自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

癒しは自らの内から来る。

2013年08月17日 | 健康と直結する”一元論”について

大師・エディ夫人・キリストの癒し共通点  平成25年8月17日

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アートマセラピーでも、クリスチャンサイアンスでも

野口整体の開祖 野口氏でも、アユールヴェーダの真髄でも、

内科医の内田医師の生理学に対する考え方でも

根本に ”癒しの共通点” があるように思える。

それが何かといえば、いわゆる、心と身体 とは 切り離して

考えることは難しいという、心身一如 の考え方だろう。

心の状況は 身体に影響し、身体の状況は、心に影響を与える

鏡のような 関係と言い換えることができるかもしれない

さらに 歴史をさかのぼり

門戸を広げて考えれば、一般に、奇蹟 として

受け入れられている癒し(例えば、キリストや、聖者達が行った)

や 善き宗教において 信者の語る癒しの奇蹟も、

ある意味、心身一如 の観方で、説明ができそうだ。

心が変われば、体に何らかの変化が起きる。

イワシの頭も信心~というような言葉があるように

イワシの頭も有り難いと拝めば 輝いて尊く見えるように、

私たちの 信念 が 肉体の状況を変えることもある。

”芥子種 ほどの 信仰 があれば、山をも動かすことが

できる~”と 聖書に書かれているように、

私たちの 信念 が、健康を左右するというのが、

形而上(けいじじょう)的癒しの考え方である。

 

言い換えれば、

物質的自分”が ”霊的自分” の実相に連なったとき、

健康面のみならず、いろいろな局面で大きな変化が

みられることになるだろう。

そうはいっても、理屈はそうかもしれないと 

思っても、それを実行に移す となると、

容易ではないだろう。

 

私たちは、常識 良識 社会的観方 歴史的観方 などの 

外部の価値基準を無視して 社会生活を送ることは

なかなかできない。

それらの、観方は、一般社会の、基礎的共通価値判断だから、

”霊的な 形而上的考え方”は その常識と

相克するように 見えるからだ。

 私たちは、そういう教育を受けてきているし、

健康面で、いろいろ注意するよう教えられた事柄、

衛生的、病理学的常識、が 逆に、私たちを

縛る。 そのために、こうしなければ

こうなるという恐れとともに、生きているといっても

いいだろう。

天災人災事故の恐怖とともに、わたしたちは

こうした知識によって、潜在意識に

恐れを 造りだし 積み重ねている。

エディ夫人は以下のように、それについて こう意見する:

”The hypotheses of mortals are antagonistic

to Science and cannot mix with it.

This is clear to those who heal the sick on the

basis of Science.

Mind's governent of the body must supersede the 

so called laws of matter.

Obedience to material law prevents full obedience to

spiritual law, - the law wihch overcomes material 

conditions and puts matter under the feet of Mind.

Mortals entreat the divine Mind to heal the sick,

and forthwith shut out the aid of Mind to heal

the sick, and forthwith shut out the aid of Mind

by using material means, thus working against

themselves and their prayers and denying man's

God given ability to demonstrate Mind's sacred 

power. Pleas for drugs and laws of health 

come from some sad incident, or else from ignorance of 

Christian Science and its transcendent  power." (182) 

 

セラピー協会訳)

物質的(*1)な人が たてる仮説は 

クリスチャンサイアンスと相反し

まじりあうことはない。

補足:(*1)この場合の”物質的な人”というのは

上記に述べた 一般衛星知識によって、教育され

肉体を管理しようとする人たち。

 

このことは、クリスチャンサイアンスの主張に

基づいて治療する人(*2)には明らかなことである。

肉体に対する実相の心の支配は、

いわゆる物質の法則に とって代わる必要がある。

補足:(*2)この場合の”クリス~に基づいての治療”とは、

形而上的セラピーをさしている。 

けいじじょう的 というのは、”心と精神~霊性~によって、

物質はコントロールされる” という 実相哲学の同義的

表現。

 

