Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ノベナの早朝ミサ

2009年12月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 明日からフィリピンでは毎日早朝の九日間のミサ聖祭が始まります。ミサ・デ・ガロとかミサ・デ・ガリョとか、あるいはミサ・デ・アギナルド、シンバン・ガベとも言います。

 私たちの修道院の教会では毎朝4時半からです。明日が早いので、愛する兄弟姉妹の皆様、お休みなさい!!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

メシアに関する旧約聖書を黙想することを提案します

2009年12月15日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、

 私たちの主イエズス・キリストの御降誕が近づいてきました。そこでメシアに関する旧約聖書を黙想することを提案します。

 アブラハム(創世12:1-3、22:18)、イサアク(創世26:4)、ヤコブ(創世28:14)によれば、メシアはアブラハム、イサアク、ヤコブを先祖に持たなければなりません。
「主はアブラハムに仰せられた、
『おまえの地と故郷と父の家を去って私が示す地に行け。
私はおまえの民を大いなる民とし、祝福し、おまえの名を高めよう。
その名は祝福となろう。私はおまえを祝する者を祝し、おまえを呪う者を呪おう。
地の全ての民はおまえによって祝される。」
「おまえの子孫によって全ての地の民は祝福されるだろう。」

その時主が(イサアクに)現れてこう仰せられた。
「おまえの子孫によって、地の全ての民は祝福される。」

突如主がヤコブの前に現れてこう仰せられた。・・・
「地の全ての民は、おまえとその子孫とによって祝福されるだろう。」

ヤコブの遺言(創世49:8-12)により、メシアはユダ族から出なければなりません。
「ユダよ、兄弟はおまえをたたえるだろう。
その手は敵の頭を押さえつけ、その父の子らはおまえの前にひれ伏す。
ユダは若獅子だ。我が子よ、おまえは獲物を捕って帰る。
彼は獅子のように身を潜め、女獅子のように伏せる。
誰が彼を引き起こし得ようか。
ユダから杖は奪われず、彼の足の間から指揮の杖は取られることがない。
杖の元の持ち主であるお方が来られるまで。
民はみな、そのお方に服従する。」


8 Juda, te laudábunt fratres tui :
manus tua in cervícibus inimicórum tuórum,
adorábunt te fílii patris tui.
9 Cátulus leónis Juda :
ad prædam, fili mi, ascendísti :
requiéscens accubuísti ut leo,
et quasi leǽna : quis suscitábit eum ?
10 Non auferétur sceptrum de Juda,
et dux de fémore ejus,
donec véniat qui mitténdus est,
et ipse erit expectátio géntium.
(8 Juda, thee shall thy brethren praise: thy hands shall be on the necks of thy enemies: the sons of thy father shall bow down to thee. 9 Juda is a lion's whelp: to the prey, my son, thou art gone up: resting thou hast couched as a lion, and as a lioness, who shall rouse him? 10 The sceptre shall not be taken away from Juda, nor a ruler from his thigh, till he come that is to be sent, and he shall be the expectation of nations.)


 預言者ナタン(サムエル下7:12)によれば、メシアは、ダヴィドの家からでるだろう。

「私はおまえの子孫に跡を継がせ国のもとを固めさせよう。その子孫は私の名のために家を建て、私は彼の王座を永久に堅いものにしよう。私はそのものの父となり、そのものは私の子となる。」

 ミカヤの預言(5:1)によれば、メシアはベトレヘムで生まれなければなりませんでした。

「そしてエフラタの地ベトレヘムよ、おまえはユダの家族のうちで最も小さいものだが、
イスラエルを治める者がおまえから生まれねばならぬ、
その出では、ずっと以前、昔の日々にさかのぼる。
それで、主は、生む者が生むときまで、彼らをうち捨てておかれる。
その後、兄弟の残りの者が、イスラエルの子らのもとに立ち戻る。」

【ミカヤは、紀元前721年サマリア陥落の前後に預言を行っていた。】

 預言者イザヤ(7:14)によると、メシアの母は童貞女でなければなりません。ヘブライ語のアルマーは、聖書には七回(創世24:43、脱出2:8、詩編68:26(ブルガタ67:26)、雅歌1:3、雅歌6:8、格言30:19、イザヤ7:14)だけ使われていますが童貞女という意味以外では使われたことがありません。

