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1989年11月19日パリでの叙階60周年奉祝ミサでルフェーブル大司教様が行われた説教(2)

2009年12月27日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 愛する兄弟姉妹の一人が先日ご紹介したルフェーブル大司教様の司祭叙階60周年のミサのお説教をクリスマスのプレゼントとして頂いたので、愛する兄弟姉妹の皆様にも、早速、お知らせしようと思います。

 どうぞ、良きクリスマスの時節をお過ごし下さい。

1989年11月19日、パリ、ブルジェでの叙階60周年奉祝ミサにおいて
ルフェーブル大司教様が行われた説教


19 novembre 1989 : sermon du jubilé de Mgr Lefebvre au Bourget

Archbishop's Sermon on his 60th Anniversary of Ordination (November 19, 1989)


(続き)

 この状況にあって、敬愛する兄弟の皆さん、私たちには何が出来るでしょうか?私たちはカトリックの信仰を守り、如何なる手段を払ってもそれを擁護しなくてはならないのです!

 後ろにあるテーブルの上には沢山の本がありますが、皆さんは、私たちが経験しているこの危機に対する御自身の洞察を深め、信仰を守る為の一助となり得る多くの本をそこから見出すでしょう。

 二冊の新書がちょうど出版されたばかりです。先ずマルズィアック(Marziac)神父様の本と、ドン・ギィユー(Guillou)神父のそれです。特にドン・ギィユーの本は、ローマ・ミサ通常文のみならず、全時代を通して用いられたこの通常文と、新典礼の通常文との間に見出される相違点を扱っています。これは非常に貴重であると同時に為になる本です。

 聖ピオ十世会はまた、今世紀初頭のレデンプトール修道会士である、敬愛すべきフィリップ神父によって書かれた「諸国の王たるイエズス・キリスト(Jesus Christ, King of Nations)」などの興味深い本数冊を再印刷致しました。彼はこの素晴らしい本を公教要理としてお書きになりました。この本は、これこそ私たちの先祖たちの信仰であり、第二バチカン公会議前の歴代の教皇たちの信仰である事を証明する教皇回勅からの引用箇所で満ち溢れています。それは現在の私たちが公教会で教えられている事、つまり国家と市民社会の還俗化とは相容れないものなのです。彼らは言います:「これは認められません。聖主はもはや社会を統治されないし、彼は今となっては社会の主人などではありません。」

 私たちの主イエズス・キリストは創造主ではないのですか?彼にはもはや統治する権利がないのですか?

 良質な読書によって皆様の信仰を擁護し養って下さい。私には、天主の恩寵を通して、カトリック信仰を守る重要性を理解してくれた熱心で聡明な霊魂たちにより著されたこれらの本や雑誌などの一切を引き合いに出す事は出来ません。しかし、その本がどれなのか皆さんはご存知です。

 もしよろしければ、(1988年の)司教聖別を応援して依然として固く立場を守っている「世と命(Monde et Vie)誌」の名前を出します。そして私が考えるには、私たちには「ラジオ・クルトゥワズィー(Radio Courtoisie)」を通して、私たちのメッセージ、つまり聖伝のメッセージを送り届ける事が出来ます。役に立つ手段があるのです。

 「フィデリテール(Fideliter)」や、シーランモントレイユ(Chir-en-Montreuil)、そしてベルギーの「ディスマス(Dismas)」など、これら出版社の名を挙げるまでもありません。私には全出版社の名前を挙げる事など無理です。しかし、私たちはカトリックに留まる為に自分たちを助けてくれる(出版物という)手段の、この幸いな増殖から利益を得るべきです。

 さらに私たちは、自分たちの信仰を擁護するだけではなく、それを宣言すべきです。これこそが聖ピオ十世による反近代主義の宣誓文の最終部分です。これをしばしば繰り返されますように:

「故に我は、使徒達に由来せし司教座の継承の内にあり、今もあり、また未来においても常にあり続くべき真理の確実なる徳能(カリスマ)に関する教父らの信仰を最も堅く守り、これを最後の息まで堅く守り抜かん。そは各時代の文化により良く似つかわしく見ゆる事が信ぜらるる為にあらず、むしろ初めより使徒達によりて説かれし不変の真理が、別様に信ぜられ或いは別様に理解さるる事決してあらざらんが為なり。」

