VI. 特別総会--辞任
辞任
翌日9月12日、ルフェーブル大司教は、修道会聖省長官、アントニウッティ(Antoniutti)枢機卿に手紙を書き、総会で起きた事と自分が下した決断について知らせた。それから9月16日に、彼はあの総会で実施された投票の有効性に関する疑念を同聖省に提出した。それはこの投票が会憲に反していたからである。エクレズィエ・サンクテ(Ecclesiae Sanctae)の中で、パウロ六世が会憲の幾つかの規則を ad experimentum (実験的に) 変更することを、刷新に関わる諸総会に対して権能を与えたにしても、教皇は“修道的会の本性そのもの、そしてその基本的構造に手を付けること”は容認していなかった。ところが、総会に対して総長が持つ権威の除去によってそれに手を付けたと言った。
大司教は、側近の同僚たちに打ち明けた“様々な計画について、心中思い巡らした。”その一つは、聖フランシスコの町の平和において、アシジで、この投票中に大司教を支持して来た総会のメンバーたちと総会を開くことであった。それは聖霊修道会の刷新を、その創立者の精神において成し遂げるためであった。この総会の前、分裂の予見が大司教に来ていた。
8月15日に彼はこう書いている。
「既に、確かに苦しいが必要とされるこの浄めが、公教会と修道会において決められている。ある修道会は分裂しており、あるところはこれから分裂するだろう。公教会とその聖伝の教えに忠実に留まる修道会には召命があるだろう。それ以外の修道会は、ばらばらになって消えていくだろう。」
ミシェル・オカロル神父によると、大司教はよく考えると、
「そのような総会を開くことは、あり得なかった。彼は、それが聖霊修道会における分裂の印になると考えた。さらにどのくらいの人が自分に従ってくるだろうか?」
最終的に、彼はアシジで数日を静沈に過ごし、9月28日の総会への短い出席の間に読むことになる文書を作成した。それは尊者リベルマン(Libermann)の精神に忠実に留まるようにとの厳粛な警告だった。この尊者は見捨てられた霊魂たちの中での使徒職は、“常に、宣教師たちの霊魂に現存する私たちの聖主の聖性の輝きと広がりにある”ということを明確に悟った。大司教は、尊者リベルマンが“使徒職、特に、尊者がその息子たちに提昌する使徒職、しかし聖性とはまったく区別されえる使徒職を考えつく事は出来ない、・・・彼にとって聖性とは本質的に使徒的である”、と言った。尊者は自分の子(修道会士)らに聖性への手段を与えている。
「この手段とは、つまり修道生活と共同生活、これは自己否定の生活、祈りの生活、さらに兄弟愛(これら全ては聖性の発達に必要である)と使徒的熱意、あるいは聖性の拡がりを実現させる私たちの聖主との実践的な一致を実現させる。」
ところで、ルフェーブル大司教は気づいた:
「あなた方の多くは、もはやこの修道生活、この共同生活を望んでいない。何故このことを私たちに隠蔽するのか? . . . 従順の生活に反対し、世俗に関する用心深さの生活に反対し、この世の所有物や慰めからの真の離脱の生活に反対し、私たちに苦行を与え愛徳の実践を義務づけ祈りと黙想との生活に駆り立てる共同体生活の現実に反対し、彼らの個人主義、利己主義、そして自由と独立への渇きは、より大きくなってしまった。」「彼らの個人主義は、寄生虫のように生きることしか出来ない。」
総会のメンバーたちに、彼らの決意を導き出したインスピレーションを尊者リベルマンの著書に見出るようにと訴えながら、大司教は聖霊修道会士たちの正確な身分に関するこの創立者の見事な一ページを抜粋引用した。
「宣教師になるために故国を離れたかわいそうな子供達は、この観念をいつも念頭に置いている。私は何よりもまず宣教師である! したがって、それを悟るらない限りは、彼らは修道生活に如何なる重要性も見出さず、私が思うに、外的な活動にあまりにも熱心に身を委ねてしまっている。 . . . 実際に、宣教は目的ではあるが、修道生活は、必要不可欠な手段なのである。 . . . もし、彼らが聖なる修道士であれば、霊魂たちを救うだろう。もしそうでなければ、彼らは何もしないだろう。なぜなら、天主の祝福は彼らの聖性に付着しているからである。」
10月4日にようやく大司教は修道会聖省の新しい事務長、モンスィニョ-ル・アントニオ・マウロ(Antonio Mauro)と会見した。アントニウッティ枢機卿は南アメリカへ行って不在だった。ルフェーブル大司教は後にこう言うだろう。
「もしも、この枢機卿と面会していたとしたら、事は違う方向に進行していただろう。しかし(そこには御摂理が働いていた)私の対話の相手は、三ヵ月後には能力が無く無知であると判断されて解雇されるこの事務長であった。」
ルフェーブル大司教は彼に言った。
「総会では革命がありました。私は脇に追いやられ、たった一つの委員会であってもその委員ではありませんでした。しかし総会にいた他のメンバーたちはそうでした。私は単なる傍観者でした。私、総長が!」
モンシニョール・マウロは応じた。「いいですか、公会議の後なのです。理解しなければなりません。 . . . 貴方にあるアドヴァイスをあげようと思います。同じ案件で私に会いに来たもう一人の総長にもちょうどそれを差し上げたところです。」
「どうぞ」と私は彼に言いました。
「アメリカ合衆国にちょっと旅をしたらいいですよ。あなたも気分が優れますよ。」総会については、そして残務整理については補佐たちにその処理を任せなさい、と。
しかしながらルフェーブル大司教の補佐役たちは、大司教が残務整理に留まるように要求した。彼はその通りにした、こう考えながら。
「総会のメンバーたちは私のところに来て相談することが出来るし、よき関係は残る。たとえこの状況が完全に異常であっても。」
10月13日、彼は、修道会の目的と本質、修道共同生活、使徒的熱意、修道士たちが顧問の責務を引き受けることが出来るようにすること、などに関する提案に14ページを捧げ、それを総会に提案した。この提案の中でも、2つのプロジェクトは、補佐役たちの新たな役割と、「尊者リベルマンによって創立されたこの修道会を忠実に保ちながら」それと同時に、クロード・プラールの事業の復興に関する“まったく新しい”計画だった。彼の提案の何一つ、あるいは殆ど何一つ理解されなかった。
10月28日、総長には、ジョゼフ・レキュイエ(Lecuyer)神父が選出された。今や、自らの責務から解かれたルフェーブル大司教は、同日、アガジアニアン(Agagianian)枢機卿にその総会を提出するために現れた。側近の同僚の一人に自分の後継者について大司教はこう打ち明けた。「最悪は免れた 」と。ついに11月11日、彼は、教皇がこの総会に賜った謁見に出席した。
これらの散発的な機会を除いて、大司教はこの総会が自らの業務を“完璧な自由のうちに”進行するままにさせておいた。1970年に出版された“指令”と“決議”は、この総会によってもたらされた破壊的革命を明示した。
● 権威:共通善への心遣いは、パーソナリティと個人の自由の尊重によって取り替えられた。
● 従順:従順は共同責任となり、対話、天主の聖旨の共同追及、意志決定への参加、チームとして働く、さらにグループ力学になる。
● 修道者養成:修練期間に取って代わる霊的養成の様々な段階によって提供される。 “再養成”課程、さらに“福音的生活の見直し。”
● 宣教:キリストの奉仕者と、公会議に続いて“カトリック教会が尊敬をもって考える”諸宗教を信じる人々との間で“救いの対話”として、エキュメニカル的に宣教は見直され、修正がなされる。
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