「主自らしるしをお与え下さる。見よ、処女が身ごもり、一人の子を産み、それをエンマヌエルと呼ぶだろう。」

 預言者イザヤ(2:2-4)によると、時の終わり、すなわちメシアの時代には諸国は真の天主を知ることになるでしょう。

「時の終わりにはこうなる。
主の家の山は、山々の峰の上にそびえ、幾多の丘よりも高くそばだち、全ての民がそこに流れより、おびただしい民がこう言いつつ集まり来る。
『おいで、主の山に、ヤコブの天主の家に上ろう、
我らにその道を教え、その小道をあけよ。』
法はシオンから発し、主の御言葉はエルサレムから出る。
天主は国々を統べ、多くの民の裁き人となられる。」


 預言者ダニエル(2)によると、メシアが来る時代は、純金の王国と銀の王国と青銅の王国との3つの王国が続いた後に、鉄(しかし一部は粘土)の王国の時代でなければなりません。ダニエル自身の解釈によれば、金の頭の国とはナブコドノゾル王のカルデア・バビロンの王国のことです。銀の胸と腕の国は、バビロン大帝国に続いたメド・ペルシア大帝国のこと。第3の青銅の国は、アレキサンドロ大王のギリシア・マケドニア大帝国です。第4の国は鉄のように全ての国々を打ち壊して粉々にする強いローマ帝国のことです。そしてその第4の王の時、永遠に滅びない国が興るのです。

「その王たちの時に、天の天主は他の王国を起こされます。
その王国は永遠に滅びず、その主権は他の民に移ることなく、先の全ての国々を打ち砕き、壊し去ります。しかしその国だけは永遠に続きます。人手を借りずに山から離れた石が、鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたことはあなたがご覧になったことです。偉大な天主は将来起こることを王にお告げになりました。」



 ヤコブの遺言(創世49:8-12)によれば、メシアの到来の時期が近づくとユダ族から統治権(王笏)が奪われ、外国の支配下に置かれるようになるでしょう。

「ユダから杖は奪われず、彼の足の間から指揮の杖は取られることがない。
杖の元の持ち主であるお方が来られるまで。
民はみな、そのお方に服従する。」


【ここでヘブライ語の "シロー" は所有者の意であり、つまり「杖の持ち主である人」の意味である。ここではユダ族がその首位権を失うときが来ることも預言されている。ユダが首位権を失うようなときメシアは来るだろう。】

 預言者ダニエル(9:21-27)によると、メシアの到来の時間は70週年が終わったときでなければなりません。ダニエルはエルサレムが廃墟となって何年の後にまたエルサレムを復興できるかを知りたく、天主に祈ると、「70週が定められている」という答えを得ました。ここでの70週とは、70年後にはバビロンから解放されてエルサレムに戻ることが出来るという預言であると同時に、罪と地獄の支配から解放されるためにメシアが到来するということをも預言していました。

「民と聖都については、70週が定められた。それは罪悪を閉じ込め、罪を封じ、悪を除き、永遠の正義を招き、幻と預言を証し、至聖のものに油を注ぐまでである。
帰国とエルサレム再建の御言葉が出てから、油を注がれたかしらまで7週、それから62週にわたり困難な時を経て、城壁と堀が築かれる。62週の後、油を注がれたものが取り去られる。
彼はどんな物も奪われた。いつかくるかしらの民は、町と聖所を打ち壊す。
その最後は大事変である。終わりの時まで、戦いと定められた破壊がある。
彼は人々と、一週の間、堅い契約を結び、半周の間、いけにえと供え物をやめさせる。
神殿のところにある、荒らすもののいとわしいもの、定めの破壊が荒らすものに襲いかかるときまで。」


24 Septuagínta hebdómades abbreviátæ sunt super pópulum tuum et super urbem sanctam tuam, ut consummétur prævaricátio, et finem accípiat peccátum, et deleátur iníquitas, et adducátur justítia sempitérna, et impleátur vísio et prophetía, et ungátur Sanctus sanctórum. 25 Scito ergo, et animadvérte : ab éxitu sermónis, ut íterum ædificétur Jerúsalem, usque ad christum ducem, hebdómades septem, et hebdómades sexagínta duæ erunt : et rursum ædificábitur platéa, et muri in angústia témporum. 26 Et post hebdómades sexagínta duas occidétur christus : et non erit ejus pópulus qui eum negatúrus est. Et civitátem et sanctuárium dissipábit pópulus cum duce ventúro : et finis ejus vástitas, et post finem belli statúta desolátio. 27 Confirmábit autem pactum multis hebdómada una : et in dimídio hebdómadis defíciet hóstia et sacrifícium : et erit in templo abominátio desolatiónis : et usque ad consummatiónem et finem perseverábit desolátio.