 これは、聖ピオ十世が全ての司祭たちに聖福音の上で、全時代の信仰、つまり使徒たちの信仰を守る事を誓うよう要求した宣誓文です。私たちには別の信仰などありません。これこそが、私たちの宣言する信仰なのです。これこそが、皆さんお持ちの小さな公教要理の中で、皆さんが表明する信仰であり、皆さんがお子様方に伝えている信仰なのです。ですからこの古い公教要理を入念に使い続けて下さい。

 そしてもし聖ピオ十世会司祭の誰かによって(公教要理の)面倒を見てもらうには、余りにも遠くにお住まいの家族が幾つかあるならば、ブレンヌ(Brenne)のセン・ミシェルにいる当会の修道女宛ての手紙をこの家族に書かせてください。彼女たちは通信教育形式の公教要理を製作していますので、こうやって家族たちに真の公教要理を教える事が出来ます。現在彼女たちによって800名の通信教育を受けている人々がいます。彼女たちが信仰を保管し維持するためにいる私たちの司祭たちから遠く離れて生活している人々を助けるために、益々通信教育者を獲得する事を希望します。

 最後に、私たちは天主の恩寵である聖性を保つべきなのですが、これはイエズス・キリストなしには達成出来ないことです。実に、私たちが良き天主の恩寵を頂くのは、キリストの犠牲と十字架、そしてキリストの御血に与る事を通してなのです。つまり全ての秘蹟、とりわけ聖体の秘蹟において私たちはこれを頂いているのです。従って私たちの心に天主の恩寵を保ちましょう。そうすれば私たちの霊魂は一変し、永遠の命に向けて、良き天主と出会う為の準備が出来るでしょう。

 ここで国際的な情勢について幾つか伝えさせて頂いてもよろしいでしょうか?私から見て、そこには思考力を養う糧と共に、私たちが現在経験している様々な出来事、つまり正に黙示録的な特徴を備えた出来事から引き出されるべき結論があるように思われるのです。

 皆さんは何が起こっているのかご存知です。偽りの諸宗教、特にイスラム教による侵略は、フランス国内のみではなく、イギリスやベルギー、ドイツにおいても私たちを脅かしています。

 2年前に、10万人のトルコ人たちが、反ドイツ、反キリスト教の宣伝標語を掲げながら、ミュンヘンの様々な通りでデモ行進を行いました。これらの事実が警告を発しています。10万人のトルコ人たちが、反キリスト教のデモ行進です。もし私たちの政府が、キリスト教諸国に一切の配慮をせず、イスラム教徒たちにより侵略されるままにするならば、これこそ私たちの予想出来る事なのです。教皇聖ピオ5世や他の教皇たちは、理由もなくイスラム教文化による津波の制止を望まれはしませんでした。しかし、もしそう望まれなかったならば、キリスト教国は既に消滅していたことでしょう。

 もう一つ注目に値する事として、私たちが認識すべきでありながらも、常に十分な理解をしていない出来事があります。つまり鉄のカーテンの背後と、今ではそれを通して起きている特に優れたな運動であります。これら様々な運動を期に、教皇ピオ9世により公布されたフリーメーソンの計画を私たちは忘れてはいけません。

 一世紀以上前に、彼らはフリーメーソン主義思想を押し付ける世界政府について講演しました。これらの講演内容は、教皇ピオ9世の指示で、クルティノ・ジョリによって出版されたのです。

 さらに私たちは、いとも聖なる童貞マリアの預言をも忘れてはなりません。彼女は私たちに警告されました。つまり、ロシアの回心がなければ、そして世界の回心がなければ、また祈りと犠牲がなければ、共産主義は全世界を侵略するでしょうと。

 それはどういう意味でしょうか?私たちは、秘密結社の目的が、フリーメーソン主義思想、すなわち、聖主に敵対した、反キリスト教的な意味での人権、平等、博愛と自由を標榜する世界政府である事を十分承知しています。これらの思想は、各国に一種の社会主義を樹立し、さらにその次には、ロシア正教がソヴィエト連邦に奉仕するのと同様に、今度は世界政府に奉仕するカトリック宗教を含めた全ての宗教から成る諸宗教会議を設立する事になる世界政府によって推進されるでしょう。

 そこには二つの会議が存在する事になります。全世界を支配する全世界政治会議と、フリーメーソンのやり方でこの世界政府を支援する諸宗教会議です。

 これらの事が私たちを脅かしているのです。私たちは自ら備えなければなりません。この現実に直面して、私たちは何をすべきでしょうか?

