Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

夏のクリスマスに

2009年12月28日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでしょうか?昨日の午後から降り出したソウルの雪。顔が痛くなるような体に染み込む寒さ。銀世界の渋滞。などなどから、今度はすっかり代わって、緑の青々としたスカッとした夏のマニラに到着しました。ソウルとマニラとの時差は、一時間と六ヶ月(?)のような感じですが、教会の馬小屋(ベレン)を見れば、クリスマスだと分かります。

 さて、クリスマスには聖ピオ十世会の本部のメンツィンゲンのホームページが新しくなりました。

 更に、ついに、韓国の聖ピオ十世会のホームページも新しくなりました。新しいURLは、次の通りです。

Http://www.Sspx.Kr

 宜しくご愛顧をお願いいたします。

天のいと高きところには天主に栄光あれ!!地には善意の人々に平和あれ!!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@マニラにて携帯から

聖ピオ十世会 (SSPX) 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 15.3.2.規範ミサ

2009年12月28日 | ルフェーブル大司教の伝記
III. ミサの改革に直面して

規範ミサ

 1967年10月21日、司教会議が開かれた。彼らは、典礼憲章実施評議会長官のブニーニ神父が、新しいミサの草案、つまり“規範ミサ”を提出するために来るだろうと伝えられた。その容赦のない論理において、規範ミサは、“簡単明瞭であり(no.34)”、“聖書の朗読をいっそう豊富なものに(no.35)”し、ミサ通常文(Ordo Missae) を理路整然と組み直すと主張し、“時代の経過につれて重複するようになったもの”の削除(no.50)”--- 犠牲を捧げること意味する奉献文(Offertorium)はこの削除されたものの一つである。ブニーニ神父の基準では、この奉献文は、(パンとぶどう酒の)聖別(全実体変化によってキリストの体へと変わること)に非論理的に先走っている重複となっているではないか?--- “廃止されたものであっても復元(no.50)”などを予見した「典礼憲章」 の諸原理を適用した。

 さらには、この規範ミサ – こう呼ばれるのは、刷新されたすべてのミサを捧げるための典礼様式の規範となるはずだったからである - は「会衆と共に捧げる」ものとして特別に企画された。このようにして、トリエント公会議が留意させたような(DS 1747, 1758)、信徒たちが参加するか否かに依存せずにあるミサの本質的な価値ということを規範ミサは過小評価した。

 間もなくルフェーブル大司教は危険を悟った。大司教は、協力者のジェラルド・フィッツジェラルド(Gerald Fitzgerald)神父(聖霊修道会会士)の論説“規範ミサについて”を、幾つかの修正を加えつつも、いち早くコピーさせた。10月24日のシノドゥスの前に、それはフォルテス・イン・フィデ誌 に掲載され、司教会議で密かに参加司教たちに配布された。【ブニーニはこのことを『典礼改革』第2版 1997, p347 注14で書いている。但しルフェーブル大司教の名前は現れない。】

 大司教はその中でこう結論を下した。
「規範ミサ、言い換えると、典礼改革のための基礎として使われているものを、信徒の(典礼への)参加を前提とするようなミサとすることはありえない。というのは、信徒の参加は、ミサにとって偶有的なものであって本質的なものではないからである。」

 “ルフェーブル効果”は相当なものだった。ブニーニが認めるように、司教たちの過半数は “規範ミサ”を警戒し、10月24日、この典礼学者自身によって執り行われるイタリア語の「規範」タイプのミサに与るためにシスティナ礼拝堂へ赴いた。このミサは、導入の部、簡潔な共同回心の式、グロリア、三つの朗読、クレド、共同祈願、“奉納”の祈り、完全に新しいミサ典文(Canon)、変更された聖変化の言葉、十字架の印や片跪き(片膝をつく礼拝)の大幅な削除などによって構成されていた。【Documentation Catholique 1506, 2077】
まもなく、数名の司教たち‐その中にはスリピ(Slipyj)大司教がいた‐が抗議して礼拝堂を立ち去った。

 10月26日、会議に参加する司教たちは「この規範ミサの構造に、おおよそ、あなたは賛成か?」という質問に答えて、司教たちの180票中、賛成71票、反対43票、保留(juxta modum)は62票だった。パウロ六世は典礼憲章実施評議会に対し、規範ミサを再検討し、一見あまり革命的でない、しかしながら、ブニーニの希望通り、“従来のミサとは全く異なるイメージ”【ブニーニによる1967年1月4日の報道会見】をもつミサの作成に取り掛かるよう要請した。

 1967年12月、ルフェーブル大司教の参列する世界総長連盟(the World Union of Superior Generals)の会合中、アンニバレ・ブニーニ神父は作成済みの規範ミサを口頭発表するよう招かれた。彼は極めて冷静に発言した。そこで彼は、信徒たちの典礼への参加を助長するために、ミサの前半部全てを変更し、ミサ典文(Canon)前に唱えられる奉献文は、塩分と重複しているので削除し、聖体拝領前の司祭の祈りも廃止し、典文を改変し、今までのものとは違った感謝の祈り【後の「奉献文」のこと】導入するだろう、などと述べた。
大司教はこう語っている。

「一時間に及んだこの講演を聴きながら、“この男が教皇様から信用されているというのはあり得ない、教皇様が典礼を刷新する者に彼を選んだなどとはあり得ないことだ!”と私は思いました。私たちの目の前には、太古から伝わる典礼をぞんざいかつ想像を絶する嘲笑と共に、踏みにじっている男がいた。私は疲れ果ててしまったので、公会議の時に私がよくそうしていたように、普通なら発言する事は容易な性質ではあるけれども、このときは立ち上がって発言する勇気が奮い起きませんでした。言いたい事もただ喉元に詰まるだけでした。」

「しかしながら、2名の総長が立ち上がって口火を切ったのです。一人はこう言いました。「神父様、もし私の理解が正しければ、告白の祈り(Confiteor)と奉献文を削除し、ミサ典文を短縮するなどと言いますが、そうすると司祭が一人で捧げる私唱ミサは10分くらいで終わってしまいますね!」と。するとブニーニ神父は答えて「いつでも(好みに合わせて)何か付け加える事は出来ます!」と言ったのです。私たちには、彼がミサとミサの捧げ方を重要なものだとは思っていないことが分かりました。」

「二人目のある聖ベネディクト修道会総長はこう言いました。『この積極的な参加についてでありますが、これは肉体的参加のことでしょうか、それとも霊的な参加のことでしょうか?』-それは当を得た質問でした-『この規範ミサは、信徒が参加することを前提としています。しかし私たちベネディクト会士は参列する信徒もなくミサを捧げています。私たちはこれから何をすればいいのでしょうか?』と。これがブニーニの答えです。『正直言いますと、そのことを考えてはいませんでした』と。実にこの言葉は、典礼改革の雰囲気をよく物語っています。」


【参考資料:近代主義の教会の中への侵入の略史 マルセル・ルフェーブル大司教の講演の記録「信仰を守りなさい。あなたたちの信仰を捨てるよりもむしろ殉教者となりなさい。」1982年 モントリオール(カナダ)にて

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