【神殿再建の許可の勅令が出てから70週年、1週年が7年であるから490週年の後にメシアが到来することになる。実にアルタクセルセスは神殿許可の勅令を紀元前445年頃に出している。】


 預言者ハガイ(2:8)によると、ブルガタ訳によれば、ゾロバベルが再建を手がける神殿には「万民のあこがれるものが来る」、再建された神殿にメシアが現れるので「主はこの神殿を栄光で満たす、この神殿の栄光は以前の栄光に勝るだろう」と預言された。

8 Et movébo omnes gentes,
et véniet desiderátus cunctis géntibus :
et implébo domum istam glória,
dicit Dóminus exercítuum.
9 Meum est argéntum, et meum est aurum,
dicit Dóminus exercítuum.
10 Magna erit glória domus istíus novíssimæ plus quam primæ,
dicit Dóminus exercítuum :
et in loco isto dabo pacem,
dicit Dóminus exercítuum.

8 And I will move all nations: AND THE DESIRED OF ALL NATIONS SHALL COME: and I will fill this house with glory: saith the Lord of hosts. 9 The silver is mine, and the gold is mine, saith the Lord of hosts. 10 Great shall be the glory of this last house more than of the first, saith the Lord of hosts: and in this place I will give peace, saith the Lord of hosts.

【預言者ハガイは、紀元前520年に預言した。】

 荒野の書(24:17)によれば、将来メシアの到来の時に星がヤコブから上がることになっています。

「私は彼を見る、だが今ではない。彼を眺める、だがまだ遠い。
一つの星がヤコブから上がり、一つの笏がイスラエルから立つ。
彼はモアブの君主(duces)を打ち据え、セトの全ての息子たちを打ち砕く。」


17 Vidébo eum, sed non modo :
intuébor illum, sed non prope.
Oriétur stella ex Jacob,
et consúrget virga de Israël :
et percútiet duces Moab,
vastabítque omnes fílios Seth.
( 17 I shall see him, but not now: I shall behold him, but not near. A STAR SHALL RISE out of Jacob and a sceptre shall spring up from Israel: and shall strike the chiefs of Moab, and shall waste all the children of Seth. )

 預言者イザヤ(60:6)また詩編(71:10)によると、王はメシアに贈り物をもってアラビアから来るはずです。

「らくだの大軍と、マディアンとエファとの若いラクダが押し寄せ、
それは皆、サバからくる、黄金と香を運び、主も光栄を歌いつつ。」

「タルシスと島々の王は贈り物を、シェバとサバの王たちは貢ぎを献ずる。」



 預言者イザヤ(40:3-4)また預言者マラキア(4:5 ヘブライ語聖書3:23)によると、メシアには先駆者があることでしょう。

「砂漠に叫ぶものの声
 主の道を整えよ、私たちの天主の小道を荒れ野で真っ直ぐにせよ。
 全ての谷は高くなり、全ての山と丘は低くされる、
 凹凸の地は平らになり、道の険しいところは平野となる。
 そして主の栄光が見られるだろう、そして全ての人間は
 等しく主の口が語ったことを見るだろう。」

「見よ、主の日、その偉大な恐ろしい日が来る前に、私は預言者エリアを送る。」


5 Ecce ego mittam vobis Elíam prophétam, ántequam véniat dies Dómini magnus et horríbilis.
( 5 Behold I will send you Elias the prophet, before the coming of the great and dreadful day of the Lord. )

 預言者ホセア(11:1)によれば、メシアはエジプトに逃げなければならず、のちにエジプトから呼び出されるでしょう。

「イスラエルが幼かったとき、私は彼を愛し、エジプトから私の子を連れ出した。」


 預言者イザヤ(9:1 或いはヘブライ語聖書8:23)によると、メシアはネフタリとザブロンの地で福音の光を照らし始めることでしょう。

「先に、主はザブロンの地とネフタリの地をいやしめ、
これからは、ヨルダンの彼方の海の道、異邦人の地に栄光を与えられる。
闇を歩む民は、大いなる光を見た。闇に包まれた地に住むものに光が輝いた。」


1 Primo témpore alleviáta est
terra Zábulon et terra Nephtháli :
et novíssimo aggraváta est via maris
trans Jordánem Galilǽæ géntium.
2 Pópulus qui ambulábat in ténebris,
vidit lucem magnam ;
habitántibus in regióne umbræ mortis,
lux orta est eis.