 フリーメーソンに関するその回勅の中で、教皇レオ13世は言っています:「彼らはキリスト教的社会制度の徹底的な破壊を望んでいます。これが彼らの目的なのです。」 これらの施設は現在閉鎖されているのです!

 そして私たちとしては、それを再び建設しなければなりません!私たちはこの破壊に立ち向かわなければならないのです。これこそが皆さんの行なっている事ですので、私は皆さんに祝辞をのべます。しかし皆さんに対する私からの祝辞は決して十分とは言えないでしょう。天主が伝えたい事、聖主が伝えたい事、さらに、いとも祝された童貞が皆さんに伝えたい事を、私は皆さんに伝えていると確信しています。つまり、皆さんが行っている事を行い続け、さらに続けなさいと言う事です。

 至る所で、(聖ピオ十世会の)学校や修道院が急成長しています。教区は多くの国で増加しています。あらゆる所で、教会が聖伝の為に入手されています。私たちは消滅しつつあるこのキリスト教世界に私たちの聖主イエズス・キリストの社会的君臨を再び確立しなければなりません。

 皆さんは私に言うでしょう:「しかし、閣下、これはゴリアトに挑むダビドの戦いなのです!」 そうです。正にその通りなのです。私にも分かっています。しかしゴリアトに挑んだ戦いで、ダビドは勝利を収めたではありませんか!彼はどうやって勝利したのですか?小川の急流から取った一つの小さな石によってです。私たちが有するこの小石とは一体何ですか? イエズス・キリスト!私たちの聖主イエズス・キリストです!

 ヴァンデ地方の私たちの先祖と共に言いましょう:「イエズス・キリスト以外に私たちの誉れはない。イエズス・キリストを傷つける事以外に、この世に恐れは存在しない!」 
彼らはこう歌いながら自分たちの天主を擁護する為に死んで行ったのです!私たちもまた、勇気を奮い起こし、真心を込めて歌いましょう:「私たちに、聖主イエズス・キリストへの愛の他、如何なる愛もない、私たちの主イエズス・キリストを傷つける事の他、如何なる恐れも存在しない!」

 いとも祝された童貞に祈りましょう。この戦いにおいて私たちを助けて下さるように。この目的の為に、まもなく御ミサの後で、ここにいる私たち5人の司教は、一緒になって聖母マリアの汚れなき御心への世界とロシアの奉献を更新致します。

 私たちは、いとも祝された童貞であり、常にこの戦いの中心におられる私たちの良き母が私たちを励まして下さる事を確信しています。彼女は、私たちが恐れることなく戦うように要求する為地上に来られたのです。何故なら、彼女は私たちと共におられるからなのです。

 自分たちの家族や親しい人々、私たちの都市や国々、祖国などをマリアの汚れなき御心に奉献する時、彼女が私たちを助けに来る事と、さらに何時の日か、彼女はご自分と一緒に私たちを何とか永遠の生命に至らせるようにして下さるという事を私たちは確信します。

 聖父と聖子と聖霊との聖名によりて アメン。

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1989年11月19日パリでの叙階60周年奉祝ミサでルフェーブル大司教様が行われた説教

2009年12月27日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 私たちの主イエズス・キリストの御降誕のお祝いを申し上げます。例年のように私はソウルで御降誕のお祝いをいたしました。12月25日の御降誕祭には、生後数ヶ月のパトリシアちゃんが洗礼を受けました。また夕方にはソウルでは雪が降り、とてもきれいなクリスマスとなりました。

 今日、御降誕の八日間内の主日には、いつものようにグレゴリオ聖歌の歌ミサと、聖体降福式がありました。今日は、イギリスの聖ピオ十世会の教会に通っている韓国のセシリアさんがお母様の見舞いに数年ぶりに数日韓国に戻っていて、久しぶりに会うことが出来ました。

 職務が終わって司祭館に帰ってみると、愛する兄弟姉妹の一人が先日ご紹介したルフェーブル大司教様の司祭叙階60周年のミサのお説教を日本語に訳して送ってメールを受け取りました! 早速、該当のフランス語のサイトに行ってルフェーブル大司教様のお説教を懐かしく聞きました。まだ私がフランスで神学生だったときにこのミサに与った頃のことを思い出していました。せっかくのクリスマスのプレゼントとして頂いたものですので、愛する兄弟姉妹の皆様にも、早速、お知らせしようと思います。

