” のではなく、”啼い” ているのだ。 自分に残されたわずかな時間を 

静かに受け止めて、黄昏の中で、 味わい尽くすように:

 

かなかなかなかなかな・・・・・・おもわず、人の命と重ね合わせる。

日暮し蝉の歌は、 切なくも、美しい。

私たちは最期の最後まで、かれらのように歌い続けられるのだろうか?

鳴くき尽くせるのだろうか?

 

これは去年の感慨。今年の私の感慨は以下のよう・・”はてはて、自分 

は まだ 何かを恐れていないだろうか?

慣れて楽な この生活から新しい環境の地上に出て闘うことを恐れて、

まだ 惰眠をむさぼろうとしているのではないだろうか?

暗闇を 妥協して 冒険と隣り合わせの明るさを躊躇していないだろうか?

 

光り に向かって、地上に昇る覚悟はついたのだろうか?そして、

光りの中で 飛翔するための脱皮をする準備はできたのだろうか?

光りの中でたった7日間の 短いときを光りと一体になった生命を謳

歌しながら、精一杯の力を出し尽くせた満足感で悦びの歌をうたいながら

死を 迎えることができるのだろうか?

 

やはり、あの歌声は だからこそ、悦びの 凱旋 の歌、人生の勝利の歌

に聞こえるのだろう。・・・・と

”最後まで歌い尽くせる”(去年の感慨) かを心配するより、まず、脱皮

ができるか~の現実をみつめよう・・・・

 

それが、今年の私の感慨です。

 

     

                          

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