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

良き御降誕祭をお迎え下さい。


聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 14.6.1.公会議革命のミニチュア版

2009年12月15日 | ルフェーブル大司教の伝記
VI. 特別総会―辞任


公会議革命のミニチュア版

 1967年になるやいなや、ルフェーブル大司教には、“自分のことをもはや聞く耳を持たず、実際上自分をもはや欲しない聖霊修道会の指導を継続する事は不可能である”と悟った。

 彼は友人のシガウド(Sigaud)司教に総長職を辞任するつもりであることを伝えた。しかしながら、修道会の改革に向けたこの特別総会の準備は、修道会聖省から与えられた認可と、公会議教書「修道生活の刷新・適応に関する教令」(ペルフェクテ・カリターティス)の実行のためにパウロ六世が1966年8月6日に発行した規範に従って、ルフェーブル大司教により任命された総会準備委員会の内部で続けられた。

 総長はこの委員会に、修道会の諸地域から様々な提案を集約するために全くの自由を与えた。同様に、中央準備委員会は、これらの集められた提案に関する全般的な総合をする作業に妨げられることはなかった。この作業の結果は、修道会とは関係のない独立した専門家によって詳しく調べられた。彼は賞賛する:
「この総会は私が調査してきた他の総会の中で、最高に良く準備されている。」

 この刷新の根本原理に関して、ルフェーブル大司教様はこう言うだろう。
「その展開を考慮にいれながら、しかし、私たちの修道生活の根本的な諸原則を簡潔に再確認しながら、私はこの修道会の徹底的な刷新を準備した。」

 1968年5月のこの総会を前に、ルフェーブル大司教と、任期が1974年まで継続する事になっている彼の総顧問とは、
“重大な総会の期間中に、健全で真の刷新のことについて、個人的問題が入り込む余地を阻止することを望み”、総会初日に総員辞表を提出する旨決定した。

 しかしながら、彼らの総辞職は、総会がもう一つ別の指導層を選出して初めて効果を持つこととなることは共通理解のことであった。その時まで、総長は修道会会憲に従い、総会の議長を務めることになっていた。

 1967年の復活の月曜日(3月27日)に、大司教はサン・ジョヴァンニ・ロトンドにパドレ・ピオを訪ね、総会の為に祈ってくれるように依頼した。彼は悪いときに到着した。というのもカプチン会の総長が、カプチン会の総会の為に同じ依頼をする目的で来ていたのである。
「新しい会憲を作成するために開かれるカプチン会総会のためにお祈りください。」 
 この言葉に対し、パドレ・ピオは憤慨し叫んで言った。
「それはまったく役に立たないおしゃべりで、破壊行為です!」

 17週間後、パウロ六世がカプチン会総会で引見することになっていた時、パドレ・ピオは1968年9月12日に教皇パウロ六世宛の手紙を書いた。

「私はこの会[カプチン会修道会]が、熱心な修道的厳格さや、福音的清貧、さらに会則と会憲の遵守というカプチン会の聖伝(tradition)を、それがもつ生命力と内的精神を刷新しながら、第二バチカン公会議の指令に従い、継続するように私たちの聖主に祈ります。」 

 新しい会憲が発表されたとき、パドレ・ピオは前にも似て鋭い反応を示したと言われる。
「あなた方はローマで何をしようとしているのか?何を計画しているのか?聖フランシスコの会則を変えようと望んでいるのか!」

 しかしながら、バルバラ(Barbara)神父と別の司祭に伴われたルフェーブル大司教と、2名のカプチン会士に付き添われたパドレ・ピオとの会話は、簡単で短かった。聖痕を持つこの司祭は、聖霊修道会総会の為に祈る事を約束した。大司教は尊敬の念に動かされ、彼に祝福をお願いした。パドレ・ピオは答えた。
「とんでもない、大司教閣下、あなたこそ私を祝福する方です!」