 どうぞ、良きクリスマスの時節をお過ごし下さい。

1989年11月19日、パリ、ブルジェでの叙階60周年奉祝ミサにおいて
ルフェーブル大司教様が行われた説教


19 novembre 1989 : sermon du jubilé de Mgr Lefebvre au Bourget

Archbishop's Sermon on his 60th Anniversary of Ordination (November 19, 1989)


聖父と聖子と聖霊との御名によりて アメン。

 司教様各位、それから我が親愛なる同僚、並びに親愛なる神学生諸君、親愛なるシスターの皆さん、そして私の敬愛する兄弟の皆さん。

 この司祭叙階記念日のために、皆さんがこれ程大勢でここにお集まりいただいたことを私は深い感謝の念を持って見つめています。皆さんの多くは旅行による難儀を忍ばれたことでしょう。一部の方は、遠方の大陸からお越になりました。しかし、この式典は皆さんの支払われた骨折りに値するものだと思います。

 そうです。何故私たちはここに共に来たのでしょうか?それはカトリック司祭職を褒め称える為なのです。それが、本日皆さんがやって来られた深遠な動機であると考えております。

 はい、至聖三位一体と、人となった天主である聖主イエズス・キリストに対して、永遠の司祭職を制定してくださった事への感謝を、私たちが十分に捧げる事など決して出来ないでしょう。そうです、聖主は本質的に仲介者であり、司祭なのです。

 ご自分を聖なる犠牲として天の聖父に捧げるため、彼は私たちの為に司祭になって下さいました。その神聖な叡智によって選び抜いた一部の男性を、ご自分の司祭職に与らせようと望まれたのです。

 私たち一人ひとりに対する天主の愛、この神聖なる愛の神秘の如何に偉大なことでしょうか!この計り知れない司祭職という恩寵を頂くことが、自分たちにとってどれ程ふさわしくないと私たちは感じている事でありましょうか。

 天主は賛美されますように!私たちの聖主イエズス・キリストは賛美されますように!童貞マリアもまた賛美されますように!何故なら、マリアなくして、私たちはあの大司祭を頂く事は出来なかったですし、従ってその司祭職を共有する事も出来なかったのです。司祭職の御母、司祭たちの御母マリアは、そうです、彼女は正に私たちの御母であり、とりわけ、司祭たちにとってそうなのです。

 かたじけなくもこの私に授けてくださった司祭職のために、そしてこの60年の司祭生活、さらに42年に渡るこの司教職のために、天主は感謝され、また祝福されますように。この42年間、天主の聖なる恩寵によって、不肖ではありますが、私はこの司教聖別並びに多くの<およそ五百人の>司祭叙階を授けることが出来ました。

 さらに、日毎ミサの聖なる犠牲を捧げる事も出来、委ねられた霊魂たちに、私たちの聖主イエズス・キリストを、(彼が制定された)諸々の秘蹟を通して、特に、御聖体の聖なる秘蹟を通して与える事が出来たのです。何と多くの恩寵でしょうか!何という幾多の賜物でしょうか!

 親愛なる兄弟の皆さん、皆さんが一致して捧げるこの感謝の賛歌に、私は奉献文の祈りの言葉の訳を付け加えたいと思います。奉献文の祈りこそ、この状況にはもっとも相応しいものだと思われますし、司祭たちが毎日唱えているものなのです:「聖なる父、全能永遠の神、不肖の下僕である私が、活ける真の神に捧げる汚れなきホスティアを受け入れ給え。私は、私の数知れぬ罪と侮辱と怠りとのため、又、ここに列席する人の為、そして、生きる者、死んだ者、全てのキリスト者のために、これを捧げ奉る。願わくは、これを、私と彼との永遠のたすかりに役立つものとならせ給え!アメン。」

 これが、司祭が毎日祭壇で唱える奉献の祈りです。何と崇高な祈りでしょうか!司祭職の崇高な神秘の御前では、余りにも不肖で、貧しい自分を、私たちは感じないではいられません。

 司祭職にあって、敬愛する同僚の皆さん、私が話しかけているのは皆さんです。とりわけ、皆さんの中で、司祭志願者たちの養成に携わる方々に話しかけています。私たちの為に、深い信仰と、聖性への強い憧れと、宣教師となる願望とを有した多くの司祭、多くの聖なる司祭、多くのカトリック司祭を準備して下さい。これこそが、皆様の職務であります。ですから、実にもう一人のキリストであるカトリック司祭たちを頂くことの必要性を十分理解されている信徒たち全員の名によって、私は、司祭養成の任に当たっておられる皆さんに感謝いたします。

