霊に語れ・・”チベット死者の書”より 平成25年8月13日
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お盆に帰ってこられる先祖の御霊。
必ずしも、霊界で 安堵の生活 に甘んじている
ご先祖さまだけではないかもしれない。
"甘んじていない" というのは、
もっと、高き霊層に 移行したいと願う御霊(みたま)や
今度 生まれ変わるとき、より良い現象界にうまれようと、
(畜生界 などではなく) 模索されていたり、
悟りを開くために 真理の光 を探しておられるかもしれない。
あるいは、
これまでの カルマを消去できる 段階 を
念蜜に計画している、諸霊もおられるかもしれない。
現世も来世 も そういう意味で 修行は現在進行形
で続いている。
”チベット死者の”書 から、この時期にふさわしく
ご先祖様の御魂に
読んでお聞かせしたい 章を
ご紹介したいと思う。
原則として 日本語訳は おおえ・よしのり氏訳を基に、
筆者が 多少、言葉を付け加えさせていただいた。
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私 という言葉で 始まる
各章 だが、 私 は 皆様の心におられる
亡くなられた方達 に 置き換えらると思う。
Ⅰ)
私の 生命のさいころが ふり尽くされたとき
この世の親族は 私には 役立ちはしない。
私がバルドー(幽界)の中を
ただ一人で彷徨っているとき
ああ、平和 そして、憤怒(*1) の征服者(*2)よ、
その慈悲の力を働かせて
無知の暗闇 (*3)を 追い払いたまえ。
補足)
*1~憤怒の神
この世 と あの世の間の幽界に存在する。
しかし、実際は、私たち自身の 心 の中に存在している
心の形状の一つを こう呼んでいる。
憤怒の神の他、平和の神 そして、蓮華の神 と呼ばれる
存在も同様である。
意味するところは
憤怒の神 脳の中心に位置している 現象世界の知性昨日。
思考や想像、記憶などをさす
平和の神 心の中の知覚機能の中で、神聖化された意識原理 をさす。
蓮華の神 言霊や波動などの 発声時、神聖な部分の機能を司る
Ⅱ)
愛する友人からわかれて
一人で彷徨っているとき、
私自身の 空なる 思考形態 が
明らかに見えてくる
ブッダ(悟った覚者)よ、
あなたの慈悲の御力を 私にかけて
バルドの畏怖や恐怖を なくし給え
補足)
*2 征服
第三者的に呼びかけているが *1に書かれているように
実際は 私たちの各自の心に位置する それぞれの 心の
働きを統合し、コントロールするものという意味である。
それが 私たちの、本来の姿でもある。
Ⅲ)
五つの智慧の輝く放射線が
私を照らす今、
私が畏怖することなく恐怖もなく
それらの光が私自身であると
認識できますように。
平和、並びに 憤怒(*1)の表象が私の目の前に
明らかに顕れても
恐れのない確信とともにバルドの実態を
認識できますように
補足)
*3 無知な闇
知らない から 闇 である。
知れば、闇は消える。
光りが入るからである。
光り が 真理の智慧 をさす。
幽界では、物質的価値は意味がなく、
現象界で意味があまりなかった
真理の智慧こそ、闇と恐怖を 一掃する手段となる。
亡くなった人たちには、その 光 は 外からくるのではなく
自分自身の中にこそ、ある ということを
知らしめて 差し上げることが 一番の供養ともいえる
のではないだろうか。
Ⅳ)
悪いカルマの力によって、不幸を体験しているとき
平和 並びに憤怒(*1)の征服者が 不幸を
追い払ってくれますように。
実存する 空(アートマ)(*4)の音が
何千もの 雷のように 響き渡り
それらの響きが 大乗の悟りへと、導きますように。
補足)
*4 実在/存する空(アートマ)
空 とは、くう、即ち、色即是空 の 空 である。
実存 する というのは、
現象世界 幽界 霊界 実相界 において、
唯一 存在し続ける 実の性質 といえるだろう。
それを 霊魂が悟ったとき、あるいは、気が付いたとき、
暗闇も恐れも畏怖も 存在しなくなる。
Ⅴ)
私が保護されず、カルマの影響に従わねばならないとき
平和及び憤怒(*1)の征服者 が
私を保護してくださいますように。
性癖のカルマの影響のために、
不幸をこうむっているとき、
クリヤーライト の 至福 の サマーディ に
明らかに到達できますように。
Ⅵ)
シドバ・バルド において、非凡な再誕生を引き受けるとき
マーラの踏み外させるものが そこで生じないように。
私がいかなる望みの場所へもいたるとき
私が 悪い カルマから 幻覚的恐怖や 畏怖 を
経験しないですむように。(*5)
補足)
*Ⅵ の 章
この項では、生まれ変わりを決意した霊魂の覚悟を
詩っている。
非凡な再誕生を引き受ける、つまり、意識して、再度
現象界に生まれてくる覚悟をもったとき、
過去のカルマのヴェールによって、今、覚醒した 光 が
曇らされることがないようにという
願いが込められている。
参考
バルド・ソドル (Bardo Thodol) おおえ まさのり 訳 講談社 S56