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聖ピオ十世会 (SSPX) 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 15.2.4.信徒の運動を支援する

2009年12月24日 | ルフェーブル大司教の伝記
II. 抵抗運動と再建を組織する

信徒の運動を支援する

 信徒運動事務局の創立が出来ず、ルフェーブル大司教は現存するグループの支援と、さらにとりわけ「自然法とキリスト教的法に基づいた市民養成と教義上の活動の事業国際事務所」となった『シテ・カトリック(Cité Catholique)』を続けて支援した。大司教は、しばしばロザンヌ(Lausanne)事務所の年次会議に姿を現した。

 1965年ヴァレ州(Valais)出身の弁護士、ロジェ・ロヴェ(Roger Lovey)氏は、“教会、国家、さらに情報”というテーマについて演説をした。

 1966年、ルフェーブル大司教はパウロ六世に謁見し、市民社会に生きる信徒の役割をテーマとするこの会議に教皇祝福を願った。

 大司教は教皇パウロ六世に言った。
「これは私たちの聖主イエズス・キリストの統治のために働いている人々です。これが講演者たちのリストです。」 
 「あぁ、」パウロ六世は言った。「この講演者は知らない。この人も知らない。お~、ミシェル・ド・サン・ピエール(Michel de Saint Pierre)だ。この人は、ド・ゴール主義者じゃない!」

 あっけにとられて大司教は教皇聖下に視線を向けた。どういう意味だったのか?それは唯一教皇が述べた意見であった。最後に教皇は締めくくった。
「なるほど、非常にすばらしい。起こっている事態について最新の情報を知れてうれしく思う。このリストの紙をいただいてもいいですか?」

 ラジオ・バチカンは、この会議が成功する事への切なる願いを表明したが、パウロ六世からの教皇祝福は与えられなかった。

 翌年、大司教は、この会議のテーマが“政治と自然法”だったので、ルッフィーニ(Ruffini)枢機卿を再び訪れた。枢機卿はご自分の祝福を与え、そしてルフェーブル大司教に対して極めて好意的にこう書いた。
「大司教閣下の御指導と、さらに私が常日頃敬服してきた大司教様の持つ英知とローマ教会教導権への完全なる忠誠の御手引きの下、会議は期待されている実を一つ残らず結ぶでしょう。」

 国際事務所を通して、ルフェーブル大司教は聖母の騎士会を知ることになった。ミリツィア・サンクテ・マリエ(Militia Sanctae Mariae)は1945年、将来サン・ワンドゥリル(Saint- Wandrille)修道院の修道士となるドン・ジェラール・ラフォン(Dom Gérard Lafond)によって創立された。そこは、サンタ・キアラ(1922-28)で、マルセル・ルフェーブルと元同級生だったシャルトル司教のロジェ・ミション(Roger Michon)司教により、騎士団の修道会として教会法によって立てられた。メンバーたちは、
“騎士として叙任され、地上の国にキリストの統治の延長であるキリスト教世界を、キリストの神秘体の衣服であるかのように、実現させることに自らの努力を方向付ける。”
 この騎士団は間もなくヴァレ州に、さらにまたドイツ語圏のスイスにも創設された。スイスにおいて、この騎士団はマリエンリッター・フォム・コストバーレン・ブルーテ(Marienritter vom Kostbaren Blute)という名称で呼ばれるようになった。

 この聖母の騎士会によって、1960年にルーヴァン(Louvain)の大学の学生たちにより創設されたルーヴル(Rouvre)の騎士団もまた、騎士道の様々な伝統を再発見したのである。この騎士会の初代の騎士たちは、1967年にリオモン(Riaumont)でルュップ(Rupp)司教により叙任された。ルフェーブル大司教は、1969年の5月25日には、セルヴィル(Serville)にあるドゥ・リボクール伯爵(de Ribaucourt)宅にて、他の騎士たちを叙任した。その中の一人、ジェラル・ワリエ(Gérald Walliez)と呼ばれるベルギーの法律家は、既に聖伝の定期刊行物の会合の際にローマに居合わせていた。大司教は、ルーヴルの騎士たちのために“騎士の霊的指針”を著し、対神徳と枢要徳を説明した。その指針の中で騎士とは、
“聖主のために武装した真の伴侶、さらに戦闘配置についた軍隊の様に強い聖母のための、また天軍の総帥大天使聖ミカエルのための武装した真の伴侶”として描写されている。

 まるで“自然発生”するかのように、至る所で急成長を遂げている若きカトリック教徒の多彩な運動に対し、度々ルフェーブル大司教は励ましを送った。彼はこの若者たちの熱意に感心し、1968年にはこのように書いた。

「私たちは新しい若い世代が、自分たちの発見により情熱的となった若き人々が立ち上がるのを見ています。. . . 彼らは、自分たちの知性とその精神の望みの本当の宝が自分たちには隠されてきたことに、しかもこの世を全く変えてきたのがこの宝物である事に気がついています。彼らは、真実のキリスト教文明の歴史とは何かを発見したのです。今後は、それが彼らの人生となり、内的生活となり、社会生活、そして理想となるのです。若者たちは二度とそれを捨て去らないでしょう。」

「更に、この熱烈で寛大な環境において、数多くのすばらしい召命が芽生えています。しかも、召命の減少を人々が話題にする現代において。ここにこそ教会の刷新の本当の希望があります。」


 これらの言葉はカトリック司祭職への奉仕のため、またさらに正確に言えば、司祭養成の奉仕のために、ルフェーブル大司教が近い将来行う事業を予告している。しかしながら、始めからしてこの事業は、摂理的にカトリック・ミサを守る英雄的な戦いに投じられることになるだろう。

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