 司牧の畑で活躍されておられる、親愛なる同僚各位、皆さんに対しても私はお話させていただきます。皆さんを取り巻く青年たちの心に存在する召命の兆しと、さらには修道生活への召命を識別するのは皆さんの責務なのです。従って、皆さんにこそ、天主はご自分の司祭になるようにと選んだ霊魂たちや、あるいは、修道生活という、独特な方法により、ご自分の司祭職に参与するようにとお選びになった霊魂たちに気を配り、面倒を見るための恩寵をお与えになったのです。

 そして、カトリック信仰を持つ御両親である敬愛する兄弟の皆さん、皆さんは、司祭の召命、あるいは修道者の召命を育む聖域です。皆さんなくして、私たちに何が出来るというのでしょうか? 他にどこへ行けば、私たちは司祭、修道士、さらに修道女たちの召命を見出す事が出来るのでしょうか?

 ですから、皆さんに懇願します。どうかこの聖域を、侵食的で悪質な世俗の影響からはるか遠く保ってください。皆さんのご家庭に、世俗の精神を入れないでください。皆さんのご家庭を、教区や、教会のまさに延長線として、準教区、さらに準教会にしようではありませんか。

 (ご家庭では)皆さんのお子様たちが見るべき教育的な映像だけを使用して、生涯、彼らの霊魂を汚す様なものは使用しないでください。善き聖主が、皆さんのご家庭から選り抜きの霊魂を数人選ぶことが出来るように、お子様の目から、彼らを堕落させるようなものを遠ざけてください。

 一つの家庭において、一人の司祭召命以上に、あるいは修道院、及び女子修道院への修道召命以上に美しいものなど決して存在しません。何という保護が、全家族のため、兄弟姉妹の為に与えられている事でしょうか!これを確信してください。

 従いまして、この聖なるミサの間、善良な召命や、カトリック司祭職に対する地獄と世俗からの攻撃にもかかわらず、善き天主がカトリック司祭職と、修道者の召命を存続させてくださるよう共に祈りましょう。司祭がいなければ、公教会はどうなるでしょうか?

 近代的教会は、間もなく、司祭不在の日曜礼拝を受け入れるでしょう。一体、このような礼拝はどのようなものなのでしょうか?それは、もはや祭壇上で再現され、皆様と私たちがその中に参加する聖主の犠牲ではないのです。そうです、カトリック教会とは、こんな礼拝のためにある教会ではないのです。カトリック教会は、カトリック司祭たちの教会なのですから、司祭のいない所に、もはやカトリック教会は存在しないのです。

 さらに、カトリック司教がいなければ、カトリック司祭も存在し得ないのです。皆さんご存知のように、ローマとの会話の後に、1名の司教様を頂く事は可能でした。しかし、もしそれが実現していたら、この司教様はどのような方だったでしょうか?ローマの権威者たちは、バチカンが望む“態度”をとるようにとこの司教に要求したのです。それは何を意味するのでしょうか?

 公会議の精神を持つとは、つまり第二バチカン公会議の精神を持てということなのです。私たちがここにいらっしゃる敬愛すべき4名の司教様を聖別して、来るべき神学生たちの世代にカトリック司祭職を伝えようと決定したのも、正確には、天主のものでも、カトリックのものでもないあの精神から、私たちの身を守る為なのです。こうする事で、数人の司祭たちが、皆さんと皆さんのお子様たちに、真のカトリック信仰を教授すると共に、彼らが授ける真の秘蹟と、ミサの聖なる犠牲を通して、恩寵を送り届けるだろう事を皆様は確信するのです。

 親愛なる兄弟の皆様、さらに私は、公教会内の現状についても、幾つかお話したいと思います。

 もしある人が「しかし、どうして教皇ピオ12世に至るまで続いて来たカトリック教会が、近代主義の教会になることが出来たのですか?」と尋ねて来たら、私はこう答えます:「貴方は公教会の歴史を十分ご存知ですよね。それはいやと言うほど貴方に説明されて来たのですよ。貴方は、私たちカトリック信徒の心情にとっては余りにも痛ましいこの話題について書かれた多くの著作をお読みになったではありませんか。」と。