 こうしてルフェーブル大司教は、パドレ・ピオの上に天からの祝福を哀願した。

 総会は1968年9月8日、ローマのドムス・マリエ(Domus Mariae:マリアの家)で始まった。総長は、作成した一般報告の中で、完遂された事業と直面した困難に言及し、さらにまた、幾つかの刷新を提案した。つまり補佐たちと総顧問たちに新たな役目とより大きな責任を与える事、主要な地域の再編成、さらに、プラール・デ・プラースの事業の精神に従って、修道誓願の時期を延期させ、三つの修道誓願を立てて修道者となることを望まないが宣教師になることを志願する若者たちの受け入ること、などに関する提案であった。最終的に彼は、既に公表していた総顧問団の辞表を提出した。

 彼は総会のメンバーたちに、新たな総顧問団を、1962年にすでに決定していたように総会の終わりに選出するのか、或いは、以前に行われたように総会の初めから選出するのか、または、“誰かによって提案された第三の解決策”を取り入れて、総会の会議が“総会の議長職を保ちながらも、総長以外の誰かによって誘導される”ために、一人ないしは数名のモデラトール(議長)たちを指名するのか、を決議させた。

 ルフェーブル大司教はこの第三の解決策の却下を試み、この第三の場合、総長と補佐、そして総顧問団の職は空位となること、従って聖霊修道会は指導者たる頭を持たなくなることをつけ加えて言った。

 ルフェーブル大司教は極めてよく知っていた。総会メンバーたちの中の進歩派が、特にルフェーブル大司教が総会の指導権を完全に保有し、彼らが望んでいる刷新の実現を妨げることを恐れている事を。如才ない指導者として、大司教は彼らの提案を公表し、それがもたらす大きな不利、つまり、聖霊修道会の最も重要な集会において、総長を脇に除外してしまうという不利を示そうと努力した。この提案は、総会のレベルにおいて、教皇によって指名された公会議の議長に代って、選出された議長たちが登場する第二バチカン公会議の政変の繰り返しとなってしまうだろう。

 進歩的な司祭たちによる計画との一致のうちに、この総会は新しい総顧問団の選出を延期したのであるが、しかしながら、会議の議長を務め、総会委員会のメンバーたちを選べる総長の権限に関する会憲91条の効力を一時停止にするようにとさっそく票を投じた。 回答されるべき問いがある。つまり会憲により総会の議長を務める権利をもつ総長は、さらに、総顧問団により定められた会則に従って、中央委員会の議長をも務める資格があるのか?」

 まもなく大司教の敵たちは議論を作り上げた。
「立法権である総会は、総長によって代表される行政権の権威の下に置かれえない。中央委員会のメンバーたちは、一人残らず選出されなければならないはずである。」

 このもっともらしい主張に反論して、ミシェル・オカロル(Michael O’Carrol)神父は尋ねた。
「もし、私たちが真っ先に行う事が、自分たちの総長をその地位から引きずりおろすことであると知ったならば、修道会地域と宣教地区にいるメンバーたちは私たちの事をどう思うだろうか?」

 ルフェーブル大司教は中央委員会のメンバーの選挙に反対の立場を取り、こう締めくくった。
「各自、自分の意見を表明し、自分の良心に従って投票することは自由です。私は、この投票の結果によって示される決定に委ねます。」

 この投票が即時に行われていたならば、おそらく大司教支持の結果に終わっていただろう。しかしながら、疑いなく御摂理的な、ある知られざる理由により、刷新派たちに秘密の会合を開き、総会に圧力をかけるための一夜を残して、彼は翌日までこの投票を延期したのである。大司教は9月11日に、63票対40票という結果で敗れ、“理論上の肩書だけの議長”という容認できない役割に引き下ろされた。冷静さを保ちながら、彼はただこう言った。
「総長が置かれた状況は、間違いなく、公教会の精神に反しており、教会法の精神に反対し、さらに私たちの伝統と会憲に矛盾している。」

 彼は翌朝の総会の議長を務めたが、約束通り、正午に総会を退席した。第一補佐のハック(Hack)神父に、会議では自分の代理を務めるように頼み、ルフェーブル大司教は“後任が来るまでの日常業務を行う”だけに身を委ねて、修道会本部に帰った。この総会は、ほんのしばらく驚いたが、その後3名の議長が選出され、不合理な提案と数え切れない事務書類で息詰まらせる彼らのやり方で継続された。この総会は、1968年ローマでの2ヶ月と、1969年シュヴィリにおける2ヶ月で、4ヶ月間続いた。

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第14章 総長 防御の最後の試み
Ⅰ. 激戦を伴った選出

II. 掃除と改革

III. より優れた組織編成

IV. 修道生活と使徒職

V. 真のアッジョナルナメントに向けて


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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