V. 真のアッジョナルナメントに向けて
使徒的な修道生活
安易さから熱意は生まれないとよく言われている。1967年ごろ、聖霊修道会は、第二バチカン公会議の後で、その厳格さを失う方向に向かっていた。彼らは、時折4時50分の代わりに6時に起床した。宣教師である司祭たちがキリストとの親密な交流ができる朝の個人の御ミサは共同司式に取って代わられた。共同の祈りの時間はもはや決められていなかった。
1968年、2月20日から4月9日まで、ルフェーブル大司教によってポワント・ノワール(Pointe-Noire)地域に送られた訪問者(最近ギニアから追放された)クドゥレ(Coudray)司教は指摘した。
「誰も祈りを断念したとは言えないが、怠慢になったとは言える。司祭たちは先ずそれを認識し、どうにかしようと望んでいる。したがって、多くの小教区では、司祭らは【同僚の司祭たちとではなく】シスターたちと聖務日課を共唱している。彼らはシスターたちが自分たちよりもっと規則正しい事を知っていて、それが良い刺激になっている。その上、それはキリスト教共同体にとっても良い模範である。」
確かに聖務日課の時課のどれかをシスターたちと共唱する事は良い事ではあるのだが、この訪問者は、土着の旋律を使いながら詩篇を歌えるように聖務日課を自国語に翻訳する事について既に言及していたのである。何よりも先ず、彼は放棄されてつつある慣習への復帰を目指していない。それが天主との一致をするために最も聖伝に基づいた手段であるにもかかわらず。
同じく1967年には、修道生活志願者たちの不安定で未熟な気質の増加は、養成期間中に断念する人数を見れば明らかであった。この事実は修道会総長連盟を動かし、
「修練期間の間の使徒職体験期間を設置すること、志願期の延長、さらに修道誓願のほかに別の性格を持った暫定的な誓約を立てること」
などの要求を盛り込んだ嘆願書が教皇聖下宛に書かれた。
さらにルフェーブル大司教は、自分の修道会の中に、「修練院を “現代化する” ための新たな試みが余りにも行き過ぎている」ことに気づいた。彼はここに隠されている精神に立ち向かった。この精神は「修練院とは、修練士たちが将来の修道生活というものがはたして自分に適しているかどうかを知るためにあるであるが、今の修練院の様式が、将来あるだろう生活とは違いすぎている」と考えていた。
ルフェーブル大司教は、もう一度、司祭たちの使徒的生活に対して、修道生活と固有な意味で修道的な修練期間の特権的な地位を指摘しつつこう対応した。
「修道生活は、使徒的生活に対して、単なる一手段にすぎないと人々は言っている」手段、つまり、絶対に必要なものではないものである、と。総長はこれをむしろ視野の狭い見解だと答えた。
「私たちの修練期間と修道生活とは、天主との一致や、[観想の]経験を通して私たちの聖主イエズス・キリストを知るという、特権的な手段であり、隣人愛の源であるがゆえに、極めて使徒的なことである。幸いなるかな、修練院時代に知性と、心と、霊魂とをつくしてキリストに近づいた者は幸いなるかな! 彼は、使徒的潜在能力を十倍に、さもなければ百倍に増やしたことだろう。」
簡素ではあるがすばらしいこの教えは、オルリ(Orly)にて修練士だった、マルセル・ルフェーブルの経験を反映している。またそれは、聖トマス・アクィナスの教えを反響させているのである。それはこの当時、修道会聖省の事務総長で彼の友人である、モンセニョール・ポール・フィリップによって、聖トマス・アクィナスによる修道生活の目的 という題の著作において解説された教えであった。この天使的博士は明確に説明する。
「仕事に忙しく身を委ねる人々の多くにとって、彼らをそれにと動かしているのは天主に対する超自然の愛徳ではなく、むしろ観想への嫌気である。」
この著者は締めくくってこう言う。
「観想を批判する人々は、その行為自体、彼らにおける愛徳の不在、あるいは大きな欠乏を証明している。完全なる愛徳とは、聖トマスによれば、その人が与える説教が観想の深みから流れ出す時、存在しているのである。
したがってモンセニョール・フィリップは、“外的活動の効果だけを心配して修道会規則をそれに合わせて変更すること”を望む人々が如何に誤っているかを立証したのだ。ルフェーブル大司教が同僚たちに向かってその実現を訴えていた“真のアッジョナルナメント”とは、コレン(Koren)神父が書いたような、“過ぎ去った昔を懐かしむ郷愁の嘆願”でも、“過去への逆戻り”でもなく、ただ司祭的かつ修道者的生活の真正な起源への帰還であった。アフリカにおける新たな状況と公会議後の危機を郷愁にひたって昔を夢見て生きることからは程遠く、ルフェーブル大司教は公教会の聖伝という源泉から、宣教活動に必要とされる変革を行う勇気と、新近代主義のもたらした致命的な伝染病に対して聖霊修道会士たちの生活を擁護する力を引き出すことが出来たのである。
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