Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖母の汚れ無き御心に教皇様がロシアを奉献するため:現在28017環のロザリオが集まりました

2009年12月02日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ロザリオの十字軍の報告をご紹介いたします。

 2009年11月までの分で、12月02日現在の報告の総計はなんと 28017環です。寛大なご理解とすばらしいご協力に心から感謝いたします!
 ご報告を下さった愛する兄弟姉妹の皆様のお一人ずつに心からのお礼のメールを差し上げたいのですが、それも出来ずに失礼しております。ご容赦をお願いいたします。

 今回、ロザリオ以外に次のような犠牲も捧げられています。
11月より3/25まで、ロザリオとともに、水・金・土曜日に、大好物を我慢する犠牲
霊的聖体拝領14回

 また、愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご協力とご援助をもって、ロザリオの十字軍のロザリオの数が、次のように月ごとに増加することが出来ております。深く感謝しております。

2009年5月1日:     1環
2009年6月16日:  1084環
2009年7月03日:  3690環
2009年8月10日:  7330環
2009年9月08日: 10,673環
2009年10月1日: 12,689環
2009年11月1日: 18,092環
2009年12月1日: 25,070環


 2010年3月25日まで、113日残っていますが、私たちの目標の12万環まではあと91983環が必要です。(ということは、毎日814環です!是非、お知り合いの方々にご協力をお願いしてください。よろしくお願いいたします。)

【報告】
小野田神父様、こんばんは。
日々、ブログを掲載くださいまして、ありがとうございます。
先日は、天主様の御恵みで、東京の御ミサにあずかることができました。
また小野田神父様、東京の信者の方々には大変お世話になり、ありがとうございました。

聖母の汚れなき御心の凱旋のために、ロザリオの十字軍の意向でつなたくも唱えましたロザリオの報告をいたします。
11月分として
テレジア・・・133
マリア・・・242
マリア・・・139
マリア・・・86
ルルド・・・159
ファティマ・・・122
※ルルドちゃんは3/25まで、ロザリオとともに、水・金・土曜日に、大好物を我慢する犠牲も御捧げいたしますとのことです。(11月よりすでに開始しております。)

ルルドちゃんとファティマちゃんは、1日もかかさずロザリオの祈りと公教要理をしに我が家に来てくれています。無原罪の御宿りの準備のノベナも参加してくれています!
早く信者になって「初土曜日の信心」をしたいそうです。
ロザリオの聖母に感謝いたします。

待降節の間、ロザリオを黙想して、天主なる幼きイエズス様をお迎えする準備をいたします。
たくさん、心をこめてお祈りできるようにがんばります!

天主の御母なる聖母マリア様、小野田神父様のご健康・ご活動をお護りください。
無原罪の御宿りなる聖母マリア様、御身の汚れなき御心の凱旋のため、ロザリオと犠牲、徳の花を日々お捧げできますように御力をおあたえください。
また十字軍参加者をお与えください。
私たちの本当の母なる愛する聖母マリア様、弱き罪人なる私達のために祈りたまえ。
聖フランシスコ・ザベリオよ、我らのために祈りたまえ。

PS:12月の大阪の御ミサは、四季の斎日なので金曜・土曜ともお花は「なし」ですね。

【お返事】
 いつもたくさんのロザリオの十字軍のロザリオをありがとうございます。
12月の大阪の御ミサですが、その通りです。お花は無しでお願いいたします。

【報告】
+主の平安、そしてアヴェ・マリア!

小野田神父様、お元気でいらしゃいますか。
ずっとお知らせしておりませんでしたが、私のロザリオの報告です。

2009年
7月=78環
8月=139環
9月=123環
10月=133環
11月=120環
合計=593環

となりました。
早く教皇様が、司教様方と一致して、ロシアを聖母の汚れなき御心に奉献なさいますように。
そして天主の御あわれみと御恵みが地上に下されますように。
今月の御ミサでお会いできるのを楽しみにしております。

【報告】
アヴェ・マリア

十月分と合わせて報告します。
ロザリオ24環と霊的聖体拝領14回です。
あんまり頑張れずにすみません。

無原罪のおん宿りの準備のノヴェナをしています。
聖母の連祷は、神父様からいただいた聖歌集を使って歌いながらやっています。
先月いただいたロザリオアルバムを使って今月は気合いをいれて頑張ります。

【報告】
トマス小野田圭志神父様

十主の平安
アヴェ・マリア

いよいよ、待降節ですね
聖なるロザリオ11月の御報告です(*^_^*)

パウロ夫妻    61環
ヨゼフ     108環
マリア     629環
マリア      10環  
バルナバ      3環
エリザベト    90環
マリア      55環
セシリア      5環
マリア      19環
インマクラータ  29環

どうぞ、宜しくお願い致します!

【報告】
Ave Maria !