 私たちは、断絶、過去と聖伝からの逸脱、そしてあの公会議以前の教皇たちに対する背反をそこに感じとったのです。

 先の公会議を特徴付けた多くの事実の中で、次の事だけを私は強調したいと思います。つまり、公教会の迷走(disorientation)と、自由主義的な精神に向かって公教会を鼓舞する精神の完全な方向転換を重要視し、この公会議期間中とその前後の時点で重きをなしたものとは、キリスト教一致事務局(the Secretariat for the Unity of Christians)だったのです。

 最近、非常に為になる3冊の本が出版されました。先ず、モンスィニョール・ブニーニの伝記で、彼の死後出版された莫大な自叙伝です。それから、ベア枢機卿についての本で、先の公会議前後、さらにその期間中における彼がもたらした影響力の全貌が紹介されている、これまた大きな本です。そして最後に、ヴィヨ枢機卿の伝記です。この本はあの公会議中とその後での、彼の採った方針と、行使した影響力を説明しています。

 これらの本全てが、公教会は、私たちの信仰を共有しない人々にその扉を開放し、彼らと私たちの間には如何なる相違点も存在しないのだという印象を彼らに与え、公教会の現代化を意味する、この“アッジョルナメント”を成功させるために、公教会の精神を改革しようという明確かつ強硬な意志が働いていた事を証明しているのです。これは、公教会の見解における根本的な改革を示しています。

 公会議前と言えば<また個人的には、私も実はこの体験をしているのですが>、私たちは海外の宣教地に送られたものです。私自身、アフリカで30年間を過ごしました。ここにおられるガボンからやって来た信徒の方々がそれを証明出来ます!30年間もアフリカに、何の為でしょうか?それは洗礼を通して霊魂をカトリック教会に改宗させるためなのです!

 聖ペトロは、エルサレムで行った最初の説教の後、何をしましたか? 彼は4000に及ぶ人々に洗礼を授けたのです。彼は、洗礼によって自分が公教会を教化している事と共に、(福音が述べ伝えられた)今からは、公教会の一員になることや、救霊の道に立ち入ること、さらに私たちの聖主イエズス・キリストと、この救いの天主から流れ出る贖いの御血の分け前を追求する事を望む者は皆、カトリック教会において洗礼を授かるべきだと悟ったのです。これこそが20世紀に渡って公教会が行ってきた事です。

 突如として私たちは教えられました。「そうじゃない!これから貴方は対話をすべきだ。貴方は一人ひとりの意見を尊重しなければいけない。彼らに自分たちは過ちの中にいると言う印象を与えてはならない」、と。

 しかしそうなると、公教会の使命とは一体何処にあるのでしょうか?

 この急進的な改革は、正確にはキリスト教一致事務局の役員である人々によって構成される団体からの圧力をもって達成されました。

 なるほど、ではひと時思い起こしてみましょう。どうしてキリスト教一致事務局なのか?既に、布教聖省、すなわち、現在の福音宣教省は、未だ信仰のない人々皆に、その信仰をもたらす担当省ではなかったのか? かつて、それが異教徒であろうと、また精霊崇拝者、無心論者、仏教徒、イスラム教徒、そしてプロテスタントであろうと、彼らの霊魂の回心のためにと宣教師達を全世界に送り出したのは、この布教聖省でした。福音宣教省は、カトリックの洗礼を通して、これら全ての放浪する霊魂を公教会の懐に導き入れる為に、宣教師を送り出す役目を担っているのです。

 では、何故彼らは、福音宣教省の他に、全ての偽りの宗教との、又は誤った観念論との単なる“友好的”接触を行うような新しい会合を設立するのでしょうか? 

 正確には、現在公教会はこの組織の煽りを受けて死につつあります。公教会は死に絶える事などできません。もちろんです。皆様が、公教会存続の証人であり、また力なのです。公教会の聖性を保つ事で信仰を存続させる皆様こそが公教会(の各肢体)なのです。もしそうでないならば、皆さんが聖性を保たず、それによって信仰が衰えるならば、私たちは私たちの聖なる公教会が何処に向かって行くか疑いを抱くでしょう!