なぜなら、物質的法則に服従することは、精神的霊的法則 を完全に

認めることの 妨げとなるからだ ― 

この精神的霊的法則の意味するところは、

物質的な状況を 実相の心のコントロール下に置くことをさす。

物質的な心 は、(病いになると)それを癒してほしいと、

真の聖なる実相心に 願い出る。(*3)

 

そのあとで、すぐ、残念な状況下、物質的方法を取る。

こうして、自分の真の心の力に逆らい、

その(クリスチャンサイアンス)究極の助けであるとことの、

(transcendent power=神性復帰の力)を

無視することになる。

補足:(*3)では、物質的な心、即ち、肉体が自分であると

みなしている意識は、自分の本当の心(神聖)に対して

病気が完治したいことを伝えるが、真の心 に任せる

ことができず、即効性ある、薬や物質的療法 に頼ることになる。

その習慣が、神性復帰 という機会を逃すことになると夫人はいう。

 

一般に私たちの 世間的常識では 

病気 は 自己の内在する力(自然治癒)の届かない範疇にある。

ましてや、霊的神性変化 とか自己霊的革新 とか、

自己の実相顕現 とか、そのような神がかった 観念的言葉は、

意味不明であり、科学的でないと、切り捨てられるだろう。

  

それは、言い換えれば、私たちに、”全能な力” が 

もしあったとしても現実的には、無力であり、病気の場合も、その例に

もれないということを 認めることである。(*4)

補足(*4):

まさに 先回のシリーズ、エミール大師調査団

の報告にもあったように、

印度の大師たちは 私たちに ”全能な”力

があるのにもかかわらず、知らずのうちに、

自己規制をしき、その力を自覚せず、

使いこなしていないのが 現代人の姿だ

と 言っている。

 

エディ夫人のコトバを借りれば、究極の癒し を 望むのなら、

”唯一の 在って在るべき力、

 私たちの実相、(Spiritual Mind) 

 不調和の法則を造りだす と仮定するだけでも間違いである”

と言い、以下の 例を挙げている。

 

 

”We say man suffers from the effects of cold, 

heat, fatigue.

This is huann belief, not the truth of being,

for matter cannot suffer.

Mortal mind alone suffers, - not because a

law of matter has been transgressed, but because 

a law of this so-called mind has been disobeyed.

I have demonstrated this as a rule of divine Science

by destroying the delusion of suffering from what 

is termed a fatally broken physical law." (184) 

 

セラピー協会訳)

人は寒さ・暑さ・疲労に影響され苦しむ。

これは、人の信念の顕れであって、実存の原理ではない、

というのも、物質(肉体)は苦しみを 本来感じないからだ。

 

人間の物質的(に影響される)心のみが 苦しいと感じる、

ーそれは、物質の法則が破られたのでなく、いわゆる

心の法則が守られなかったからだ。

このことは クリスチャンサイアンスの法則で こうした

人の持つ幻想的物質的信念を打ち破ることで

それらが迷妄であることを実証してきた。”

の実例として、

”自分は東風が吹くと呼吸が苦しくなる”

という信念を持った 肺結核の患者を夫人がセラピーしたとき、

静かに深く呼吸が整ったところで、風見鶏を見せて東風が吹いている

ことをその患者の五官で認識させた。

 

すると、患者の信念が崩れたのと同時に、

結核症状もそれ以来、消えてしまったという

実例を挙げている。

風と自分の結核に対する患者の信念が変わることで

呼吸困難が治ったのだとエディ夫人は述べている。

つまり、エディ夫人の何かでもなく、風 そのものでもなく、

形而上的セラピーが 肺の機能を左右させていた

信念を変え、信念が変わることで、もともと完全体である

肺の機能を 患者自らが、復活させたと エディ夫人は 言う。 

参考)

 Science and Health With Key to the Scriptures by Mary Baker Eddy

 published by The First Church of Christ, Scientest,

 in Boston, Massachusetts, U.S.A, 1982 edition

 

 

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