小野田神父様、お元気ですか?私達は元気です。

ロザリオ十字軍の報告です。
今月は 237 環お捧げいたします。よろしく御集計くださいませ。


【報告】
アヴェ・マリア

トマス小野田神父様
先月のロザリオは90環です。

【報告】
トマス 小野田 神父様

 お元気でお過ごしでしょうか。
 ロザリオ、11月は113環です。
 待降節、ロザリオを大切に唱えて過ごしたいと思います。

+ + +


本当にありがとうございます。感謝します。
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【関連記事】ファチマとロザリオの十字軍

聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 14.2.4.異なるリーダーシップの特徴(2)

2009年12月02日 | ルフェーブル大司教の伝記
第14章 総長 防御の最後の試み
II. 掃除と改革

異なるリーダーシップの特徴(2)(つづき)


 さらには彼の隣人に対する大いなる敬意は、彼をして他者を傷つけ、思いやりのある人間関係を破壊してしまう、痛みの伴うどんな不和も回避させた。もし大司教が対話を避けて個人的意見において頑迷であるような印象を与えるなら、対談者はただ大司教にくってかかり大司教の知的混乱を非難するしかなかった。

 大司教は知的不誠実を見ると沈黙したが、もしも対談者があまりにも無礼な時は、立腹し、激怒の火におけるエネルギッシュなやり方で報復の真実を口にすることもあり得た。時々、彼は短く「何か他の事を話しましょう」と言いながら会話を中断したものである。そうでなければ彼はただこう言いながら議論をすることなく従順することを要求した。「判断を下すことではなく、従うことを求めます!」 

 別の機会に、ルフェーブル大司教の深い感受性と部下たちへの配慮は、同僚たちに難しい移転任命を受諾させるように、全ての優しさを働かせるように導いた。その学年度の真っ最中に、彼はラヴァル(Laval)神父の伝記を執筆中だったジョゼフ・ミシェル(Joseph Michel)神父に言った。

「もし神父様がマルティニックの神学校へ校長として行ってくれたら、私にとって大きな助けになります。」 

 時折、司祭に新しい役職を伝えるとき大司教が感じる遠慮が誤解を引き起こした。一人の司祭はこう言われた。「新しい任命おめでとうございます!私たちは神父様が来られるのを喜んで待っています。」

 ところで、この司祭は海外での新しい任務について未だ聞かされていなかった。

 もう一つの機会に、1966年、大司教はモルテン(Mortain)に立ち寄っていた。そして食事の終わりに共同体に向けて短いスピーチをした。彼はこう言いながら締めくくったのである。

「せっかくここに来ていますので、皆さんにお知らせをします。皆さんに新しい上長を紹介します」

 テーブルに着いていた教授たちはびっくりした。それは誰一人として、その時の上長であったフランソワ・モルヴァン(Francois Morvan)神父でさえ、この変更について知らされていなかったのである。

 これらの事柄について、私たちはマルセル・ルフェーブルが、聖霊司祭修道会の修練院神学校で6年又は7年の間過ごしたのではなかった事を心に留めなければならない。また角を丸くし、誰が信頼できるかを知るための個人的面識のある同僚が彼にとっては少なかった。

 彼の重要な決断は、ますます評価されるものとなるだけだった。これは彼が修道会本部をパリからローマに移転する事を決めたときのケースだった。彼の前任者の希望と1962年度修道会総会の決議案に従ってなされたのである。この移転ゆえに彼を恨んだフランス人の同僚もいた。しかしながら、一方で、大司教は精神も心もローマ的であったので、進歩主義者たちに支配されていたカトリック大学(Institut Catholique)やサン・スルピス神学校などのパリにいるより、ローマにいる事にくつろぎを覚えた。他方で、修道会本部がキリスト教の首都に、つまり教皇とローマ諸聖省の近くにあることを望んだ。

これを実行するために、大司教はド・ゴール将軍の特別許可が必要だった。それはこの移転にもかかわらず、聖霊司祭修道会がパリに社会的本部を残し、フランス法による絶え間ない承認を受け続けるためであった。

 ローマの修道会本部は、閑静でバチカンに近い理想的な場所であるマリオ山(Monte Mario)の斜面にあった。美しい公園に囲まれ、三十人を宿泊させる事が出来た。以前、そこは、マリー・テレーズ・スビラン(Marie-Therese Soubiran 1834-1889)によって1854年にパリで創立された修道会、助けなるマリア会のシスターたち経営の学校であった。

 大司教は、完全に機能することを保障するために、新しい修道会本部の移転を指導した。モンテ・マリオへの移転は1966年9月14日に成し遂げられた。

 まさにその日に全ての職員が移転した。しかし、総長は熱心のあまり、7月15日には既に引っ越しが終わっていた。

 クルソ・ディタリア(Corso d’Italia)通りにある購買部は本部とは区別されたままだったが、大司教は、心の通じ合わなかったレキュイエ(Lécuyer)神父の代わりに、マチュー・ファレリ(Matthew Farrelly)神父を担当司祭に抜擢した。ルフェーブル大司教はこの司祭を完全に信頼していたのである。

第14章 総長 防御の最後の試み
Ⅰ. 激戦を伴った選出

II. 掃除と改革

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】