 ベア枢機卿は公会議前、世界中を巡り歩いて各国の司教様たちと会い、彼らに先の公会議を宗教一致第一主義(エュメニスト)的な公会議にするよう要請しました。私は世界教会(エキュメニカル)会議とは申し上げません。公会議とは、常に世界教会会議を意味するからです。私は宗教一致的な、すなわち全宗教間の絆を築く会議と申し上げているのです。

 これは有り得ないことです。それは私たちの聖主イエズス・キリストの神性に反しています。そういう訳で、この“事務局”が教皇聖下からの支援と激励を受ける間は、私たちにはローマと仲良くやっていく事など不可能です。現在の状況においては、この事務局の役員たちには、公教会並びに私たちの聖主イエズス・キリストの社会的君臨に対する破壊工作を継続することが可能です。

 ヴィッレブランヅ(Willebrands)枢機卿のお名前は、まるでご自分以外の誰も公教会の教義、つまり公教会の信仰を預かっていないかの様に、到る所に行き、誰とでも接触するのがちょうどご自分の職務であるという事実を認識されている方として広く知られています。

 キリスト教一致事務局秘書モンスィニョール・デ・スメッドは、公会議の間、信教の自由を擁護した人物でした。モンスィニョール・ブニーニはキリスト教一致事務局の役員であったし、彼は聖なるミサの典礼と秘蹟の形相と質料とを破壊すると共に、それを新しく作った典礼と入れ替えた人であり、さらに その進化が何処で終焉を迎えるか?をご存知の方でした。つまりそれは常に変わり続けるのです。

 このような状況と直面させられて、間違いなく私たちはローマと定期的に接触をすることなど出来ません。何故なら、今に到るまでローマは、どんな譲歩獲得の為であれ、それが聖なるミサや旧典礼の維持、あるいは聖伝の神学校存続に対する恩典の何れかの為には、この2月にラッツィンガー枢機卿によって作成された、先の公会議とその意義の承諾を紛れもなく含む新しい信仰宣言に私たちが署名しなければならなくなる状況を求めていたからです。

 私たちは自分たちが何を欲しているのかを知らなければなりません!

 聖なるミサを打ち壊し、信仰、公教要理や、市民社会における私たちの聖主イエズス・キリストの社会的君臨を破壊したのは、あの公会議なのです。だとしたら、どうして私たちはそれを受け入れる事が出来るでしょうか?

(続く)

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ルフェーブル大司教伝記 III. ミサの改革に直面して 15.3.1.行動的な参加と容易な理解

2009年12月27日 | ルフェーブル大司教の伝記
III. ミサの改革と直面して

行動的な参加と容易な理解

 1963年12月4日に公布された典礼に関する公会議の憲章(Sacrosanctum Concilium 典礼憲章 14)により要求されているように、信徒の“典礼の挙行への、充実した、意識的な、行動的な参加”を促進するという口実で、改革者たちが唱える諸理論は、典礼や、典礼の核心、つまり御ミサの聖なる犠牲を破壊するに至った。1963年3月以降、ルフェーブル大司教は、この曖昧な原理と戦って来た。

「唱えている祈祷文を理解することが祈りの究極目的ではなく、祈りを通して実現する天主との一致にある。時には、祈祷文に精神を集中することが祈りにとって障害となることもあり得る。霊魂は、聖歌や、典礼行為に漂う敬虔さ、沈静、建築様式の美、司式司祭が備える高潔と敬虔、象徴的な装飾、香の香りなどの(外的要素の)中に、天主との一致をさらに見出すものである。」

 1964年2月26日に設立された典礼憲章実施評議会(Consilium)は、レルカロ(Lercaro) 枢機卿を議長とし、ブニー二神父に委ねられ、間もなく公会議(『典礼憲章』§21 )によって要求された“刷新”ではなく、根本的で体系的な典礼とミサの作り直し、とりわけブニーニが口にする(典礼とミサの)“真の創造”が始まった。これを実行する為、ブニーニは既にフェルナンド・アントネッリ(Fernando Antonelli)神父によって公会議前に発表された『典礼憲章』の指針となる原理を適用した。

「すべては一つの目的に向かうようにする。つまり信徒たちが(1)典礼様式を容易に理解する事と(2)信徒が本来のあるべきものであるに再び戻る事、つまり単に典礼の傍観者ではなく、積極的な参加者になる事である。」

 アントネッリやブニーニが合唱して言うところによれば、これら二項目は数世紀の間失われていたということである。

 後年、この所説をブニーニ著『典礼改革(La Riforma liturgica)』に見出したルフェーブル大司教は憤慨してこう言っている。

「これは嘘だ!歴史が本当に教えるところは、まさに正反対の事を証明している。数世紀の間の昔‐ブニーニが存在するよりもっと前に‐生きていた信徒たちが、まるで傍観者や観光客であったかのように、皆黙って御ミサに参加していたなどとでも言うのか!これほどの間違いはあり得ない。信徒の典礼への積極的参加というのは、外面的参加よりはるかに重要な、彼らの霊的な参加ではないのか?」

