自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

6人の敵とは~何を犠牲に?

2013年08月29日 | 健康と直結する”一元論”について

サイババ師の講義から~人間らしさ  平成25年8月29日

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南インド、プッタパルティの大学での、サイババ師の講義続編です。

学生諸君

私たちが吸い込む空気は吐き出さなくてはなりません。

そうしないと、肺は損傷をうけます。同じように、あなたが学ぶ知識と 

働いて稼いだ代金は社会の利益のために 用いられなくてはなりません。

 

そうでないと、それは足元の土のように、無価値なものとなります。

あなたは自分の知識と儲けに援助してくれた社会に負債を返すべきです。

これが真のセバ(奉仕)です。

須田注: セバは梵語である。日本語の世話するの

      本来の語源がこのセバであるあという説もある。

 

この種の犠牲精神は現代の学生に著しく欠けています。

金を儲けて貯める事・・この種の一方交通が彼らの人生理想のように見え

ます。

貴方がたの多くは 水泳を知っています。

水泳の動作で、水を 後ろに押しやらない限り、

前進できなことは、皆も良く知っているはずです。

これでもわかるように、犠牲なしでは人生の前進はできません。

貴方がたは自分の金ばかりでなく、自分の悪い性質をも犠牲にせねば

なりません。

悪い性質を断念することは、真の犠牲、または放棄です。

 あなたの妻子や富と財産を放棄することは

大きな犠牲ではありません。

それは あなたの悪い傾向を断ち切ることよりも易しいことなのです。                

学生諸君!

真の人間として生きることは 人間の偉大な責務です。

人が動物のように、生きるのは、人間という身分への 一つの汚点です。

人間の中の真の人間らしさは

アリシャッドヴァルガ (6人の敵)によって押しつぶされそうに

なっています。

この6人の敵とは、

カーマ [性欲) クローダ(怒り)ローハ(貪欲)モーハ(錯覚)

マーダ(誇り)マーツアリア(嫉妬)です。

 

月は 月面のカラー(十六分の一)を 十六全部発現したときだけ、

その涼しい輝く光を 完全に地上に投げることができます。

他方、人間がその輝きを社会に投ずることができるのは、

十六の悪い性質から抜け出たときに限られます。

 

この十六の悪い性質とは、

六つの内部の敵 アリシャッドヴァルガ と、

八種類のマーダ(誇り)そして、ラジャス(激性・落ち着きのなさ)

と タマス(鈍性・不活発)です。 

また、ボクトリトヴァ(享受者意識)ルトリトヴァ(行為者意識)

放棄せねばなりません。(*1)

補足:(*1)

享受者意識 とは、受け取る者行為者意識 とは、与える者の意識

をそれぞれさしている。何故 これを放棄するべきかというのなら、真に与える権威は

絶対者~神(我々の中にある無限力)にあるのであり、”私”(小我意識)が、

何かを与え、受け取ると思うならばアハムカーラ(小我)の助長になるからだろう。

須田)

 

すべては ブラフマン”=サルヴァム・ブラフマン(神)

という 信念をもって、良い行動をなし、それを神に捧げるならば、

その人は神の恩寵と彼に必要な援助を得ることでしょう。(*2)

補足(*2)~神にささげる行為という意味は

お供え物をするという意味ではない。

信念をもち、良心に即した行動を結果を求めず、誠心誠意 行うことで、結果的に、

神への一番の贈り物になる。

それが、”神に捧げる” という表現されている。

結果は後からついてくるもので

結果を求めて、行為をするべきではないということであろう。。(須田)

                

学生諸君!

あなたがた 独身者は、人生の邸宅の基礎にあたります。

家庭を持っている人の生活は、壁 に

隠遁者 の生活は 屋根 に喩えられます。

基礎がぐらついていると、邸宅全体が崩壊します。

それゆえ、あなたがたは 善い性質を伸ばさねばなりません。

 その性質がなければ、あなたがたにも、社会にも平和がありません。

不幸にも、現代人は社会を無視して、自分と自分の家族のことだけを

考えています。

社会がないとしたら、あなたはどこにいますか?

また、あなたの家族はどこにいますか?

この種の狭い、利己主義がいわゆる、帰依者と呼ばれる人々の間にも

はびこっています。

帰依者は 自分自身と自分の仕事について考え、考えるとすれば、次に、

神と神の仕事を考えます。

人間が平安または至福を楽しむことが

できないのは、この種の自己中心主義のためです

人生のための カウラヴァ兄弟の方式(ギータの中で クリシュナ神と

相反して闘った一族)は、まず、”自分、次に世間、それから、神”

でした。

そのために、彼らは自分の命をふくめて何もかも失ってしまたのです。

その逆に、バーンダヴァ兄弟の方式はまず、神、次に世間、それから

自分でした。

そのため、彼らは、勝利をおさめました。

私たちの歴史には、そのような実例がいくらでもあり、エゴを殺すことが

第一に必要であることを示しています。

 

学生諸君!

誇りと霊性は シーソーの反対側にあることを認識しなさい。

誇りが上にいけば、霊性は下がります。

 

その反対にもなります。

人間が自分自身を忘れるのは

ただ、アハムカーラ(小我意識)によるものです。

最大で真の束縛は、自己の本当の自分の真実の姿を忘れることです

自分の真実を認めることが 本当の サクシャットカーラ

(実相顕現)です。

あなたの人生態度に何の変化もなければジャパ(神の名の念唱)、瞑想、

ヨガ、カルマヨガ、セヴァ(奉仕活動)のような 総ての霊性修行は 

何の役にも立ちません。

変わるべきなのは、人間の心 です。

人格の変化は衣服の変化よりも重要です。

 

あなたが忘れてはならない三つの事があります。

それは、 

サティア(真理の理解)ダルマ(道義の実行)、ニャーヤ(正義の実行

です。

私たちの先祖は日常の生活でこの

三原則を忠実に守りました。 

ところが現代ではこれらの価値はインド自体でも

無視されていて他の国々では言うまでもありません。

 

印度の文化と伝統の将来の擁護者として、

貴方がたは学んだことを実践することにより、

これらの価値を回復してください。

貴方の国、文化 宗教 への愛を培いなさい。

しかし、どのような理由があっても

他の国々、他の文化、他の宗教他の国民を 憎んだり、批判しては

なりません。

偏狭な心を捨て、広い心を養いなさい。

 

ヴェーダの吟唱、

”ローカー サマスター ・スキノー・バヴァントゥ”

(全世界が平安に満ちていますように)

に従って、常に全世界の幸福のために祈りなさい。

        

   

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