自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

癒されたと宣言すれば・・・

2013年08月07日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

クリスチャンサイアンスの生理学     平成25年8月7日

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同教会本部の写真

 エディ夫人の著書から引用する:

”Whenever an aggravation of symptoms has occured

through mental chemicalization(*1), I have seen the

mental signs, assuring me that danger was over,

before the patient felt the change; and I have

said to the patient, 'You are healed', - sometimes

to his discomfiture, when he was incredulous.

But it always came about as I had foretold."(169)

セラピー協会訳)

”心的化学反応(*1)によって、症状が悪化したとき、

私は 精神的なサインを観てから、危険が去ったことを

確信するのであるが、まだ、患者自身は変化に気がついて

いない。

 

さらに夫人は言葉を続ける

それから、患者に、もう、あなたは治っていますよ と

言うのだが、ときには、患者は信じられないとばかり、

当惑気味になることがあった。

しかし、結果はいつも私が予告したようになっていった。”

(*1)の心的科学反応 とは、その患者の病に対して

或いは、自分自身の身体の治癒力などの自覚などが

それまでの 物質的考え方から 一元的な、つまり、

体と自分の本質への信頼という方向へ移るときに

生じる 精神的変化をさしている。

 

筆者のセラピーの現場でもこのことはしばしば、体験する事であり、

本人が 

もしかしたら、自分は完治できる”と

希望を 持っただけですら状況が変わっていくのである。

それは、希望 というより、完治する 

という無意識の ’病よりもっと強い自分の持つ力’

の自覚でもあると思う。

そして、その化学変化と エディ夫人が呼ぶところの

精神的変化が 自然治癒力を促進し、浄化作用がでて、

一見 症状が重くなったように見える時期がある。

エディ夫人が上記で述べているように、精神的兆候は

施術側は気がついているが、本人は、悪くなっている

と勘違いしているから、”もう治りますよ”と言われても

ぴんと来ない。

しかし、心の世界では一足早く、事象が実現する。

だから、時間のある、現象次元にその事象が見えるには

時差のような時間のズレがあるもので、

エディ夫人の予告したように、そうなっていく という

表現になるのだろう。

 

エディ夫人は、さらに続ける

”I name  these facts to show that disease has a mental,

mortal origin, - that faith in rules of health or

in drugs begets and fosters disease by attaracting

the mind to the subject of sickness, by exciting

fear of disease, and by dosing the body in order

to avoid it.

The faith reposed in these things should find

storonger supports and a higher home.

If we understood the control of Mind over body,

we should put no faith in material means." (169)

 

セラピー協会訳)

病気は 精神的な 本来の実存でない起源を有している

ということをきちんと述べるためにこの実例を掲げる。

つまり、病に対する恐怖心を起こすこと、だから病にならないよう

投薬を試みて、精神を常に、薬剤の規則や健康の規則

病気の話題にひきつけることで、かえって、病気を引き起こす

ことになるのである。

こうした[物質的なものへの]信頼は もっと強い支えと

より高い意味のある、家庭へと注ぐべきである。

私たちが 実相の心が体を支配しえるということを

知ったならば、物質的手段に頼る術に 信頼を置くことは

ありえないだろう。”

 

何故、エディ夫人が、これらの諸説に サイアンス (科学)

という言葉をもってして 自称しているかといえば、

こうした実例が数多く、見られたからにほかならない。

科学とは、定義があって、それに現象が伴うのでなく

現象や事実を 分析して一つの定義をつくることだと

したら、エディ夫人の言うところの 科学 も

科学足り得るだろう。

 

エディ夫人の生理学の科学的アプローチも、

心、精神的要因が 病因 を造っているのなら、

その病は、実相の心 によって 癒される という

明快なものである。

だから、薬剤 や、その他の手段を信頼しても

自らの内にある、アートマ (実相) を自覚する

手段でなければ、究極的な癒しが来ないという。

 

世の中、体の悪い人は大勢いる。

毎月きちんと定期健診を行い、体の保善に気をつけて

いる人は上記のエディ夫人の意見でいえば、

自ら 病をひきつけやすい ということになる。

 

筆者は 夫人のこの意見に関して必ずしもそうでないと思う。

同じ薬を投与しても 効く人もいればそうでない人もいる。

物質的薬や手段に頼らず、発見が手遅れという理由で

他界する人もいれば、薬漬けになっていても長生きできる

人もいる。

それもこれも、運命ということなのだろうか?

それだけの問題ではない。

私たちは 究極のところ、生かされている のだから。

自分の意思 で 生きているというのは、不完全な

考え方だろう。

 

ただ一つ、エディ夫人のいう、究極の生理学の意味を知っているが

知っていないの、違いがあるとすれば、その人の魂の深さと

関係があるだろう。

魂の深さは、あの世へ移行する瞬間に、どの霊界へ旅立つかの

鍵にもなる。

 

以前、チベット死者の書 にも、詳記したように、

死んでから、様々なプロセスが 霊界で待っている。

その時に、自分の本質を知っている人 考えたことのある人

そうでない人、それが、霊界での光の邂逅に関係するらしい。

病気自体には それが癒されるかどうか、ということも

大切だが、 病気や不幸に面して、自分と向き合うか

ということが 大切なのかもしれない。

究極の癒しは 形而上的(けいじじょうてき)で

あることは 間違いないと思う。

そのことを受け入れられるかどうか ということは

その人の自分との向き合い方にかかって

いるかもしれない。

そういう意味でエディ夫人は

私たちの内面にある、人間の実相(Spirit)を

こうした実例を投げかけて 

私たちに 教えているような気がする。

 

参考)

 Science and Health With Key to the Scriptures

 by Mary Baker Eddy

 published by The First Church of Christ, Scientest,

 in Boston, Massachusetts, U.S.A, 1982 edition

 

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