 ブニーニ著の『典礼改革』を読んだ際、ルフェーブル大司教はこれら間違った原理の背後に、教義的誤謬と表面下にある異端を見破ることが出来た。

「この背後に、もう一度言うとこの「背後に」であって、公式なという意味ではないが‐異端が存在する。つまりこの異端は、信徒の司祭職と司祭の司祭職は同一のものであり、皆が司祭で、天主の民がミサの聖なる犠牲を捧げなくてはならないという異端である。」

 アントネッリ自身、あの典礼憲章実施評議会の「仕事に、有能ではあるが、神学的には進歩的である人々を関わらせ、彼らの傾向に対抗することが出来なかったために彼らに何の抵抗もしなかった」とブニーニを非難していた。アントネッリは“進歩的な思想をもった神学者たちの間で流行の理論は、秘蹟の形相と典礼様式とにふりかかっている。」

 この理論は“新しい神学”の理屈である。

 主眼点を巧妙に変えながら、この新しい神学は、受洗した信徒の共通司祭職を強調し、司祭のうちに、固有の意味の司祭職を実現するモデルをもはや認めようとしなかった。

 そして司祭は今や、大司祭キリストの役務者として自らが犠牲を捧げる人というよりはむしろ、“信徒たちの祈願の捧げものを、彼らの頭であるキリスト犠牲において一致させる”人になってしまった。

 ミサの中で祝われる“過ぎ越しの神秘”は、御受難によって罪を償うキリストというよりは、御復活における凱旋のキリストであった。罪とは、もはや天主と天主の権利に対して犯される不正としてではなく、単に人間と人間の連帯を傷つけるものとしてだけ考慮された。(罪に対する聖父の正義を)宥め満足させるキリスト御自身による贖罪と、聖父の宥められとは、かくしてその実体を刳り抜かれ、キリストの十字架は空しくされたのである。ある象徴主義と秘蹟重視主義の神学は、聖なるミサを、キリストの救霊の業の“記念”に、つまり共同体による典礼行為を「生きる」ことでこの救いの業を現存させる記念にしてしまった。この意味において、ミサは “記念”であったからという理由だけのいけにえとなった。両形色におけるキリストの実体的的現存はこの記念の中に葬られてしまった。パンとぶどう酒の全実体変化は余計なつけたしとなり、意味変化(transsignification)で十分となった。

 論理の筋が通り、広く行き渡った、この多様な形式のグノーシスがもたらす有害な影響は、グノーシスについて知らされていない経験の乏しい人々には気がつかれなかった。ルフェーブル大司教は、巧妙かつ段階的に成し遂げられた典礼の連続した大変動の論理に存在するある印を見抜いた。

 それは、まず祭壇の方向逆転や、聖櫃の脇への移動、そして自国語の侵入、司祭“個人の祈り”(階段祈祷)と十字架の印等の削除、大きな声で唱えるミサ典文(Canon)、さらに、結局はすっかりラテン語に取って代わった自国語使用―これら全ては1964年から1967年の間パウロ六世により認可された刷新である。

 1967年3月25日、典礼用のラテン語とグレゴリアン聖歌の保存のために創立されたウナ・ヴォーチェ(Una Voce)の会は、典礼憲章(Sacrosanctum Concilium no.36,§1)に反する自国語の普及についてパウロ六世に異議を申し立てた。ぺシア(Pescia)のロモリ(Romoli)司教は、イタリア司教会議宛に8月17日それについて書簡を送った。ルフェーブル大司教は、この書簡をフォルテス・イン・フィデ誌 に掲載した。

 しかしながら、この時期まで、典礼改革は単なる暫定的“手直し”でしかなかった。ブニーニと、例の典礼憲章実施評議会 にとって、“それは全典礼様式に新たなる構造を与えるということであり . . . さらに、或る点においては、全く新しいものを創造することであった。”司教たちはこの最終の改革を待ちながら「主導権を握り、適用と実験を提案し」「動員主義」によって、パウロ六世が非常に不満に思っていた独断的かつ個性的な実験によって埋め尽くされなければならなかった。“上層部により”奨励され、さらに“下から”駆り立てられた典礼におけるこの絶え間ない革命に対抗して、デュラック(Dulac)神父は、クリエール・ドゥ・ローム(Courriere de Rome=ローマからの手紙)誌 の中で反対の声を挙げていた。

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